私の本棚発掘

第09回

陸鏗著『胡耀邦訪問記』

陸鏗著『胡耀邦訪問記』(胡耀邦会見記)1985年5月25日

香港の半月刊「百姓」

陸鏗『中国妖怪記者の自伝』(表紙から)陸鏗『中国妖怪記者の自伝』(表紙から)

 『胡耀邦訪問記』は中国の胡耀邦総書記失脚の罪状の一つとされた衝撃的なもので、当時内外に大きな反響を呼んだ。
 陸鏗(1919~2008)は中国雲南省保山の生まれ、生涯一記者を標榜して活動した。1940年に放送記者として記者活動を開始し、第二次世界大戦中はヨーロッパ戦線で取材に当たり、のち国民党の「中央日報」副編集長となった。1947年にはGHQの招きで敗戦後の日本を取材。1949年、国民党により共産党のスパイの嫌疑を受け逮捕されたのを初め、国民党、共産党の双方からあわせて22年間投獄された。国共双方から投獄されたことは、陸鏗にとって自慢のタネのようだった。彼の波乱の人生については『陸鏗回憶録與懺悔録』(邦訳書『中国妖怪記者の自伝──二十世紀史の証言』筑摩書房)に詳しいのでそちらを参照してもらいたい。

『胡耀邦訪問記』書影『胡耀邦訪問記』書影

 筆者が陸鏗に会ったのは1995年の夏、台湾の台北でのことだった。当時筆者は中台間の交渉の内情を探るため台湾を訪問中で、この問題に詳しい人物を探していたところ、ある人物から「いい人がいる」と陸鏗を紹介された。筆者はそれまで陸鏗について何も知らなかった。陸鏗は大柄な体躯で、当時すでに70台半ばの年齢だったが、闘志にあふれた豪放磊落な人物だった。

会見中の陸鏗(左)と胡耀邦(百度百科より)会見中の陸鏗(左)と胡耀邦(百度百科より)

 その席で彼は『胡耀邦訪問記』を読んだかと筆者に尋ね、未読だと答えると、「手元には一冊しか残っていないので、それをコピーし製本してあげましょう、表紙は何色がいいですか」と言い、2~3日後には台北滞在中の筆者のもとに届けてくれた。従って写真に載せてあるのは原本の写真ではなく、陸鏗氏が筆者のため特に製本してくれた復刻本だ。
 本書は280ページほどだが、胡耀邦とのインタビューの部分、いわば本文に当たる部分は66ページで、そのほかはインタビューの英訳、有識者の論評などである。

胡耀邦胡耀邦

 胡耀邦総書記に対する陸鏗のインタビューは中国共産党中央委員会と中国国務院の所在地の中南海で、1985年5月25日の午後3時半から午後5時半まで2時間にわたって行われた。陸鏗の遠慮のない質問に胡耀邦も率直にフランクな態度で答えている。結局このインタビューが胡耀邦の失脚を招く一因となった。

 インタビューの内容は大きく台湾問題、党内の人間関係、党と軍それに地方の人事問題、言論の自由の問題など多岐にわたったが、このコラムでは主として台湾問題と言論の自由をめぐるやりとりについて紹介する。

 先ず台湾問題に関する議論のあらましから。

陸鏗:最近海外で、あなたもご存知の通り、最も心配もし、最も関心を持っているのは、やはり中共が台湾の問題に如何に対処するかということだ。中英両国が香港の前途の問題について合意に達した(1984年12月19日、中英両国が香港問題に関する共同声明に調印)のち、中共中央からすれば明らかに「一国二制度」という問題解決のモデルを探し当てたということになる。だが台湾当局は受け入れられないと考えている。なぜなら「一国二制度」そのものは台湾を一地方政府の地位に置いているからだ。……なぜなら特別行政区というのは地方政府ということであり、ましてやすべての法律が北京の全国人民代表大会で制定されるのだ。
胡耀邦:台湾は一地方政府だ。実質上確かに一地方政府なのだ。
陸鏗:だが台湾は統治権力の法的根拠に基づき、自分では中央政府だと判断している。それからもう一点、目下まだ23か国が台湾を承認している。
胡耀邦:そうであっても、台湾は大陸を代表できないし、実質上やはり一地方政府だ。当然、現在は、我々も台湾を代表できない、だから台湾を特区と認めるのだ、非常に合理的ではないか。

 次いで。陸鏗は国際人格という問題を持ち出した。これに対し胡耀邦は、国際人格と言うなら大国際人格を話すべきで、小国際人格を話すべきではない。中国まるごとが大国際人格であって、台湾の国際人格というならそれは小国際人格であって今にも潰れそうな国際人格だとした。また陸鏗が国家の統合には聯合国家、聯邦国家などの過程があると提起したのに対し、胡耀邦は現在全世界が大陸、台湾、香港が一つの中国に属していると認めている、第二次世界大戦以後は、それは統一された一つの中国で、蒋(介石)先生も一つの中国しかあり得ないと言っている、聯邦というのは実質的には二つの中国、或いは一中一台だと反駁した。

 議論は中国の台湾の統一方式の問題に及んだ。

陸鏗:中共中央は再三にわたって平和的方法で台湾問題を解決すると表明しているが、なぜ思い切って武力を使用しないと宣言しないのか?
胡耀邦:それはできない。なぜなら我々がそう約束したなら、台湾当局はいっそう何の心配もせずにすむだろうからだ。
陸鏗:あなたの言わんとするところは、それなら彼らはますますどうしようもなくなるということですね。
胡耀邦:当然だ。国際的に誰でも知っているところだが、我々には今のところは(軍事)力が不足している、確かに力が不足している………
陸鏗:あなたは非常に率直だ、それがまたあなたの凄いところだ。真相を隠さず、外交辞令もなく、きっぱりと「我々には今のところは力がない」とおっしゃった。
胡耀邦:そうだ。この今の所というのは4~5年かもしれないし、7~8年かもしれない。我々が経済的力をつければ、軍事力も自然につく。軍事力は経済力を基礎としなければならないのだ!
陸鏗:その通りだ。
胡耀邦:例えばだ、7、8年、10年以上たって、我々が経済的に強大になれば、国防の近代化もできる。台湾の広範な人民が(中国に)戻りたいと要求しても、あの少数の人が戻りたくないとすれば、彼らに対しては強制的手段を取らなければならないだろう。
陸鏗:総書記、悪く思わないで下さい、私の知る所では、私は台湾に行ったことがあるが、台湾の大多数の人はやはり戻りたくないのだ………
胡耀邦:まあそうかもしれない、だが私は、少しずつ多くなると信じている、日ごとに多くなるというのは大げさだが、年ごとに多くなるというのが、恐らくそれが実情に合っている。
……
陸鏗:今年4月1日、台湾の著名な政治評論家・陶百川先生に会ったとき、彼は中共が一旦(台湾を)封鎖すれば、台湾も必ず反封鎖をするだろうし、そうすれば必然的に戦争になると言った。これは中共の本意にもとるのではありませんか?
胡耀邦:我々にもし封鎖をする能力があるなら、反封鎖に対処する方法があるということだ。我々には必勝の自信があり、そのような段取りを取ることになる。
陸鏗:……あなたから見て、台湾で内乱が起こる可能性はあるか?
胡耀邦:それは私にははっきりしたことは言えない。もしなんらかの可能性ということなら、私は可能性があると考える。例えば台湾で統一に賛成する勢力と統一に抵抗する勢力があり、その上互いに権力を争い、双方が衝突の後、一方が我々に助けを求めてくる、こうした複雑な情況はいつでも起こり得る。
……
陸鏗:私はあなた方の台湾の力に対する評価はあまりにも低すぎると思う。
胡耀邦:少しも低くはない。……我々は三つの点で十分に評価している。第一、彼らの軍隊はとても強大だ。……彼らが施している防御のための工事も……
陸鏗:ある情況からすれば、やはり金城鉄壁ですな!
胡耀邦:ああ、金城鉄壁というなら、私はあまり同意しない。……彼らには相当強い力がある。それに渡海作戦となれば、そんなに容易なことではないからね!……だから軍事的力では我々は低評価をしていない。第二に、経済面で我々は台湾を低く見てはいない。……先ほど三つの点でと言ったが、第三の問題があるだろう。最も重要なのはアメリカの彼らに対する支持だ、これは最大の問題だ。……アメリカが政治面で彼らに与えている支持はとても大きい。
陸鏗:当然、非常に有力だ。……鄧(小平)大人は、もともと統一は80年代の三大任務の一つだと言っていたが、後には90年代の三大任務の一つだと言った。この間には……
胡耀邦:それは後になって彼がちょっと考慮し、90年代の三大任務と言ったのだ。
陸鏗:それなら、彼は最近、この事は一方的な願望だけではいけないとも言った。これは中共中央が台湾問題を解決する検討で難度が大きくなった、それで言い方に変更があったのではないか?
胡耀邦:そういうことではない、なぜなら彼は従来から和平談判は双方で話し合うものだとし、片方だけでは話せないと言っている。……和平談判なのだ、双方平等に話すということだ。いつ如何なる時でも、一方の願望だけでは話せない、多分そうした意味だ。
陸鏗:……もし本当に双方が対峙して譲らないとすれば、最後には武力解決をするのか?
胡耀邦:最近数年すでに変化が起きているでしょう。即ち蒋経国先生、彼自身の口ぶりも過去とは違ってきた。最近では和平談判を拒否はしているが、彼の大口も過去のように多くはなくなった。

 以上は台湾問題の議論のあらましだが、議論の中で胡耀邦は、現状では台湾を武力攻撃する能力がないとしながら武力攻撃の用意があることも明らかにしている。これらの点が国家機密を漏らしたとされた点かもしれない。

 次ぎに報道の自由の問題について、激論が交わされた。
 胡耀邦は陸鏗と会見する直前の1985年2月の中央書記処会議で「党の報道事業について」という講話を行い、2月8日、党の理論雑誌「紅旗」で発表された。講話はかなり長いものだが、要点は以下の冒頭の言葉に要約されている。

 我々党の報道事業とは結局はどのような性質の事業なのか?その最も重要な意義について一言で概括すれば、党の報道事業は党の代弁者だということであり、自ずと党が指導する人民政府の代弁者でもあるということだし、同時に人民自身の代弁者でもあるということだ。……最も根本的な特徴はと言えば、党の報道事業は党の代弁者だということだ。これは最も断固として正しい立場であり、かつ揺るがせにできないものだ。……

 この胡耀邦発言に対して、当時東京に駐在していた中国の特派員の中からも、彼がこんな発言をするなんてと憤慨するのを筆者も聞いたことがある。この講話について陸鏗が噛みついた。

陸鏗:あなたは「党の報道事業について」という講話を発表したのち、大きな損失を受けた!保守的な言論と開明的なイメージとは全く相反するものだ。陸鏗も含め海外の反響も概して良くない。それでこういう言い方もある、党内の何人かの保守的な分子が、どの派とは言わないが、あなたを痛めつけようとしたのだと。……
胡耀邦:これは私が同意して発表したものだ。
陸鏗:あなたが同意して発表したのだね、だが時機的にとても不適当だ!考えてもご覧なさい、あなたのように開明的な人がどうしてこんな保守的な文章を発表できるのか?
胡耀邦:私が開明的であっても、原則を失うことはできないのだ!
陸鏗:当然原則は失えない、だがこれは通常の原則を失う問題ではない。あなたのこの講話は党内向けのもので、党内で回覧すればすむ話だ。どうして党外に持ち出したのか。私が別の方面から聞いたのだが、胡喬木が発表するように主張したそうだ。もしそうなら全く不当なことだ、これは陰謀術策だ。この話は全く違いますよね。この講話は党内向けのものだが、今外部では、香港やアメリカでは、胡耀邦は報道の自由に反対しているのだ、民間が報道に関わるのに反対しているのだと言っている。……
胡耀邦:そんなに保守的か。
陸鏗:そうだ、非常に保守的だ!先ずあなたは民間が報道に携わるのに反対している、だが私が思うに、あなたが反対している民間の報道とは、国全体の範囲内で民間の報道を指しているのではなく、党内の人のことを指しているのですね、党員は当然民間の報道に携わることはできない。
胡耀邦:私が指摘しているのは目下の一部の現象だ、目下社会で見られる一部のタブロイド型新聞のことだ、内容が不健全だ。
陸鏗:そうだ、私は真に健全な民間のタブロイド型新聞は必ずしも不許可にする必要はないと考える。……私は今もう66歳になるが、唯一の願望は70歳になった年に帰国し、過去の報道界の多くの旧友を集め、共に10億の読者を対象にした新聞を発行し、大衆の声を伝えたいということだ。彼ら(報道界の旧友たち)は大ボラだ、胡総書記が真っ先に態度表明をしていると言った。私はあなたの講話を詳細に研究した、ロスから北京に来るまでの飛行機の中で20時間あまりを費やして、最後の結論は、あなたは絶対に許可しないとは言っていないということだ。
……
胡耀邦:私のあの講話は2月8日で4月になってやっと外部に発表した。当時一部の同志は、約10%だが賛成しなかった、それで抑えていた。後に胡喬木同志だけでなく一部の同志が発表しようと言った!私は発表するなら発表しようと言った!それで発表になった。実際には、私のあの講話は大多数の同志が賛成した、しかも実践による検証を経たものだ。
……
陸鏗:私は今報道の自由のことを言っているが、私は国家全体の状況から言っているので、私自身のためではない。当然、私は将来70歳になって帰国し新聞を発行するとして、その時になってあなたがたに許可してもらいたいが、してもらえますか……
胡耀邦:望みあり!望みあり!……

(筆者の4回目のコラムに登場した元新華社高級記者の戴煌氏は、この胡耀邦講話の発表の過程について、筆者の質問に曾て次のように答えた。「当時の中共中央宣伝部部長の朱厚澤同志が事後に関係者に語ったところによれば、あの講話は当時中共中央書記処で報道工作を主管していた胡喬木書記が最終原稿にまとめ上げたものだ。朱厚澤同志は、この最終稿に基づく講話の一部の観点は、胡耀邦本人の観点と一致しておらず、胡耀邦の思想を代表することができないと考えている。中国の報道は党の代弁者である、或いは党の報道は党と人民の耳目であり、代弁者であるなどというのは、一種の伝統的な習慣的な言い方に過ぎない。」果たして真相はどこにあるのか、胡喬木が真相を知るキーマンであることは間違いないようだ。)

 会見では党内、軍部の人事、指導部内の人間関係などについても議論が交わされた。このうち鄧小平が党、政の第一線を退いても依然として党中央軍事委員会主席の地位にあることについて、陸鏗から疑問が呈された。

左から胡耀邦、鄧小平、一人置いて4人目趙紫陽左から胡耀邦、鄧小平、一人置いて4人目趙紫陽

陸鏗:現在、鄧大人が軍事委主席になっているのは、とてもはっきりした事だが、彼には権威があり、あなたが言うように、彼には優れた知恵があり,経験も豊富で、みなが彼に心服しているからだ。それならどうして彼が健康なうちに、あっさり軍事委の仕事をあなたに譲り、あなたが軍事委主席になれば、もっといいではないか、情勢はもっと安定するのではないか? 胡耀邦が軍事委主席になっても、鄧大人も健在であれば、彼はやはり上にあって正しい政策決定ができる、例え彼が早めにマルクスに会いに行く(死ぬ)ことがあっても、政局はそのままずっと安定することになる。どうして彼がマルクスに会いに行くその日になって初めて、閣下が主席にならなければならないのか?
胡耀邦:我々が考えている主要な点を、多分彼が我々のために考えていてくれるのだ。胡耀邦、趙紫陽(首相)、それぞれに今は党内の問題、経済の問題に忙しい、軍内の事については、従来年功序列の習慣があって、我々があれこれ言うより、鄧小平同志が掌握し、彼が一言いえばそれですむのだ。……目下国内の政局、具体的な事には、お年寄りたちはもう口を出さなくなった、具体的な事は我々書記処と国務院がやっている。

 このほかインタビューでは党中央政治局委員の胡喬木、党中央書記処書記の鄧力群、国家副主席の王震らに対する評価にも話が及んだ。

 ではこの会見記がなぜ胡耀邦の罪状になったのか。『中国妖怪記者の自伝』から抜き出すと以下のようになる。
 1987年3月16日、中共中央は胡耀邦を党総書記から解任する理由となった胡耀邦の過ちをまとめた秘密文書「中共中央第八号文書」を党内に配布した。陸鏗が知り得たところでは胡耀邦の過ちは大きく三つにまとめられている。第一は「党の集団指導原則に違反したこと」、第二は「資産階級自由化反対に弱腰だったこと」、そして第三に「悪巧みを抱いている陸鏗のインタビューを受けたこと」があげられているという。
 この第三の過ちについては、「胡耀邦同志は党の集団指導の原則を破り、党中央政治局の同志たちと相談せずに、悪巧みを抱いている陸鏗のインタビューを受け、国家機密を漏らした。また会見中、陸鏗が胡喬木、鄧力群を恣意的に攻撃したが、これを放任したと批判した」と概括されているという。一部にはインタビューの冒頭で、胡耀邦が反右派闘争の際、中国共産党が陸鏗を投獄したことに詫びたことも卑屈な態度だったと攻撃されたとの指摘もあった。

 更に鄧小平が党中央軍事委員会主席についていることについての胡耀邦の説明は、彼自身が党中央軍事委主席にならなかったことに不満があって、軍の保守的伝統を批判したように聞こえたのだろうと陸鏗は推測している。
 では胡耀邦が漏らした国家機密とは何だったのか。陸鏗は台湾問題のことではないかと推測している。胡耀邦はインタビューに答え、中国には台湾に対して武力行使をする力がまだないこと、だが将来的に経済力がつけば武力行使をする可能性に触れたことなどだ。
 このインタビューが行われた4年前の1981年9月30日には、中国の葉剣英全国人民代表大会常務委員長が一国二制度を含む台湾統一に関する9項目提案を行い、平和統一を呼びかけたばかりだった。
 習近平が権力掌握を勧めている現今の中国では、中国の台湾に対する武力行使といった意図は国家機密どころか、公然の主張となっている。

 この会見記には胡耀邦が談話の際に頻発する「ハ、ハ、ハ……」という笑い声や、感嘆詞、語気詞、同席者の発言などももれなく記録されている。これからも両者の丁々発止のやり取りが正確にありのまま記録された会見記であったことが分かる。胡耀邦は後に記録から自分の笑い声の部分など七カ所を削除するように陸鏗に要求したそうだが、会見記は修正されないまま発表された。筆者は陸鏗に会った際、「あなたの発言を録音するが、よろしいか」と尋ねたのに対し、「録音するのは当然だ。記憶やメモをもとにしたインタビュー記事など信用できないからね」と答えていた。このやりとりからも、陸鏗は正確を期し胡耀邦とのインタビューの際に録音をとっていたものと思われる。

 陸鏗は1990年、新華社香港分社の許家屯分社長のアメリカ亡命に協力し、その後2007年親族訪問の名目で雲南省を訪れるまで、中国入りを拒否されていた。
 陸鏗はその翌年の2008年6月22日、晩年を過ごしたサンフランシスコで亡くなった。遺骨は遺言により故郷の雲南省昆明に埋葬された。墓碑には「中国一記者陸鏗」と刻まれた。

コラムニスト
横澤泰夫
昭和13年生まれ。昭和36年東京外国語大学中国語科卒業。同年NHK入局。報道局外信部、香港駐在特派員、福岡放送局報道課、国際局報道部、国際局制作センターなどを経て平成6年熊本学園大学外国語学部教授。平成22年同大学退職。主な著訳書に、師哲『毛沢東側近回想録』(共訳、新潮社)、戴煌『神格化と特権に抗して』(翻訳、中国書店)、『中国報道と言論の自由──新華社高級記者戴煌に聞く』(中国書店)、章詒和『嵐を生きた中国知識人──右派「章伯鈞」をめぐる人びと』(翻訳、中国書店)、劉暁波『天安門事件から「08憲章」へ──中国民主化のための闘いと希望』(共訳、藤原書店)、『私には敵はいないの思想──中国民主化闘争二十余年』(共訳著、藤原書店)、于建嶸『安源炭鉱実録──中国労働者階級の栄光と夢想』(翻訳、集広舎)、王力雄『黄禍』(翻訳、集広舎)、呉密察監修・遠流出版社編『台湾史小事典/第三版』(編訳、中国書店)、余傑著『劉暁波伝』(共訳、集広舎)など。
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