アメリカがメキシコとの戦争に勝利してカリフォルニアを手に入れ、大西洋と太平洋の両洋に面する巨大国家としての道を歩み始めたころ、国を揺るがす「市民戦争(南北戦争=1861年~1865年)」が起きた。合衆国から離脱した南部11州は「コンフェデラシー・オブ・アメリカ(南部同盟)」を結成し、大統領と副大統領を選び、合衆国と同様の政治体制を敷いて宣戦した。第16代合衆国大統領エイブラハム・リンカーン率いる「ユニオン(北部連合)」にとって、南部は“反乱国家”だった。
南部ジョージア州を舞台にこの時代を描いた1939年の映画『風と共に去りぬ』の冒頭、女声合唱が緩やかにハミングで歌う南部同盟の国歌「ディキシーズ・ランド(南部の大地)」は葬礼の野辺送りを思わせる。夕暮れ時、牧童や牛飼いたちが家に戻る姿を背景に、映画の脚本陣に加わったベン・ヘクトの手になる文言が映し出され「かつて綿花栽培で栄え古き良き南部と呼ばれたこの土地の繁栄と貴族さながらの文化は、今では夢でしかなく、風と共に去ってしまった(要約)」と全編を暗示する。
原作の著者マーガレット・ミッチェルはジョージア州の州都アトランタのアイルランド系の家庭に生まれた。地元の新聞「アトランタ・コンスティテューション(現・アトランタ・ジャーナル・コンスティテューション)」の日曜版の記者として働いたが、くるぶしの怪我のため退社。治療のつれづれに書き始めた原作は1936年、彼女が30歳の時に出版された。題名の『風と共に去りぬ(Gone With the Wind)』は、「酒(ワイン)とバラの日々」の字句で知られるイギリスの詩人、アーネスト・ダウソンの詩の一節から採っている。映画の印象が鮮烈すぎて、この早熟な作家の意図はなかなか見えてこないが、留意すべきは、彼女が最終章から筆を起こし、時をさかのぼるように書き進めて作品を仕上げたことだ。
最終章は28歳のスカーレット・オハラと45歳のレット・バトラーの決別の場面。スカーレットの周りは「敗北」を知らない人々であり、彼女はレットを取り戻せることを確信している。これまで彼女が心に決めさえすれば、なびかない男はいなかったのだから。そして、父親の農園があったタラに戻って明日そのことを考えよう、と続く。明日、彼を戻す手立てを考えよう。最後に名言中の名言「明日という日がある」で小説は締めくくられる。小説の中の「タラ」は架空の地名だが、アイルランド東部にある史跡「タラの丘」は先史時代からの王たちの即位の場所とされ、今なおアイルランドの人々にとっては、自分たちのアイデンティティを呼び覚ます心のよりどころでもある。
この本が、出版からわずか半年で百万部以上という空前の売れ行きを記録したのはなぜか。出版時の時代背景も大きな要素だと思う。1929年10月、ニューヨーク・ウォール街の株価大暴落に端を発した世界大恐慌がおこる。ニューヨークでは職や無料の食事を求める人々の列が街にあふれた。作家と同じ時期に同じ新聞社で働いていたラルフ・E・マクギルは、人間味あふれる穏やかな文体で人種差別の核心を突く批判の記事を書き続け「南部の良心」と称えられたジャーナリストで、後に編集局長から社主になった。彼は名著『南部と南部人』に、こう記している。
一九三〇年代の不況のどん底に当面したとき、綿花南部は、一九一九年から二二年にかけての象鼻虫による荒廃からやっと脱出したばかりのところだった。そのときは、銀行はつぶれるし、小作人や刈分小作農(地代として収穫物を地主と分配する農家)の家は空になり、土地を放棄するものもでて、倒産が続出した。(中略)打ちひしがれた家族たちは、家をたたんで出ていく決心をし、その行く先は、タイヤや自動車工場があるデトロイト、鉄鋼所で働けそうなシカゴ、工場の多いピッツバーグなどだった。(中略)南部はもはやかつての南部ではなくなり、様子も変わってきた。
これが二十年代のデキシー(南部)である。象鼻虫による被害と、それから約十年ほど経ってやってきた不況は、南部の経済に対する致命的な打撃だった。
南北戦争は耕作地の荒廃や鉄道網の破壊をもたらし、何よりも南部が誇りとしていたもの全てが吹き飛ばされた。戦後、北部からやってきた資本家や商人による経済的搾取で、南部は北部に従属する立場へと転落した。かろうじて進んできた再建も、象鼻虫による農業被害、さらに大不況の荒波で完全に打ちのめされる。唯一つ、変わらないものがあった。黒人に対する人種差別の構造だ。『風と共に去りぬ』が執筆されたのは、こうした時代だったのだ。
アメリカの建国の歴史は、新天地を求めた清教徒のメイフラワー号から始まったと説明されている。しかし、同号が到着する前年の1619年、英国王から許可を受けた入植地ジェームス・タウンにポルトガルの黒人奴隷貿易船を襲ったオランダ船が寄港し、運んでいた50人の奴隷のうち20人ほどを農園経営者に販売した記録がある。これがアメリカの始まりであり、北米大陸と黒人奴隷との関りの始まりだった。当時、英国は奴隷売買を認めていなかったため、彼らは「年季奉公の召使」という名目、つまり一定の年限の労働が強制されるが年季が明ければ自由となる奴隷として売買されたのだ。この時点で、黒人奴隷の売買がイギリスでは禁止されていたことを過小評価してはならない。アメリカの“輝かしい建国”は、奴隷制とともに歩み始めたといえるからだ。ただ、アメリカ独立前には六つの植民州が奴隷制禁止に踏み切っており、奴隷制廃止のうねりはその後徐々に強まっていくことになる。
米国政府は独立24年後の1790年から10年ごとの国勢調査を始めた。これによると1790年の全人口は約392万9千人で、このうち白人が81%に当たる約317万2千人で黒人は約75万7千人。注目すべきは奴隷ではない「自由黒人」が約5万9千人、黒人の7.9%を占めていることだ。19世紀に入っての60年間を見ると、総人口は10倍近くに増化し自由黒人も8.2倍へ増えたが、黒人奴隷は395万人にまで膨らみ、南部に集中した。北部では奴隷廃止の世論の高まりを受け自由黒人が当たり前になったのに対し、南部では綿花やタバコのプランテーション農場の労働力として、黒人奴隷の需要”が急増したのである。綿織物を主力産業とするイギリスがアメリカの綿花に依存していたことも背景にある。
南北戦争の背景には、北部が連邦政府の権限を重視するのに対し、南部は州の権利を連邦政府より優先すべきと考えるという原点の違いがある。それとともに経済構造の違いも大きい。人口1850万人の北部20州は工業化が進み、農業は小規模だった。対する南部11州は綿花やタバコのプランテーション農業地帯であり、人口900万人のほぼ4割が黒人奴隷だった。北部と南部の中間地帯、ケンタッキーやミズーリなど5州はユニオンに忠実ではあったが奴隷制は認めており「国境州」と呼ばれていた。この国境州は北へ食料を供給し、ユニオン軍が州内を通過して南部連合へ攻め入るのにも協力して重要な役割を果たした。
奴隷制の拡大反対を掲げて1854年に結党された共和党は、1856年の大統領選では奴隷制を支持する民主党に敗北した。ところが連邦最高裁が翌1857年3月に「ドレッド・スコット判決」で奴隷制に憲法上の支持を与えると、共和党内で奴隷制廃止の急先鋒だったリンカーンが脚光を浴び、1860年の大統領選挙の共和党候補となる。民主党でも、この判決を受けて奴隷制廃止にかじを切る「北部民主党」と判決で勢いづく奴隷制支持の「南部民主党」とに分裂、それぞれが候補を擁立して大統領選を戦った。そして11月6日の選挙にリンカーンが勝利すると、南部は12月20日に合衆国から離脱、翌1861年4月12日、南部連合はサウスカロライナ州にある北軍のサムター駐屯地を海上から砲撃、戦争の口火を切った。
連邦政府は戦争途中に奴隷解放令を公布、60万人を越える屍の山を築き、憲法修正第13条で奴隷制度と強制労働を禁止しても、南部諸州はジム・クロウ法と呼ばれる差別法を制定して頑なに人種差別を続けた。第二次世界大戦が終わり、第33代大統領ハリー・トルーマンが二期目を目指す1948年の民主党全国大会では、ジム・クロウ法廃止などを盛り込んだ党綱領案に反発して南部の民主党議員35人が退場、新党「州権民主党」を結成し、独自候補を擁立して1948年の大統領選を戦った。州権民主党の総得票は約117万票にとどまったが、選挙人531人中39人を獲得している。北部の民主党が労働組合という新しい組織基盤を開拓して党勢を拡大しても南部の民主党の路線は揺るがなかった。マーティン・ルーサー・キング牧師らが率いた非暴力の公民権運動、黒人の権利を法的に認める仕組みを求める運動の全米的なうねりを背景に、1965年の「公民権法」が連邦議会で成立する。この法律は、人種や肌の色にもとづく投票権差別を廃し、各州に差別的投票手続きを行うことを禁止する連邦法で、民主党の第36代大統領リンドン・ジョンソン(LBJ)政権の金字塔ともいえる法律である。ジョンソンは法案提出前夜、上下両院合同会議で演説した。以下はその抜粋である。
「私は今夜、人間の尊厳と民主主義の運命について話したい」
「ニグロのいかなる問題も、南部のいかなる問題も北部のいかなる問題もない。唯一つ、アメリカの問題があるだけだ。我々は今夜、民主党員あるいは共和党員としてではなく、アメリカ人としてアメリカの問題を解決するためここに集っているのだ」
「百年以上前に、リンカーンが奴隷解放令に署名して平等が約束されたが、今なおニグロは平等な扱いを受けておらず、約束は果たされていない。犠牲者はニグロだけではない。いかに多くの白人の子供が教育を受けられず、いかに多くの白人家庭が厳しい貧困生活を送っているか……豊かで偉大で活力あるこの国は、黒人と白人、北部と南部、小作人と都市居住者、すべての人々に、機会と教育と希望を提供できる。我々の敵は貧困と疾病と無知であり、我々はこれに勝利する」(筆者抄訳)
ジョンソンには、テキサスの小学校で英語を話せない貧しいメキシコ人家庭の児童を教えた原体験がある。演説は拍手で迎えられた。5月26日の上院の採決は賛成77、反対19、棄権4、7月9日の下院の採決は賛成333反対38、棄権15の賛成多数で成立した。しかし、上院の反対票19のうち民主党が17を占め、下院の反対票85のうち62が民主党だった。民主党政権にもかかわらず反対票は民主党議員が圧倒的に多かった。公民権法が成立したのは共和党の賛成票のおかげなのである。

この後、共和党は政権奪取を目指して「富裕層の党」から「富裕層と白人の党」へと支持基盤を変更、労働組合を基盤とする北部の民主党は南部に浸透して黒人層の支持を拡大、これに伴い南部の民主党の指導者たちは、共和党の右派として鞍替えし、今日に至っている。大統領選で南部諸州の共和党が優勢を続けてきたのにはこうした歴史的背景がある。
アメリカの人種差別の歴史は植民地時代を含め400年を越えている。今なお警察官による黒人殺しは後を絶たず、昨年は、黒人男性ジョージ・フロイド氏が警察官に取り押さえられ、膝で喉を圧迫され「息ができない」と哀願し続けて殺害された映像が世界に衝撃を与えた。「ブラック・ライヴズ・マター(BLM=黒人の命は大事だ)」とのスローガンを掲げた抗議デモが全米に広がったが、これに立ちはだかるように白人のデモも街頭に繰り出して過激化し、中には銃やライフルを所持した姿も目立った。アメリカの人種差別の根底には「白人至上主義」がある。そして、事あるごとに政治家がこれをあおっているのだ。
前出のラルフ・マクギルは著書で教会と白人至上主義との関りを取り上げている。
「一八六一年に、南部の牧師の約九〇パーセントと、それ以上の教会が、神は奴隷制度をお定めになったと宣言して、南部を戦争へと駆りたてた」
「白人市民評議会やクラン(人種差別団体のクー・クラックス・クラン)その他の憎しみに燃えた団体は、神様はつねに自分たちの味方であると主張した。彼らは神やキリストを、自分の都合のいいように利用し、十字架を焼いたり、教会や学校を爆破したり焼き打ちする計画をたてるときまで、キリストや神の加護を求めた」
「南部の(1960年代の)人種暴動の特徴の一つは、死傷者を出すような暴挙に、十代の若い連中がたくさん加わっていたことで、これはまことに残念なことだった」
2020年の米大統領選挙では、国家の頂点に立つ現職大統領ドナルド・トランプが、民主主義の根幹である自国の選挙制度を証拠もなく攻撃し続け、煽り立てられた大衆は開票所に押しかけ「票集計をやめろ」と叫んで威圧した。ことはトゥイッターを武器に攻撃や言いがかりを並べ立てたトランプという虚偽と陰謀で固めた卑劣漢だけの問題にとどまらない。1月6日にはトランプ集会で勢いづいた支持者らが連邦議会議事堂を襲い、大統領選の認証のための議会手続きを妨害するという事態に発展した。これは「反乱」である。しかも、あろうことか、議事堂のホールや議事堂周辺には大きな南軍旗が翻ったのである。奴隷制を死守しようとした南軍のシンボルが、これほど衝撃的な形で登場したのは初めてであろう。
アメリカの人種差別に、憎悪のエネルギーを注ぎ込み続けているのは「白人至上主義」であり、これこそが米国の分断のマグマである。トランプ政権の4年間で、黒人対白人ばかりか白人対白人の分断も先鋭化した。米国は世界を導く民主主義国家として、今こそ白人至上主義に切り込み、その封じ込めにあらゆる手立てを尽くさなければ、未来はないだろう。リンカーンの夢、キング牧師の夢、そしてジョンソンの夢はまだ実現していない。南北戦争は終わっていないのである。
(文中敬称略)
◎ “Margaret Mitchell (1900-1949)” Jane Thomas (New Georgia Encyclopedia)
◎『南部と南部人 変わりゆくアメリカ』ラルフ・E・マクギル(弘文堂、1966年)
◎ “United States- Race and Hispanic Origin: 1790-1990” U.S. Census Bureau
◎ “President Johnson’s Special Message to the Congress: The American Promise” LBJ Presidential Library (March 15, 1965)
◎ “The Republican Party is white and Southern. How did that happen ?” Boris Heersink and Jeffery A. Jenkins (The Washington Post, Feb.7, 2020)
「百鬼夜行の国際政治」は今回で締めくくります。この連載は集広舎から単行本として出版される予定です。
来月からは「キユパナの丘で──台湾阿里山物語」(仮称)の連載を始めます。
