燕のたより

第45回

過ぎ去らぬ文化大革命──文革勃発50周年に際して

思想(2016年1月号)

◀思想(2016年1月号)

 我行殊未已〔我が行、殊に今だ已(や)まず〕
 何日復帰来〔何れの日か、復た帰来せん〕

 初唐の詩人、宋之問の詩句を詠みながら、気がせかされながらあっという間に過ぎ去った一年間に思いをはせています…。
 一年を締めくくるに際し、「日、暮れて、途、遠し」の感は否めませんが、「我が行く、今だ已まず」を噛みしめています。
 教鞭をとり、諸事に忙殺されながら、夜の闇に言葉を立ちあげられない悲哀や寂寞、時に苛立ちに包まれて、コツコツと日中両語で翻訳や著述を書きつづってきました。

 『思想』2016年1月号では、日本のみなさんにも記憶にある世界を震撼させた文化大革命を特集しています。来年は文革勃発50周年になります。
 その時、三島由紀夫、川端康成、安部公房、石川淳の作家四名は、昭和42(1967)年2月28日、「文化大革命に関する声明」を発表しました。

 昨今の中国における文化大革命は、本質的には政治革命である。百家争鳴の時代から今日にいたる変遷の間に、時々刻々に変貌する政治権力の恣意によって学問芸術の自律性が犯されたことは、隣邦にあって文筆に携はる者として、座視するには忍ばざるものがある。
 この政治革命の現象にとらはれて、芸術家としての態度決定を故意に保留するが如きは、われわれのとるところではない。われわれは左右いづれのイデオロギー的立場をも超えて、ここに 学問芸術の自由の圧殺に抗議し、中国の学問芸術が(その古典研究をも含めて)本来の自律性を恢復するためのあらゆる努力に対して、支持を表明するものである。
 われわれは、学問芸術の原理を、いかなる形態、いかなる種類の政治権力とも異範疇のものとみなすことを、ここに改めて確認し、あらゆる「文学報国」的思想、またはこれと異形同質なるいはゆる「政治と文学」理論、すなはち、学問芸術を終局的には政治権力の具とするが如き思考方法に一致して反対する。

翌3月1日付「東京新聞」掲載。(『三島由紀夫決定版全集36巻』新潮社、p.477)

 虚飾に満ちた文革の本質を鋭く剔抉し、今日でも警抜なメッセージであり、胸に刻み込まれています。

 文革について、中国共産党政府は「歴史決議」で否定していますが、あくまでも部分的で不完全で、自分に都合のよい解釈が多々あります。しかも少数民族地区における文革には全く触れないどころか、むしろ、これにより真相の究明を抑え込んでいます。今日、中国では自由な言論空間はますます狭められています。ですから、この特集が日本から閉鎖的な言論空間を切り開く突破口になること願うばかりです。
 楊海英氏による「思想の言葉」では、文革の前に推し進められた「社会主義教育運動(四清運動)」との「連動性」が指摘されています。実際、毛沢東は「社会主義教育運動についての指示」(一九六三年五月)で「こんどの運動では、人を殺して証拠を残さぬほど〔徹底的に-訳注〕やるべきである。/大衆をたち上がらせ、四清〔運動-訳注〕をやるのははげしいことなのだ」と指示しました(東京大学近代中国史研究会訳『毛沢東思想万歳』三一書房、一九七四年、下巻、六二頁)。
 まさに、これが文革で全面的に繰り広げられたのです。特にチベットの文化大革命は、「チベット」と「文化大革命」という中国における二つのタブーの組み合わせであり、二重に封印されてきました。これを解き放ったのがツェリン・オーセルの『殺劫-チベットの文化大革命-』であり、それはチベット文革研究の嚆矢となりました。
 しかし『殺劫-チベットの文化大革命-』は中国大陸では出版できず、台湾で刊行されました。大陸への持ち込みは厳禁されています。
 また、楊海英氏の『墓標なき草原』のモンゴル版を所持していた若い女性は内モンゴルで逮捕されました。
 今年の八月、リベラル知識人が集う書店「万聖書園」にある喫茶店「醒客・thinker」で、私はオーセルと語りあいました。文革五〇周年について尋ねると、「イデオロギー統制においてはチベットは依然として文革の時代と同じです。言わばチベットでは文革は終焉していません。二〇〇八年のチベット抗議事件はその帰結ですが、中国政府はこれを反省しないどころか、さらに統制を強め、様々な物理的暴力とともにチベット文化全体を否定する文化的ジェノサイドを押し進め、まさに革命=殺劫(サルジェ)の再来です」と答えました。
 このような状況に対して、オーセルは「著述は祈ることであり、巡り歩くことであり、証人になることである」という理念で書き続けています。
 八月の北京に吹く乾いた風は、pm2.5に満ちていますが、馥郁としたすがすがしさを運んでいました。

 『思想』2016年1月号の目次は、以下のとおりです。是非ご一読ください。

  • 楊海英(静岡大学)「思想の言葉」
  • ロデリック・マックファーカー(ハーバード大学)「文化大革命のトラウマ」(福岡愛子訳)
  • 国分良成(防衛大学校)「歴史以前としての文化大革命」
  • 加々美光行(愛知大学)「中国文化大革命の歴史的意味を問う」
  • 福岡愛子(社会学者)「60年代西側諸国にとっての文化大革命──日・仏・米それぞれの意味づけ」
  • 楊海英「内モンゴルの中国文化大革命研究の現代史的意義」
  • 啓之(元北京電映学院)「内モンゴル文化大革命における『えぐり出して粛清する(挖粛)』運動──原因、過程、及び影響」(劉燕子訳)
  • ツェリン・オーセル(チベット詩人・作家)「『殺劫』──チベットの文化大革命における一連の事件を手がかりにして」(劉燕子訳)
  • 劉燕子(関西学院大学)「社会暴力の動因と大虐殺の実相──譚合成『血の神話』における湖南省道県のケースから」
  • 谷川真一(神戸大学)「政治的アイデンティティとしての『造反派』」

 文革とは何であったのか? 日本、そして世界にいかなる影響を与えたのか? 50周年を迎える現在、再び問われています。

コラムニスト
劉 燕子
中国湖南省長沙の人。1991年、留学生として来日し、大阪市立大学大学院(教育学専攻)、関西大学大学院(文学専攻)を経て、現在は関西の複数の大学で中国語を教えるかたわら中国語と日本語で執筆活動に取り組む。編著に『天安門事件から「〇八憲章」へ』(藤原書店)、邦訳書に『黄翔の詩と詩想』(思潮社)、『温故一九四二』(中国書店)、『中国低層訪談録:インタビューどん底の世界』(集広舎)、『殺劫:チベットの文化大革命』(集広舎、共訳)、『ケータイ』(桜美林大学北東アジア総合研究所)、『私の西域、君の東トルキスタン』(集広舎、監修・解説)、中国語共訳書に『家永三郎自伝』(香港商務印書館)などあり、中国語著書に『這条河、流過誰的前生与后世?』など多数。
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