北京の胡同から

第62回

映像を通じて「痛み」を共有──「地底の葬列」鑑賞会

 日中双方のメディアが互いの国について報道している内容の是非については、近年、さまざまな議論がある。だが日中を問わず、多くの人々が普段、メディアのみを通じて互いに関する情報を得ている以上、メディアを通じた交流が、今ほど重要である時はないといえるだろう。だが、その方面での試みはこれまであまりにも少なかった。
 その欠を補う試みが、昨年スタートした「東アジアメディア交流プロジェクト」だ。2回目となる今年は、「地域開発とメディア」をテーマに、3月15日に北京、17日には広州で開催された。

古くて新しい問題

 北京での会場は、建国門外大街にある国際交流基金のホール。開会のあいさつの後、まずはドキュメンタリー映画「地底の葬列」の鑑賞が行われた。「地底の葬列」は最終的に93人の死者を出した1981年の北炭夕張新炭鉱ガス突出事故に焦点を当てつつ、炭鉱の町夕張の特色や栄枯盛衰を詳細に記録した作品。当時の労働争議や閉山前後の炭鉱労働者たちが内部に抱えることになった亀裂や矛盾なども生き生きとレンズに収めている。大胆な切り口と丹念で密着した取材、豊富な資料やインタビューなどが特色で、1983年度の文化庁芸術祭大賞を受賞した。

映画の鑑賞風景(写真/渡邉氏提供)

◀映画の鑑賞風景(写真/渡邉氏提供)

 作中で焦点が当てられた問題、つまり石炭、石油、原子力といった、国のエネルギー政策の対象のシフトに無情にも振りまわされる地方都市の現状、国策を担う巨大企業と政府との癒着、労働者の権利の保障などの問題は、現在の日本や中国にとっても切実なものばかりだ。そもそも、炭鉱の安全管理や安定した経営は現在の中国でも重要な課題であり、炭鉱を福島の原子力発電所に置き換えれば、大事故発生後の町の荒廃、十分な保障もなく危険な労働を担う原発ジプシーの存在なども容易に想起される。つまり、作品が扱っている問題は決して過去のものでも外国のものでもない。そういった意味で、本作を今、中国で観る意義の高さは明らかで、この作品を選んだ主催者の選択眼の確かさに敬意を覚えた。

メディアの役割を強調

 ドキュメンタリーの鑑賞後は、制作者の後藤篤志氏が「炭鉱事故とメディアの役割」をテーマに講演を行った。
 後藤篤志氏は元北海道放送の記者であり、150年前に採掘を初めてから、3000人を事故によって犠牲にしてきた夕張炭鉱の現状を知り、「その根を掘り下げたい」と、ドキュメンタリーの制作を始めたという。「地底の葬列」の完成後も、地方メディアの強みを生かし、夕張炭鉱の問題を定期的に記録し続けてきた。
 後藤氏によれば、炭鉱が原子力発電に変わった今も、それが巨大ピラミッド構造の中にある点は同じだ。氏は夕張が経た状況と福島が現在抱えている問題との共通性を示唆しつつ、貧しい農村から鉱山や工場へ人が流れ込んでいる状況は国境を越えて共有されているものだとして、経験の共有の重要性を語った。また、参考事例として、閉山後に夕張市が行っている観光による復興や夕張映画祭などの試みについて言及した。
 次に、北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院の渡邉浩平教授によるレポート、「閉山後の夕張」が発表された。2007年に財政破綻した際、夕張市の債務は353億円に上っていた。また、現在65歳以上の住民が50%近くに上っている。過疎化も進行した結果、現在は市全体に公立小学校が一つしかない。そういった現象を挙げた上で、破産した後の政府の状態を知るなら、夕張が参考になるとし、日中で情報を共有すべきであること、その際にメディアが果たし得る重要な役割などに言及した。

観衆の質問に答える後藤氏(写真/渡邉氏提供)

◀観衆の質問に答える後藤氏(写真/渡邉氏提供)

多様で活発な質問

 会場を埋めていた観客の多くは、中国のメディア関係者やメディア関係を専門とする学生たちだった。イベントの重要な趣旨が、「良質なメディア作品を通じた議論の場の提供」だっただけあって、最後の質疑応答には十分な時間がとられ、寄せられた質問内容も個性的で興味深いものだった。参考のため、以下にその抄録を記す。

質問:この作品のようなドキュメンタリーを、今の福島で撮るのは難しいようだ。なぜ今の日本ではできないのか。日本のジャーナリズムの精神や伝統はどこに行ったのか。
後藤氏:NHKや民間のメディアも少しずつ福島の記録はしている。現場の人々は危険なところにも入って仕事をしている。事故三周年の3月11日にも、福島の人々の大変さを伝える番組が放映された。ただ、自分としては、もっと核心をえぐるような作品が作られるよう希望しており、そう後輩を励まし続けてもいる。
 もっとも、これには作り手の問題だけでなく、硬派の作品を好まないという、観る側の問題も無視できない。民放では、ゴールデンタイムにはドキュメンタリーは観てもらえない。そのため、仕方なく深夜にひっそり流す、という傾向がある。
質問:失業した炭鉱労働者たちは夕張の再建の際、新しい産業の導入にどれくらい主体的に関わることができたのか。
渡邉氏:残念ながら、自分たちで仕事を作り出していける状況にはなかった。多くの炭鉱労働者は次々と町を出て行ったが、街に残った者もいる。その後、夕張では新たに観光業が試みられたが、失敗に終わった。幸い、夕張メロンは成功した。
質問:私は中国の炭鉱で10年間働いたことがある。中国では炭鉱労働者に関する報道がない。炭鉱事故の際、入り口を塞いだり、水を入れたりして問題になったというが、なぜそのようにする必要があったのか。
後藤氏:事故後も炭鉱を使えると判断した時は、水で火を消し、使えないと判断した時は、入り口をふさいだと考えられる。生産量ごとに発生した犠牲者数の割合の統計からも分かるように、当時の生産者の意識では人命より経済性が最優先だった。
質問:日本には採掘中の炭鉱はもう一つもないのか?
後藤氏:釧路に太平洋炭鉱を受け継いだ釧路コールマインという炭鉱があり、安全な採掘技術の研修の場として中国やベトナムをはじめとする世界各地の人々を受け入れている。日本は高い採掘技術を持ちながら、その利用を控えている世界でも珍しい国。ただ、中国の研修生の中には、「日本で学んだことを中国流にアレンジして、中国の安全管理のレベルを上げるのが目標だ」と語ってくれた人もいる。日本の安全対策は、多くの生命を犠牲にした上で得られたもの。それをアジアの人々と分かち合えることは、大きな慰めだ。
質問:中国では、炭鉱や工場の周辺の土壌や河川の汚染が問題になっているが、日本はどうか。
後藤氏:ないわけではない。日本にも、開発を手掛けたデヴェロッパーや産業を担った大企業だけが潤い、残された現地の人々が汚染に苦しむ、という構造がある。
質問:優れたドキュメンタリーを制作する上で、大切なことは何か?
後藤氏:原発事故による放射能汚染に関しては、除染作業に従事する人に支払われるはずの賃金が、ピンはねに次ぐピンはねの結果、支払われる時には10分の1になっていたりする。そういう話は、上の組織に聞いてもだめで、現場の人に聞かなければ出てこない。ジャーナリストの仕事には、相手を説得して、話をしてもらう努力が不可欠。その一方で、科学的な検証を行う番組を作っていく必要もある。
質問:「地底の葬列」の制作にあたって、外部からの妨害はなかったか?
後藤氏:ある炭鉱労働者を最初に訪ねた時、私の手を見て、「こんなに白い手をしているくらいだから、石炭など掘ったことがないだろう、鉛筆しか持てないお前に何が分かる!」と追い返されたことがあった。でもお酒を持参したりしながら誠意をもって何度もそこに通うと、最終的には仲良くなり、話をしてもらうことができた。夕張には、顔は鬼瓦のようでも、ほんとうは心優しい人が多い。
 番組への圧力もなかった訳ではない。企業への批判が厳しすぎるのではないか、という指摘もあった。でも、受賞してからは、プレッシャーが和らぎ、批判の声も減った。そのため、私も制作者はもっと自由に制作してよいはずだ、と思うことができた。

後藤篤志氏と渡邉浩平氏(撮影/張全)

◀後藤篤志氏と渡邉浩平氏(撮影/張全)

夕張の経験を共有する

 以上のやりとりからも、今回のイベントの意義の多様さが伝わってくるが、この他にも、参考になったり考えさせられたりした応答はいくつもあった。例えば、「地底の葬列」の政治性をめぐる質問への答えの中で、作品がかつて左翼的で「真っ赤だ」とさえ指摘された際、後藤氏は「はい、赤い紅葉を撮りました」と答えたという。日本でも、政治的傾向の議論が時に作品自体を置き去りにしてしまった時代があった。作品を生硬な政治的色付けから救うためには、今の中国と同じく、当時も機知や思慮に富んだ対応が制作者に求められたのだろう。
 最後に渡邉氏は、今回のプロジェクトを始めた動機をこう語った。「社会が発展する段階ではいろんな矛盾が噴き出すが、その中でメディアは大きな作用を果たす。そういった意識から、今回の活動を始めた」。デフォルトの懸念、原子力政策の推進など、不安を覚えさせる動きが中国でも目立つ中で、今回の試みは実にタイムリーだ。「みなに夕張を見て、考えてもらいたい」との声は、日中関係の真の意味での改善をも志向するもので、実に頼もしい。
 文化や言語、政治の差がどうあれ、映像作品はしばしば、その圧倒的な情報量によって、人間、あるいは人間の社会には共有できるものがたくさんあることを教えてくれる。国境を越えて同じ問題と向き合い、経験を共有し、そこから学ぶことはとても大切だ。今回のような試みが今後も継続されることを願ってやまない。

コラムニスト
多田 麻美
フリーのライター、翻訳者。1973年静岡県出身。京都大学で中国文学を専攻後、北京外国語大学のロシア語学科に留学。16年半の北京生活を経て、2018年よりロシアのイルクーツクへ。中国やロシアの文化・芸術関係の記事やラジオでのレポートなどを手がける。著書に『老北京の胡同』(晶文社)、『映画と歩む、新世紀の中国』(晶文社)、『中国 古鎮をめぐり、老街をあるく』(亜紀書房)、『シベリアのビートルズ──イルクーツクで暮らす』(2022年、亜紀書房刊)。訳著に王軍著『北京再造』(集広舎)、劉一達著、『乾隆帝の幻玉』(中央公論新社刊)など。共著には『北京探訪』(愛育社)、『北京を知るための52章』(明石書店)など。
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