狼の見たチベット

第27回

自死したプンツォク

 2011年3月11日、東日本を大規模な震災が襲った。多くの人々が命を失い、生き残った人々の中にも生活の基盤を根こそぎ失った者は少なくない。

 吾輩は狼である。吾輩の筆記係が、この文を書いているのは東日本を大震災が襲ってから40日ほどたった日だ。被災地はまだまだ復興への光は見えず、多くの日本人は目に見えぬ放射能の影におびえている。今は、遠い遠いチベットの事など気にする暇があれば、東日本で苦しんでいる同胞を救うべき時であり、こんな文章を読む人は一人もいないかもしれない。しかし、日本がどんなに大変な状態であろうと世界の時計は停まってはくれないので、今起きていることを記録に残す。

 2011年3月16日、中国政府に抗議するために自ら命を絶った若者がいた。プンツォクという20歳の僧侶だ。
 ところで吾輩は自殺というものを全否定する。チベット人だろうが、中国人だろうが、フランス人だろうが、日本人だろうが、人種・国籍によらず、自ら死を選ぶ行為を支持しない。どんな崇高な理由があろうと、どんな惨めな状態におかれていようと、死は死であり、死んでしまえば全ては無だからだ。世の中に生き続けたいのに生き続けられない人間が、どれだけいると思っている。自ら死を選ぶような奴は馬鹿野郎だ。
 話をプンツォクに戻す。プンツォクは東チベット、アムドのンガバという地域にあるキルティ僧院(キルティ・ゴンパ)という大きな寺院で修行している僧だった。キルティ僧院は、この地域でのチベット仏教ゲルク派(ダライ・ラマが属する宗派)の最大の僧院で3000人以上の僧侶たちが生活している。吾輩たち野生動物からすれば地名などどうでもいいのだが、お前さんたち人間は、ンガバなどという聞きなれない地名を、いきなり言われても困るかと思う。大雑把に言うと、ンガバとはパンダの故郷として知られる四川省の西部だ。2008年の四川大地震の被災地と言った方がわかりやすいかもしれない。2008年3月にチベット全土で大規模な抗議行動が起きた時、ンガバでも呼応し3月16日に抗議行動が起きた。その抗議のデモは武装警察と兵士たちの銃撃で鎮圧され、30人以上の命が失われた。命を失った者の中には妊婦や16歳の女子学生もいた。
 このことにより、ンガバの人々にとって3月16日は忘れられない日となった。当時、プンツォクは17歳だった。彼も他の多くのチベット人と一緒にこの時の抗議デモに参加している。彼は、デモに参加した人々が武装警察に無残に蹂躙され命を奪われる姿を自らの目で見た。そして、それから3年間、多くの犠牲にも関わらず何ら改善されず、むしろ悪くなっていく中国政府によるチベット支配の姿を見続けてきた。
 プンツォクが、この3年間、何を考えてきたのか吾輩にはわからない。ただ、2008年の犠牲者たちの姿を彼が見ていなければ、今回の行動は無かったのではないかと想像するだけだ。2011年3月16日、プンツォクは全身に灯油(ガソリンという証言もあり)を被り、自ら火をつけた。彼は火ダルマとなりながら「ダライラマの帰還を!!」「チベットに自由を!!」等と叫んだ後に地面に倒れた。彼が倒れるとすぐに多数の武装警官や兵士たちが彼を取り囲み、殴る蹴るの暴行を加えた。火が完全に消えた後も暴行は続いた。暴行が止んだ後、周りの人々は、ただちに彼を病院に運んだ。しかし、病院は当局の許可がないからと治療を拒否した。数時間後、彼は火傷と暴行による負傷のため死亡した。

 翌17日には、ンガパから少し離れたバルカムにもプンツォクの死が伝わった。バルカムは中国の行政区分では、アバ・チベット族チャン族自治州の中部に位置し、この自治州の人民政府の所在地でもある。このバルカムにある民族師範学校の生徒達は、プンツォクの死を知ると、プンツォクへの哀悼と連携を示す為にハンガーストライキを開始した。中国当局は即座に軍を派遣して学校を封鎖し教師や生徒から携帯電話を取り上げ外部との連絡も断った。そのため、その後、この学校の生徒達がどうなったかはわからない。最後に確認できた3月23日の時点ではハンストは続いていたようだ。プンツォクの死は、バルカムのハンストだけでなくアバ・チベット族チャン族自治州各地で中国政府への抗議行動を引き起こした。各地で次々にデモが起き、そして鎮圧された。3月22日にンガバではプンツォクの弟で同じキルティ僧院の僧ロプサン・ケルサンと叔父ロプサン・ツォンドゥが逮捕された。プンツォクの死んだ直後にンガパで行われたデモに参加したことが理由だった。逮捕されたのは彼ら2人だけではなく、抗議に参加した他の多数の者たちも逮捕された。

 中国当局は、プンツォクのいたキルティ僧院に目を向けた。散発するデモを根絶やしにするためにキルティ僧院の僧侶たちを中国に忠実にする必要があると考えた。18歳から40歳までの全ての僧侶に「愛国主義再教育」を行うことを中国政府は計画し、それに逆らう僧侶たちを次々に逮捕した。100人以上の僧侶たちが僧院から連れ去られ、彼らの行方はわかっていない。中国当局が僧侶たちを連れ去っている事実を知った住民たちは、僧侶たちを護るためにキルティ僧院の正門を固めた。武装警官や兵士たちは彼らを殴打したり警察犬をけしかけるなりして群衆を突破しようとした。多くの負傷者を出しながら住民たちは持ちこたえた。突破に失敗した当局側は、僧院の裏門をコンクリートで固め、僧院の周りを800人の武装警官や兵士で取り囲み、僧院への食糧の供給を断った。2011年4月19日現在、僧院の中では2500人の僧侶たちが餓死の恐怖にさらされながら立てこもり続けている。

下記は、国際チベット支援組織 Students for A Free Tibet が実施している、今回のキルティ僧院包囲に対する抗議のインターネット署名(英文)です。 キルティ僧院で餓死に瀕している2500名を救う為、賛同いただけるならば署名をお願いいたします。
Students for A Free Tibet
コラムニスト
太田 秀雄
1971年福岡に生まれる。地元筑紫丘高校を卒業後、九州大学で生物学を専攻する。コンピュータプログラマを生業とする傍ら、いまだに学究心が捨てきれず大学に戻ろうと画策している。2008年3月のチベット騒乱を機にチベット支援に積極的に関わるようになり、国内外のチベット支援者や亡命チベット人達と広く交友関係を持つ。チベット支援をしているものの、別段中国の全てに否定的というわけではなく、とくに『三国志』や中華料理は大好きである。尊敬する人物は、白洲次郎、ホーキング博士、コルベ神父。
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