集広舎の本

人間の条件 1942

人間の条件 1942

人間の条件 1942
誰が中国の飢餓難民を救ったか
劉震雲著/劉燕子訳
四六判上製本 364頁
ISBN:978-4-904213-37-7 C0097
集広舎刊 定価:1,836円(本体1,700円+税)  
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こんな事実があったとは!
2012年映画になったシナリオも収録!
1942年、戦争と飢餓に襲われ、
政府に見放された中国内陸部・河南省の3000万人の民。
大量の餓死者を出し絶望の淵にあった彼らを救ったのは
祖国ではなかった。それは日本軍であった。
長年タブー視された極限状況の人たちの史実を、中国で大きな反響を呼んだ
ルポルタージュ小説と映画版の2部構成で映し出す。

解説

天災と人災が重なりあい、1942~43年に人口3000万人の河南省で300万人(一説では500万人)の餓死者と300万人の難民が出るに至りました。事態は絶望的でしたが、この大飢饉を終息させたのは、何と、軍糧を放出して難民を救済し た日本軍でした。しかし、中国では日本軍は絶対な悪とされ、この史実はタブーの如く封印されてきました。このタブーを突き破ったのが、このルポルタージュ小説『温故一九四二』(原題)です。
(本書「訳者あとがき―解説のために」より抜粋)

著者

劉震雲(リュウ・チェンユン)作家、中国人民大学文学院教授。1958年、河南省延津県に生まれ、1973年から78年まで人民解放軍の兵役に就く。78年から82年まで北京大学中文系に学び、82年から文学作品を発表。著書に『劉震雲文集』全十巻、長編小説『一句頂万句』など多数。「温故一九四二」は2012年に中国最大のポータルサイト「新浪」で良書ベストテンに入選し、また映画版はイラン国際映画祭脚本賞など数多く受賞。日本語訳には他に「手機」(『ケータイ』劉燕子訳)や『我叫劉躍進』(『盗みは人のためならず』水野衛子訳)がある。

訳者

劉燕子(リュウ・イェンツ)作家、現代中国文学者。中国北京で生まれ、湖南省長沙で育つ。大学で教鞭をとりつつ、著書や訳書は、日本語では『黄翔の詩と詩想』、『温故一九四二』、『中国低層訪談録―インタビューどん底の世界』、『殺劫−チベットの文化大革命』(共訳)、『ケータイ』、『私の西域、君の東トルキスタン』(監修・解説)、『天安門事件から「〇八憲章」へ』(共著)、『「私に敵はいない」の思想』(共著)、『チベットの秘密』、『安源炭坑実録−中国労働者階級の栄光と夢想』(コーディネート・解説)など。また中国語では『你也是神的一枝鉛筆』、『没有墓碑的草原』など多数。

書評 BOOKREVIEW

人肉カーニバル、餓死、死体の山
誰が中国河南省の未曾有の飢饉を救ったのか?

 中国では日本人が逆立ちしても考えられないことがよく起きる。ありもしなかったことを「あった」と言うのは平気(所謂『南京大虐殺』)、あったことを『なかった』と宣言するのも平気(天安門事件)。
 ひとりの人間が死んでも大騒ぎをする日本と、三百万人(300人ではありません、念のため)が死んでも気にもしない中国。この彼我の隔たりはいったい何から来ているのだろう?
 日本で餓死者が連続したのは室町末期、世の太平が崩れ、京は飢えと盗賊と、対決する匪賊と、そして命がけの食料奪取合戦。おもわず映画「鮫」を思い出した。応仁の乱の頃である。
 ところが日本で言う昭和の御代にお隣の中国は飢餓、蝗害。

 本書の副題は『誰が中国の飢餓難民を救ったか』、そして先に回答を書いておくと、それは日本軍だった。
 慈悲深き日本人は飢え死にしてゆく無辜の民を捨て置く中国の軍閥指導者や政治家とはことなって自分の食料を犠牲にしても人道的救助に邁進する。
 蒋介石は逃げるときに河南省の花園堤防を切って、溺死者が百万近くでたが「それは日本軍がやった」と空とぼけて、決して責任をとらなかった。
 洪水の犠牲を最小限におさえ、蒋介石軍の追跡より溺死者の救助にあたったのは日本軍だった。この美談を決して中国では教えていない。
 1942年、河南省では飢饉により、300万人が餓死し、ほかに300万人が山西省へ逃れた。かれらを救ったのも日本軍だった。日本軍は自らの糧食を供給し、人道的立場から餓死寸前の民を救援した。
 しかし、このことを中国政府は一切口にせず、箝口令を敷いた。この日本軍の美談は箝口令が敷かれたのだ。
 1989年6月4日、天安門事件で無辜の学生、市民を軍が虐殺し、世界は総立ちになって中国を制裁した。中国は孤立したが、対外矛盾とすり替え、学生運動を『反革命暴乱』などと定義した。
 しかし経済的孤立に耐えきれず、日本が経済支援を開始する。それも方励之博士の米国亡命と引き替えに、1991年に日本が経済援助を再開するという(米国から飲まされた)筋立てがあった。そして日中の雪解けムードが先行し、ようやく中国で1993年、この本の原著の発表にこぎ着けた。しかも2012年は映画にもなった。
 本書は、その埋もれていた日本軍の美談をルポルタージュ小説に仮託した原著と、映画のシナリオを併載した二部構成となっている。このように歴史に埋もれていた美談、もっともっと人口に膾炙してほしいものである。

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」平成28年(2016)2月2日(火曜日)通算第4795号

 

書評 BOOKREVIEW

絶望を支えたもの、民を救ったもの

 本書は、1993年に出版された中国の作家劉震雲のルポルタージュ文学「人間の条件1942」と同作品を2012年に映画化された際のシナリオで構成されている。
 小説は、1942年河南地方で起きた300万人の餓死と、同数に及ぶ飢餓難民の発生を、当時を知る人びとを取材していく過程が描かれている。その中で最も印象に残るのは「飢え死にかい?そんな年はたくさんありすぎるんでね。いったいどの年のことをいっているんだい?」という老婆の、大躍進時代の数千万の餓死を示唆する言葉である。
 1942年の餓死の原因は干ばつは蝗害だった。しかし、蒋介石は事態を知っていたにもかかわらず、アメリカ人記者ホワイトの直訴と、彼の記事が「タイム」に掲載されるまでは手を打たなかった。蒋介石にとって、国際情勢や外交は重要であっても、民衆の餓死はさしたる問題ではなかった。国際的な批判を恐れて蒋介石は支援を始めるが、それは形ばかりのもので、しかも支援を横領する地方幹部が続出した。
 著者は民衆を単なる被害者としては描いていない。彼らは飢餓の中でモラルを失い、人身売買が常態化し、親が子を食うまでに至ってゆく。著者は「誰ひとり蜂起せず、ただ身内のあいだで共食いする民族には、いかなる希望も見いだせない。」と、蒋介石の専制権力を支えていたのは実は奴隷民衆だったことを暴いてゆく。
 飢餓を救ったのは、海外からの支援物資と、献身的に現場で活動した宣教師たち、そしてなんと河南の被災地区に進駐した日本軍の支給した軍糧食料だった。命を救われた彼らは日本軍に協力し、中国軍の武装解除まで行った。この時、日本軍の力を借りたとはいえ、民衆は奴隷的状態から脱却していたはずである。
 本書のあとがきによれば、本作は様々な制約下で映画化された。シナリオに散見する日本軍の残虐行為などは、公開の為のアリバイとして無視すればいい。一切の綺麗ごとなく飢餓難民の実態が地獄めぐりの悲喜劇のように描かれ、まるで黙示録の訪れのように戦場のシーンが登場するあたりの映画的カタルシスは、シナリオだけでも充分伝わる。私が最も共感した人物は、難民となった旧地主と中国人宣教師だ。当初は特権階級だった二人は、絶望的な情況の中、逆に人間として成長していく。宣教師は教会の偽善性を悟って狂気に至り、地主はすべてを失った後、一人の少女に出会い希望を見出すのだが、一方は悲劇、他方は希望に見えて、共に正面から状況に立ち向かった人間の姿として深い感動を呼ぶ。冒頭に紹介した老婆の言葉がいかに効果的にこの映画の最後のナレーションとして使われているかは、ぜひ本書に直接当たられたい。

評論家 三浦小太郎(「正論」平成28年4月号 読書の時間)

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