有料記事/百鬼夜行の国際政治

第23回

オホーツクの戦略的要地・千島列島

自宅ポーチで回想録を執筆するユリシーズ・グラント(Library of Congress)自宅ポーチで回想録を執筆するユリシーズ・グラント(Library of Congress)

 アメリカで初めて回想録を書いた大統領は、第18代ユリシーズ・グラントだ。市民戦争(南北戦争=1861~65年)でユニオン軍に勝利をもたらした将軍であり、停戦を申し出た敵将に「即時無条件降伏」を突きつけて勝利したことで有名だ。執筆をめぐり彼の背中を押したのは、13歳年下の友人で、『トム・ソーヤーの冒険』で知られる人気作家、マーク・トウェインだった。トウェインはグラントと同じ中西部出身で、グラントを崇拝していた。トウェインの度々の勧めに対しグラントは「自分は作家ではない」と相手にしなかったようだ。しかし、1884年に息子が経営する投資会社が破綻して無一文になり、借金頼りの生活を始めるに至ってトウェインの説得を受け入れた。妻ジュリアに財産を残すために一念発起したのである。

 トウェインは出版社との交渉をまとめて執筆を支援。執筆を始めたころにグラントが癌を患っていることが分かり、遂には喉や舌のガンにむしばまれて食事もままならないほど病状は進行したが、強靭な精神力で立ち向かった。トウェインはユニオン軍の退役軍人を組織した家庭訪問宣伝隊を発案、10万部を越える予約部数を集めてグラントを力づけた。原稿は一年余りで完成し、ほどなくグラントは死亡した。回想録は初版35万部を完売、グラントは妻に約45万ドル(現在の貨幣価値換算で10億円強)もの資産を残すことができたのである。米国が真二つに割れて危機に瀕した時代の軍事指導者は、飾らない短い文章を連ね、感情を抑制した文体で戦争の記録を国民に残すことを心掛けた。回想録は米墨戦争と市民戦争が大部分を占めるが、大統領の回想録の重要性をアメリカ国民に知らしめたトウェインの慧眼はさすがである。

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コラムニスト
竜口英幸
ジャーナリスト・米中外交史研究家・西日本新聞TNC文化サークル講師。1951年 福岡県生まれ。鹿児島大学法文学部卒(西洋哲学専攻)。75年、西日本新聞社入社。人事部次長、国際部次長、台北特派員、熊本総局長などを務めた。歴史や文化に技術史の視点からアプローチ。「ジャーナリストは通訳」をモットーに「技術史と国際標準」、「企業発展戦略としての人権」、「七年戦争がもたらした軍事的革新」、「日蘭台交流400年の歴史に学ぶ」、「文化の守護者──北宋・八代皇帝徽宗と足利八代将軍義政」、「中国人民解放軍の実力を探る」などの演題で講演・執筆活動を続けている。著書に「海と空の軍略100年史──ライト兄弟から最新極東情勢まで」(集広舎、2018年)、『グッバイ、チャイナドリーム──米国が中国への夢から覚めるとき 日本は今尚その夢にまどろむのか』(集広舎、2022年)など。
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