百鬼夜行の国際政治

第17回

リンカーンを裏切った男たち③

第19代合衆国大統領ラザフオード・ヘイズ(The White House)第19代合衆国大統領ラザフオード・ヘイズ(The White House)

 アメリカの政治学者イアン・ブレマーが率いるリスク分析コンサルタント会社「ユーラシア・グループ」は1月6日、世界が2020年に直面するであろう最大のリスクに、11月の米大統領選挙を挙げた。統治の仕組みが世界で最も強固だとの確信から国内政治をリスクに上げたことがない同社にとって、極めて異例のことである。米国社会の分断と民主・共和両党の対立が抜き差しならないところまで進んでおり、大統領選の結果がもたらす政治の激突と外交的空白が国際社会を混乱に陥れるだろうという予測だ。

 大統領選の混乱といえば、共和党のジョージ・ブッシュと民主党のアル・ゴアが対決した2000年の大統領選挙を思い起こされる方もあるだろう。票の点検と再集計作業から始まった一カ月余の混乱は最終的に連邦最高裁の裁定に持ち込まれ、ブッシュ勝利で決着し、ゴアも敗北を受け入れた。しかしながら、今年はこうした“決着”さえ納得されないだろうと見立てている。

 米史上最も混乱し、その収拾のための政治的妥協がさらなる政治的混沌を招き寄せた大統領選は1876年11月の、共和党ラザフォード・ヘイズと民主党サミュエル・ティルデンが争った選挙である。獲得した有権者票数はティルデン430万票に対しヘイズは403万6000票。各州の勝者が枠を総取りする大統領投票人の人数がティルデン184人に対しヘイズ166人まで確定したところで、共和党は党の地盤でもあるルイジアナ、フロリダ、サウスカロライナ3州のヘイズ票が少なすぎると票集計に疑義をはさんだ。3州の大統領当選人枠は19人だから、全部を手にすればヘイズ勝利の目がある。共和党は頑なに勝利を主張し譲らず、両党の対立が過熱する中、共和党は翌1877年1月末、多数派を占める上院で新法を成立させて上院、下院各5人、連邦最高裁判事5人,計15人による選挙委員会の設置にこぎつけた。2月末日の委員会の採決は8対7で3州でのヘイズの勝利を認定し、19人の枠がヘイズに与えられることになった。これで大統領投票人はヘイズ185、ティルデン184と形勢が逆転、わずか一票差でヘイズの勝利が確定し、1877年3月、ヘイズは第19代大統領に就任したのである。大統領選挙から約4カ月の空白がようやく埋まった。

 ヘイズには「詐欺師」という気の毒な汚名が着せられることになったが、実は両党はこの裏でとんでもない取引を行っていたのである。大統領の座を何としても欲しがった共和党に対し、民主党が求めたのは、南部のうち最後まで占領軍が残っていたルイジアナとサウスカロライナ両州からの、軍の完全撤退である。取引は成立。当初、ユニオン陸軍17000人のうち6000人を配置した南部の軍政は完全に終わり、アメリカ市民戦争(南北戦争)の前と同様に、南部は改革することなしに南部人が統治する領域、黒人に投票権を与えない仕組みの政治に戻ったのである。アメリカ政治の宿命でもある連邦政府と州政府の対立の構図が背景にある。南部の“復権”は、リンカーン暗殺で大統領に昇格した第17代大統領アンドリュー・ジョンソンが敷いた路線であり、軍の完全撤退で連邦政府は南部に介入する錦の御旗を失ったのである。両党の政治的取引は、共和党が掲げた奴隷解放の目標を踏みにじる国民への背信、黒人への明白な裏切りであり、62万人もの戦死者を出した市民戦争の大義は一体何だったのか、という深刻な批判を浴びることになったのだ。

 ヘイズは1822年、五大湖の一つ、エリー湖に北面するオハイオ州に生まれ、ハーバード・ロー・スクールで学んで刑事司法の弁護士となった。ヘイズの父はヘイズが生まれる直前に死亡し、道徳家の母に育てられた影響でヘイズは酒もたばこも嗜まない。妻は熱心な奴隷制廃止論者で女権拡張運動にも精力的に取り組む“女傑”だった。こうした家庭環境からか、彼は当時引き受け手が少なかった、南部から逃走し指名手配されて捕まった黒人奴隷の弁護を無償で引き受けていた。自由州であるオハイオ州には、南側に隣接する奴隷州のケンタッキー州から州境のオハイオ川を渡って逃げ込み、さらに“自由の国”カナダを目指す黒人奴隷が多かったのである。

1850年代の米国。薄紫色が奴隷州、橙色が自由州(Wikimedia commoms)1850年代の米国。薄紫色が奴隷州、橙色が自由州(Wikimedia commoms)

 オハイオ州は1803年、合衆国第17番目の州として誕生、州憲法は白人男性以外には投票権を認めていなかった。しかし、同州では1817年に奴隷解放を掲げる新聞が産声を上げ、1833年には米国初の異人種共学の大学が創設され、さらに翌年には「オハイオ反奴隷制協会」が誕生している。東部のニューヨークと並び、オハイオは逃走黒人奴隷にとって自由の天地への入り口だったのである。

 黒人奴隷の解放を手助けする組織的活動は、アメリカ建国の当初からキリスト教プロテスタント派のクエーカー教徒が始めた。「キリストへの信仰を通じ神の力が人の心のうちに働きかける」という教えの信徒たちで、建国の父であるジョージ・ワシントンも1786年に「クエーカー教徒が彼の所有する黒人奴隷の一人を自由の身にしようと試みたことがあった」と嘆いたという。1800年代に入ると各地で黒人奴隷の逃走を助けるネットワークづくりが動き出す。1831年にケンタッキー州からオハイオ州へ逃げた奴隷の所有者が、「奴隷は『地下鉄道(アンダーグランド・レールウェイ)』で逃げた」と語ったことから、この言葉が定着することになった。逃走ルートの要所に協力者の住宅や教会、学校、避難所、見つかりにくい森などを組み込み、夜間に安全に逃げることができるよう手助けする仕組みで、路線に精通した“車掌”が同行した。こうして1843年までには、毎年数百人規模で奴隷が北部への逃走に成功、歴史学者は地下鉄道で自由を得た人数は5万から10万人の間と推計している。

「地下鉄道」や諜報部隊を率いたハリエット・タブマン(The Military Times)「地下鉄道」や諜報部隊を率いたハリエット・タブマン(The Military Times)

 「地下鉄道」の活動には伝説的人物がいる。ハリエット・タブマン。生年月日が不明の女性で、メリーランド州の農園主の奴隷だったが、1849年に主人に売りに出されたことから兄弟二人とともに自由州のペンシルヴェニア州へ逃走、成功した。彼女の凄さは、その後13度も南部に舞い戻って残る家族や友人、自由を求める奴隷たちを救い出したことにある。タブマンは地下鉄道のリーダー兼車掌として、約300人の逃走を助けたという。彼女の自叙伝では800人を救ったとされているが、彼女自身は編集者が人数を大げさに膨らませたと述べている。

 勇敢かつ大胆、しかも知略に富む人物であるタブマンは、市民戦争が始まるとユニオン軍の看護婦に志願、軍内には彼女の信奉者が増えていったという。やがてタブマンは戦争長官(現在の陸軍長官)エドウィン・スタントン配下の諜報組織の指導者として活動に携わり、南部同盟軍の様子や移動ルート、兵力や装備、補給拠点などを逐一通報し、ユニオン軍の勝利に貢献した。スタントンは大統領リンカーンに奴隷解放宣言に踏み切るよう強く進言した人物として知られる。宣言によって新たに自由の身となる400万人の黒人奴隷は、ユニオン軍の兵力不足を救う予備軍になるというのが、スタントンの戦略だった。タブマンの諜報活動はユニオン軍の黒人部隊への志願者増にもつながったという。彼女の生涯を描いた米映画「ハリエット(2019年制作)」は、3月下旬に日本で全国公開される。

 当時の黒人奴隷の取引価格は一人当たり約2000ドルが相場。奴隷の逃走で財産が目減りする南部の農園主たちも、手をこまねいていたわけではない。政治家への働き掛けを強め、連邦議会は1850年に「逃亡奴隷法」を制定した。逃走奴隷を逮捕しなかった連邦保安官に1000ドルの罰金を課し、逮捕に成功すればボーナスを支給、食料や隠れ家を提供した者には6カ月の禁固刑と罰金1000ドルの懲罰を与える法律だ。同法に対する北部民衆の反発は高まり、「奴隷捕獲人(スレイヴ・キャッチャー)」を襲って拘束されていた奴隷を解放する事件が頻発した上、奴隷制賛成派と反対派との流血の抗争事件も起きて、アメリカ市民戦争の予兆ともいえる熱いマグマが急膨張して行った。

小説「アンクル・トムの小屋」の著者ハリエット・ストウ(NBC Conneticut)小説「アンクル・トムの小屋」の著者ハリエット・ストウ(NBC Conneticut)

 さらに、オハイオ州で長らく暮らした作家ハリエット・ストウによる小説「アンクル・トムの小屋」が1852年に出版されると、夫婦や親子を引き裂いて平然と売りに出す奴隷所有農園主の非道徳性と悲惨な黒人奴隷の生活の描写が大きな反響を巻き起こした。本は約30万冊も売れて当時としては超ベストセラーになり、舞台劇としても上演が続いて、北部と南部の感情的対立は激しさを増して行った。「リンカーンがストウに会った時に『あなたが市民戦争を引き起こしたストウさんですか』と語った」という、まことしやかな噂話が世上に流布したという記録もあるほど、この小説の反響はすごかったのである。

1881年の舞台劇「アンクル・トムの小屋」のポスター(Library of Congress)1881年の舞台劇「アンクル・トムの小屋」のポスター(Library of Congress)

 さて、ヘイズの話に戻ろう。1861年に市民戦争が起きた時、彼は齢38歳、子供も3人いたが、ためらうことなくユニオン軍に志願した。しかも五度も負傷しながら、傷がいえると前線復帰を願い出て戦い続け、最後は二つ星の名誉将軍に任命された。勇猛果敢で奴隷制撤廃論者というヘイズは、共和党の希望の星となった。1864年の上院議員選挙に推されたが、選挙運動のために戦列を離れることを拒否、それにもかかわらず当選した。議員任期半ばで辞職した彼は、オハイオ州知事選に打って出る。何とか当選を果たしたが、州議会は民主党が多数議席を占め、州知事には議会が制定する法案に対する拒否権もなかった。二期目の選挙はヘイズが大勝し、議会も共和党が多数を占めた。これにより州議会は投票権の人種差別を禁止する米国憲法修正15条の批准にこぎつけ、オハイオ州は平等な投票権を保障する州となったのである。

1861年4月にメリーランド州から逃走した黒人奴隷について所有者が謝礼50ドルで情報提供を求める新聞広告(出典不明)1861年4月にメリーランド州から逃走した黒人奴隷について所有者が謝礼50ドルで情報提供を求める新聞広告(出典不明)

 州知事として三選を果たしたヘイズは、共和党の推薦によりこれまた任期半ばで知事を辞職し、大統領選に出馬した。そもそも知事を二期務めたら政界から引退しようと計画していたヘイズは、1873年に起きた大不況からの経済再建のため、やむなく知事職を三期務めることにしたのであり、何が何でもという大統領の座への執着はなかったようだ。すったもんだの末に大統領に当選したが、連邦議会下院は民主党が多数議席を占め、ヘイズが三度も拒否権を発動した法案まで議会に覆されるなど、公民権の保障を目指すヘイズの政策は、ことごとく議会に封じられてしまったのである。ヘイズは大統領時代の日記に「私に課された使命は、肌の色による差別を払拭し、戦争を本当に終わらせるために派閥政治を終わらせ、平和を実現することである。そのために党やこの国における私の名声や立場が危機にさらされても、私には甘受する覚悟はできている」と記した。

 ヘイズに対する歴史家の評点は極めて辛い。南部二州からのユニオン軍の引き上げ、1877年の鉄道労働者のストライキに軍隊を派遣し暴動を鎮圧したこと、1879年の「清国人追放法案」に拒否権を発動したものの、覆されて法案への署名に追い込まれた政治力のなさ、などの理由による。政治は結果がすべての非情の世界である。しかし、今日ほど大統領の権利が強くない時代に、強すぎる議会を前に打つ手がなかった大統領の悲哀がそこにはある。「市民戦争は黒人奴隷解放の戦いである」とのゆるぎない信念で、五度も負傷してもなお戦線に復帰したこの人物の誠と矜持を否定してはならないだろう。ヘイズは一期で大統領の座から去った。

(本文中敬称略)

主な参考文献
  • 
”Top Risks 2020″ Eurasia Group
  • “Rutherford B. Hayes” The White House
  • “The Compromise of 1850” https://courses.lumenlearning.com
  • “Did Rutherford B. Hayes End Reconstruction ?” Thomas J. Culbertson (Rutherford B. Hayes Presidential Center, February 17,2013)
  • “’General Tubman’: Female abolitionist was also a secret military weapon” Catherine Clinton (The Military Times, ,February 7,2018)
  • “The Fugitive Slave Act” Lumen Boundless U.S. History
  • “Rutherford Hayes and Slavery” President History Geeks (Oct.3rd,2011)
海と空の軍略100年史──ライト兄弟から最新極東情勢まで
海と空の軍略100年史──ライト兄弟から最新極東情勢まで 書名:海と空の軍略100年史 副題:ライト兄弟から最新極東情勢まで 著者:竜口英幸 定価:本体2300円+税 ISBN978...
コラムニスト
竜口英幸
竜口英幸
ジャーナリスト・米中外交史研究家・西日本新聞TNC文化サークル講師。1951年 福岡県生まれ。鹿児島大学法文学部卒(西洋哲学専攻)。75年、西日本新聞社入社。人事部次長、国際部次長、台北特派員、熊本総局長などを務めた。歴史や文化に技術史の視点からアプローチ。「ジャーナリストは通訳」をモットーに「技術史と国際標準」、「企業発展戦略としての人権」、「七年戦争がもたらした軍事的革新」、「日蘭台交流400年の歴史に学ぶ」、「文化の守護者──北宋・八代皇帝徽宗と足利八代将軍義政」、「中国人民解放軍の実力を探る」などの演題で講演・執筆活動を続けている。2018年4月、福岡市の集広舎から「海と空の軍略の100年史──ライト兄弟から最新極東情勢まで」を出版。
関連記事