北京の胡同から

第47回

街の記憶を記録「老北京網(オールド・ベイジン・ネット)」の奮闘

 北京の文化財や歴史に関心のある人たちに人気のウェブサイト「老北京網」。2000年の立ち上げ以来、北京の歴史、地理、文化財、民俗、風土、画像資料などの分野を網羅したその豊富な情報量によって多くのファンを獲得してきた。ところが2012年夏、ウェブサイトは突然見られなくなった。サイトの掲示板では、再開発問題など、北京の社会の現状をめぐる忌憚なき議論が繰り広げられていただけに、サイトの閉鎖はファンたちのさまざまな憶測を呼ぶことに。
 幸い曲折を経て、同年の11月にウェブサイトは「火種灯」として再スタート、今年に入ってからは、その名も「老北京網海外版」として復活した。
 だが、そもそもなぜ、北京の文化を主に扱うサイトが突如閉鎖されたのだろうか。今後、同サイトはどのような方向に向かうのだろうか。

「老北京網」の発起人で管理人の張巍さん

◀「老北京網」の発起人で管理人の張巍さん

突然のサイト閉鎖

 ウェブサイトの発起人で、今も「気骨の人」としてサイトの管理を続けているのは、生まれも育ちも北京という根っからの北京っ子、張巍さん。これまでサイトにアップした情報量は、すべて合わせると300から400GBに上る。でもこれはあくまでサイト上にあるもの。手元にはビデオ映像なども合わせると10TBの資料があるという。記事の本数は2万から3万本。いずれもネット仲間が送ってくれたものだ。
 それらはすべて、文化や歴史関係の文章や写真。ではなぜ、サイトは突然閉じられてしまったのか?「掲示板で、政治的で有害な情報を流したとみなされたんです。政府は自分が批判されることを好みませんから」と張さん。具体的にどの書き込みが槍玉に挙げられたのかは、分からないという。
 閉鎖された経緯も、はっきりしない。インターネット宣伝管理事務局(互聯網宣伝管理弁公室)からプロバイダーのコンピュータルームに通知が行き、理由もはっきりと告げられないまま、急に閉鎖させられた。
 2013年現在、サイトは「海外版」として復活している。だが、サイトは中国国内からも閲覧可だ。「今は、海外のプロバイダーを利用しているため、今後、ウェブサイト自体が突然閉鎖されるということはないでしょう。都合の悪いページだけを黒塗りにされたりはするかもしれませんが」。ただ、海外のサイトであるため、原則としてイベントを企画して参加者を募ったりすることはできなくなった。

「禍」を転じて「福」に

 それにしても、「掲示板」への書き込みは2012年に始まったわけではない。では、なぜ閉鎖は2012年に行われたのか。その理由を張さんは「中国共産党第18回全国代表大会」を控えた時期だったからだろう、と説明する。
 突然閉鎖された時、「気分は最悪」だった。「これまで政府が文化財に対して作ってしまった大きな借りを、自分が代わりに返してあげている気持だったからです。なのに、妨害するなんて、と思いました」。だが、妨害を受けたのは張さんのサイトだけではなかった。「あの時期、個人が運営するウェブサイトはすべて一律に閉鎖されました。当時の私は、政府の改革に期待をしていたので、とても失望しました」。
 でも、張さんは諦めなかった。サイト名を「火種灯」と変えて再スタート。だが、かえって政治的な響きを持つことと、「老北京網」ほどその名が普及していないことから、その後、名を元に戻した。「頑張りつづければ、いつか公正な評価を得て、名誉も回復されます。歴史はそういうことの繰り返しですから」。そして、強制閉鎖を機に、ウェブサイトの大幅なリニューアルとパワーアップを実現。それまでは、休まず更新していたのでその暇がなかったが、今回はあり余るほど十分な時間があった。
 その結果、海外版「老北京網」は、モバイル端末からでも閲覧が容易だ。データベースへの保存の方法も密かにバージョンアップされている。さらに、サイトにとって不利なキーワードの書き込みを自動的に防げるようにしたことで、人が一つ一つチェックする手間も省けるようになった

きっかけは窓枠の埃

 そもそも、張さんの一家は南城の東半壁街という胡同に住んでいた。だが、2000年の5月、長年住んでいた家が取り壊しの対象に。立ち退かされた時、張さんが建物から持ち去ることのできたのは、古い窓枠だけだった。「その後、新しい家で窓枠を拭いていた時、ほこりを払いながら、このほこりだって100年の歴史を経たほこりだ、と気づきました」。そういった一切がむざむざと消えて行くことが無念でならなかった張さんは、ウェブサイトを立ち上げることを思いついた。
 当時は中国でちょうど、インターネットの普及が爆発的に進んでいた時期。じつは張さん自身、かつて記者をしていた時期があった。新しいメディアにチャレンジしてみたい。その思いが実を結び、北京で最大級の北京文化発信サイト「老北京網」が誕生した。
 そのファン層は年齢も、知識も、国籍も、実に豊かだ。年齢が一ケタの子どもから、北京文化の専門家まで含まれ、台湾、香港、日本、ヨーロッパ諸国などにもファンがいる。
 だが、いくら幅広い人気を得ていても、「老北京網」は営利的なサイトではない。張さん自身の生活はどのように支えているのだろうか。
「春節の廟会で、文化的なプログラムの企画を担当したり、時おり有志の方から寄付をいただいたりして、何とかやってきました」。最悪の時は、手持ちの金が20元になったことも。だが、行き詰るといつも不思議と、どこかから援助の手が差し伸べられた。

義務教育に伝統文化を

 文化財を守ろうという意識は子どもの頃から教育しないと育たない、と張さんは考えている。そこで張さんは、伝統文化にまつわるカリキュラムを9年の義務教育の中に組み込むよう、働きかけるようになった。郷土の文化についての教材を作るための要請も行っている。少しずつ取り入れてくれている小学校もあるが、悩みの種は、教師自身が文化財についてあまり知らないこと。しかも、日本と同じで、中国の学校教育もテスト対策に偏りがち。テストに関係のない科目は、重視されない傾向にある。だが、「老北京網」で培った持久力からか、張さんは楽観的だ。「教材作りも含め、10年ほどかけて、じっくり取り組むつもり」とゆったり構えている。
 先日、たった3歳の子どもが、文化財建築が取り壊されているのを見て、「こんな良いものを、なぜ壊しちゃうの?」と言っているのを耳にしたという。「次世代には期待が持てる」と思った瞬間だ。
 海外のファンや研究者の方との間では、これまでサイトをめぐる合作の話もいくつかあった。ただ、残念ながら、いずれも実現はしていない。目下の目標は、5年くらいの間に国際的な基金を立ち上げ、サイトそのものを寄付すること。そしてその配当をいくつかの国の人が分かち合えるようにする。そうすれば、一つの国の情況に支配されるより、安全だと考えるからだ。
 中国では、一定の影響力をもつようになったメディアが、政府の干渉と無縁でいることは難しい。それは援助にしても同じだ。だが、「老北京網」は政府からの資金援助は一切受けたことがなく、その方針は、今後、名誉が回復された後も変わらないという。「民間の自発的活動」という位置づけを保つためだ。
「老北京網」では、「北京精神」というものを掲げている。それは、「良知、道義、責任、担当(ちゃんと引き受けること)」だ。

止まらない「破壊」

 北京における胡同の取り壊しの規模と速度は、北京オリンピックの記憶が薄れた今も、止まるところを知らない。そんな急速に変わりゆく北京を、さまざまな記事や写真を通じて記録してきた「老北京網」はたいへん貴重な存在だ。古い北京の風習の回想録、取り壊される前の北京の城門や胡同の写真などは、それ自体が、現状との鮮烈なギャップによって特殊な輝きを帯び、強く何かを訴えかけてくる。
「壊してしまえば、二度と同じものは作れません。たとえ、今どうしようもなくても、とりあえず残しておいて、10年後、20年後にどうにかすればよいのです」。
 それに、小規模な改造は可能で、ある程度成功もしている。例えば、北京オリンピックの頃には、行政側の一声で、練炭ストーブが一斉に蓄熱型電気ストーブに替えられた。「そういった改善をやめて、一律に壊してしまっても、けっして解決にはなりません」。
 だが、かりに大規模な取り壊しを行わないことが前提の「保護地区」に指定されたとしても、油断はできない。その保護は決して十分ではないからだ。その理由は、「保護の方法について、無知な役人が多いため」。例えば一時期、景観の統一のため、多くの胡同に一斉に灰色のペンキが塗られたことがあった。その無機質な画一性に批判が集中すると、やがて政府はレンガ風のタイルを貼らせるようになった。「でも実は、そういったタイルがもともとの壁にもたらす破壊は、ペンキ以上にひどいのです。ペンキは風雨とともに自然にはがれますが、タイルをはがそうとすれば、元の古い壁まで深く傷つけてしまいますから」。
 胡同にある伝統建築を解体して復元する際も、そのいい加減さはひどいものだ。例えば1平米あたり20000元必要なはずの修復費用を、1平米2000元に抑えて仕上げてしまう。「中国は多党制ではありません。ですから、市民がしっかりと監督をする必要があります」。

疎外される北京っ子

北京の什刹海近くの胡同で

◀北京の什刹海近くの胡同で

 本来なら、文化財を保護すべき立場にある文物局。だがそのプロ集団も、その役割を十分果たしているようには見えない。今の文物局は党の指導下にあるため、無力だからだ。「本来、文物局は人民代表大会に属すべき」と張さんは主張する。
 やはり、北京の取り壊しの問題に疑問を投げ続ける限り、政治へのある程度の言及は、避けられないのだろうか。「そもそも今の政府は土地財政に依存していますから、大規模な開発は不可避になってしまうのです。そして、それに伴う立ち退きと取り壊しが、北京文化の断絶を招いています」。かりに建物は残っても、そこに住んでいた人がいなくなれば、文化は断絶する。本物の北京っ子を探すなら、たいていは都心から遠く離れた郊外に行かなければならない、というのは現在、北京の常識となっている。実際、張さんの現在の住まいも、都心ではなく西の郊外だ。
 民国期であれば、清朝以来の文化人が文物関係の官吏に採用されていたので、文化財もしっかりと守られていた、と張さん。「でも、現在の官僚には、北京の歴史を尊重する人が乏しい。そもそも北京で育っていないので、北京に対する思い入れがないからです」と残念そうに笑った。

コラムニスト
多田 麻美
フリーのライター、翻訳者。1973年静岡県出身。京都大学で中国文学を専攻後、北京外国語大学のロシア語学科に留学。16年半の北京生活を経て、2018年よりロシアのイルクーツクへ。中国やロシアの文化・芸術関係の記事やラジオでのレポートなどを手がける。著書に『老北京の胡同』(晶文社)、『映画と歩む、新世紀の中国』(晶文社)、『中国 古鎮をめぐり、老街をあるく』(亜紀書房)、『シベリアのビートルズ──イルクーツクで暮らす』(2022年、亜紀書房刊)。訳著に王軍著『北京再造』(集広舎)、劉一達著、『乾隆帝の幻玉』(中央公論新社刊)など。共著には『北京探訪』(愛育社)、『北京を知るための52章』(明石書店)など。
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