燕のたより

第39回

「高速」な中国における「低速」な人生──「路橋人」残酷物語

張贊波監督(左)と著者

▲張贊波監督(左)と著者

1.

『大路──高速中国里的低速人生』のジャケット

◀『大路──高速中国里的低速人生』のジャケット

 「大路──高速中国里的低速人生」というタイトルで、中国の独立プロダクションの映画監督、張賛波はドキュメンタリー映画(未公開)を制作し、また同名の著書を台湾八旗文化出版社から2014年9月に刊行した。
 タイトルの「大路」は、具体的には高速道路を指している。中国は国策として猛烈なハイスピードで都市化を押し進め、高速道路を次々に建設し、煌(きら)びやかな発展ぶりを見せつけている。市街地の道路を高架化して、都市型の高速道路網を整備し、それを民族的なプライドに結びつけてナショナリズムを高揚させている。さらに都市と都市を高速道路で繋ぎ、高速道路網を全国的に展開し、欧米や日本に追いつき、追い越そうと、躍起になって拍車をかけている。
 「中国の奇跡」
 「中国式高速」
 「道を拓いて豊かになれ」
 「急速な発展を押し進めないやつは千年の歴史に刻まれる犯罪者だ。急速な発展を押し進めないやつは人民に対する不孝者だ。急速な発展を押し進めないやつは悪魔悪人だ」
 このように強大な中国のイメージを喚起する、どぎつい愛国主義スローガンは隅々にまで浸透している。
 ところが、共産党独裁政権の開発至上主義による官製事業のため、建設プロジェクトは腐敗汚職にまみれている。それが格差拡大、土地の強制収容、自然破壊、環境汚染、伝統文化の破壊などの諸問題と絡みあい、その負の連鎖、相乗効果で深刻化の一途をたどっている。
 このため、かねてから圧政に苦しめられていた庶民は鬱憤や怨嗟を募らせるばかりだが、反抗すれば残酷に弾圧されるので、とにかく生きるためにはと、仕事を求めて道路や橋の建設現場で働く。このような出稼ぎの農民工は「路橋人」と呼ばれている。
 しかし、国家の威信をかけた華麗な大型プロジェクトとは裏腹に、現場で建設する「路橋人」は理不尽に扱われ、使い捨てられ、血の代価を押しつけられている。
 この現実を、張賛波は単身で湖南省叙懐高速道路の建設現場に三年間も潜入し、労働者とともに働き、同じ釜の飯を食いつつ、ハンディなビデオ・カメラを駆使して記録して、ドキュメンタリー(映画と著書)として世に送り出した。それは「路橋人」残酷物語と言える。

2.

 「大路」には「大路朝天、各走一辺」という意味もある。大きな路でも、各自がそれぞれ思い思いに歩いているという状況である。
 また「道、同じからざれば、相(あい)為(ため)に謀(はか)らず」(『論語』衛霊公篇)もある。進むべき道(=路)が違っている者とは、ものごとを話し合うことはできないということである。
 これらを踏まえて、ドキュメンタリーでは「大路」に、さらに二つの意味を込めている。
 まず、高度経済成長とは無関係な社会の最下層の農民や庶民が苦痛にさいなまれて、国家や民族の「偉大なる復興」という「大路」など歩めない、どん底に突き落とされている現状である。
 次に独裁体制の官方から独立し、検閲に抵抗し、不敵に権力の残酷な暴力や虚飾、偽善、欺瞞を暴露し、中国の歴史を通して大多数を占める「民」の姿を撮り続ける張賛波の意志を示している。これこそが歴史の「大路」だという自負である。

3.

 高速道路や橋など巨大プロジェクトは壮麗な鳴り物入りで喧伝されるが、実際の建設は「段」ごとに行われている。この「段」とは、長い高速道路を一定間隔で区切った単位である。
 そして、巨額な資金が「段」に降りてくるまでには、下請け、孫請け、またその下請け……と、いくつもの中間搾取があり、最後は微々たるものとなってしまう。このため、高速道路を建設する「路橋人」は「低速」な人生を強いられている。
 彼らは道路や橋の建設現場を渡り歩き、ビニール・テントの間に合わせの宿泊所で、一部屋に数人から十数人も詰め込まれて寝起きして、汗にまみれて道路や橋を建設する。労働契約はなく、まして失業・医療・年金などの保険もない。
 出稼ぎ先では学校もない。このため、子供を実家の両親(子供の祖父母)にあずけるが、家庭教育やしつけは不十分で、経済格差ばかりか教育格差まで拡大する。
 このような「路橋人」は、「段」を請け負う業者(と言うより「土方」の「親方」「親分」)が地縁、血縁を通して集める。そして、いくつも搾取されて残ったわずかな資金で建設することになるが、最終的に親分もできるだけ搾り取ろうとするから、資材は不十分で(偽物も多い)、労働条件は劣悪である。
 こうして手抜き工事だらけになるが、これで早く壊れた方が次の仕事ができてよいと考える。安全など少しも省みず、怨嗟や憎悪も吸い込んで腐敗は止まるところを知らない。

4.

 張賛波は、先述した叙懐高速道路プロジェクトの「第十四段」に三年間も潜入し、ビデオ・カメラの焦点を高速道路が通る人口八百人ほどの村である中伙鋪に当てた。この村は高速道路に突っ切られたため激震に見舞われた。
 住居や耕地は強制的に収用された。大型道路建設用のクレーンや運送車などが村を乱暴に突き進むようになり、村人は無残に轢き殺されたが、わずかな補償金しか支払われなかった。
 千年の悠久な歴史のある留雲寺は数キロも離れたところに移転させられた。新しい寺は粗末なもので、仏像の足には、何と、連絡先として携帯電話の番号が書かれていた。信仰など全くお構いなしで、ただ利益を追求するだけである。
 しかも、新しい留雲寺は「和諧寺」として、国策に沿い(胡錦濤政府は「和諧(調和)社会」を提唱)、地元の宗教管理局から「和諧寺を創る先進的グループ」として表彰され、真っ赤な表彰状を授与されるとともに、大きな横断幕を掲げさせられた(赤は共産党を象徴する色)。やはり信仰は無視されている。
 これでは当然、抗議が起きる。村民は工事車両を阻止しようとしたが、残酷に鎮圧された。その中にいた老婆でさえ、電気ショック棒で失神させられた。

5.

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 「路橋人」の賃金は、巨大な利権のごくわずかな「おこぼれ」なのだが、収入はこれしかないと、彼らはすがりつく。
 もちろん「路橋人」たちは、高級幹部が腐敗汚職で暴利を貪っていることを知ってる。しかし、それが逮捕されたら、「おこぼれ」さえなくなるから、反腐敗キャンペーン(内実は権力闘争)など無関心である。
 しかも、わずかな賃金さえ、しばしば未払いとなる。だが、労働契約などないから、泣き寝入りするしかない。
 そのため、出稼ぎ先から帰郷する時、列車の乗車券さえ買えない。ところが、こんなことで諦めずに無賃乗車をする。貨物列車に潜り込むのもいる。
 駅員や車掌に見つかっても、「おれは国家の高速道路の建設労働者だ。罰金なんか払うもんか」などと居直り、うっぷん晴らしをする。

6.

 出来高払いの苛酷な長時間労働や劣悪な労働条件(事故は頻繁)に加えて賃金の未払いとなれば、当然、憤慨して訴える者が現れるが、門前払いにされる。
 それでも上級機関に上訪(直訴)しようとすれば、業者と当局と黒社会が利益共同体でグルになって、直訴者を叩きのめして半殺しにさえする。
 そして、わずかな補償金を示し、これを受けとらないなら、次は半殺しではすまないぞという脅しをちらつかせながら、示談にさせる。この補償金から、さらに保険会社が手数料をさし引く。

7.

 張賛波は、このような「路橋人」の仲間となり、兄弟ともなり、もって生まれた真摯な人柄とヒューマニスティックな観察眼で建設現場の日常生活をカメラに収めた。
 この現場では湖南、四川、広東などから来た「路橋人」が働いていた。彼らはビデオカメラを向ける張賛波に対して、「何のためだ(スパイか))?」、「CCTV(国営放送)に出たいな」、「何だ、そんなちっぽけなやつ」、「腎臓が悪いから検査してくれ(レントゲン検査と誤解)」などと声をかけた。
 「路橋人」の他にも、業者の「龍老板(龍ボス)」、下請けの「老何(ラオフウ)」、湖南人の「老姜(ラオジャン)」、耕地や住まいを強制収用された欧おばあちゃんと孫、強制立ち退きを拒んだ「釘子戸(周囲がさら地になっても釘のように立ち立ち退かない)」の「老蕭(ラオショウ)」、田舎教師、そして「路橋人」につきまとう売春婦などを記録した。
 劣悪な環境で単調な生活を送る「路橋人」にも、数少ないが、娯楽がある。ワイワイとマージャンで遊び、また、かつて毛沢東の時代は平等だったというイメージに操られ、「紅歌(革命歌)」を合唱しては、から元気を出す。中東の戦争が話題になると、自分の権利さえ守られていないのに、政府の反米ナショナリズムの受け売りで「自分の政権を固めるためには流血の暴力は必要だ」などと興奮して語る(毛沢東の「政権は銃口から生まれる」はよく知られている)。
 そして売春婦は「路橋人」が血と汗で稼いだささやかなお金を最後の最後まで吸い尽くす。荒涼とした状況は底知れない。

8.

 張賛波は中国共産党の「喉と舌」と呼ばれる中央宣伝部の管轄下にある映画プロダクションやテレビ局には属さず、個人で「小電影(小映画)」を制作し、映画人の魂を発揮している。
 これまでの作品には「天から落ちてきた!」がある(日本でも上映された)。それは、人工衛星打ち上げロケットの残骸落下地点とされた湖南省綏寧県で、住民は打ち上げのたびに落下物の恐怖に晒されているが、役人は発展のために犠牲はやむを得ないという状況を明らかにしたドキュメンタリー映画である。

9.

 張賛波はじめ、独立プロの作品は、ほとんどが上映禁止で、「地下映画」として観るしかない。
 北京、上海、南京などで上映会が計画されるが、まず会場を探すことが難しい。ようやく借りられても、キャンセルされる。さらに上映にこぎ着けても、途中で突然停電となるなどいやがらせを受ける。
 北京郊外の宋荘アート・コミュニティでは、毎年「独立映画祭」が開かれてきたが、2012年は、上映開始後、間もなく電力が止められ、主催者が必死で上映を続けようとしたが、三時間足らずで中止となった。2013年は、公の場での上映すら禁じられたため、内部の上映としてやっと開催できた。
 今年、2014年は、8月から9月にかけて、開催が試みられたものの、関係者は連行され(釈放後も監視)、フィルムやDVDは没収された。
 このように年々、統制が強まっている。

10.

 今年(2014年)9月、私は、台北の紀州庵(台北市文化局開設の文学サロン。以前は日本料亭)で、張賛波と会った。彼は湖南の同郷人である。
 そして、新著『大路──高速中国里的低速人生』の出版記念会に参加した。会場は八旗文化出版社が運営する読書サロンであった。
 張賛波は、中国の独立プロがモットーとする「自由の精神、独立した思索、実践の力量」を信条としている。
 彼は、次のように語った。
 「余りにも理不尽な差別、不公平、不義にいたたまれず、いつもカメラをわきに置いて「路橋人」たちに加わって闘おうという気持ちになる。でもガマンにガマンを重ねて、したたかに生きる庶民の姿や一党独裁の闇を、歴史の証人として記録している。燕子にはペンがある。ぼくには小型カメラがある。真実を記録し続ける。」
 そして、顔をほころばせた。

コラムニスト
劉 燕子
中国湖南省長沙の人。1991年、留学生として来日し、大阪市立大学大学院(教育学専攻)、関西大学大学院(文学専攻)を経て、現在は関西の複数の大学で中国語を教えるかたわら中国語と日本語で執筆活動に取り組む。編著に『天安門事件から「〇八憲章」へ』(藤原書店)、邦訳書に『黄翔の詩と詩想』(思潮社)、『温故一九四二』(中国書店)、『中国低層訪談録:インタビューどん底の世界』(集広舎)、『殺劫:チベットの文化大革命』(集広舎、共訳)、『ケータイ』(桜美林大学北東アジア総合研究所)、『私の西域、君の東トルキスタン』(集広舎、監修・解説)、中国語共訳書に『家永三郎自伝』(香港商務印書館)などあり、中国語著書に『這条河、流過誰的前生与后世?』など多数。
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