ピーテル・ブリューゲルの「バベルの塔」(ウイーン美術史美術館蔵、ウィキペデイア)

ピーテル・ブリューゲルの「バベルの塔」(ウイーン美術史美術館蔵、ウィキペデイア)

 16世紀のフランドル地方の画家ピーテル・ブリューゲルに「バベルの塔」という大作がある。旧約聖書の「創世記」を題材に、人類がレンガとアスファルトで天に届く塔を建設する様子を描いた作品だ。七層、八層と建築が進む巨大な塔が、縦114センチ、横155センチの画面中央に圧倒的迫力でそびえ立つ。手前に塔を発注したニムロデ王をやや大きめに描いている他は、材木を運ぶ筏、巻き上げ機でレンガを上げる人夫たち、建物のアーチ状の木組みなどが巨大な細密画として仕上げられている。宗教画でありながら、明るさがみなぎる風俗画のようで、観る者を飽きさせない。そして塔の外周を廻る道路は、巨大ならせんの渦となって上へ上へと進む。一周すれば建物の中心軸の上方へ一段ずつ高くなるらせんの特性が、天の高みを目指す人間の憧れを象徴している。

ネジバナ(ウィキペディア)

ネジバナ(ウィキペディア)

 自然界にはネジバナや巻貝などらせん構造の美しい造形が多いが、らせん形は人間の美意識だけでなく、知的探求心も刺激するもののようだ。古代ギリシャのアルキメデスが発明したとされる円筒の中のスクリューは、軸が一回転するごとに水を上へ上へと運び、揚水ポンプとして機能する。らせん構造のネジがいつごろ発明されたか定かではないが、グーテンベルクが15世紀中ごろに完成させた活版印刷機は、大きな軸木に着けたネジを回転させて抑えの板を締め付け、インクを浸した活字面に紙を圧着させて印刷する仕組みだった。

 前置きが長くなったが、この「らせん形」こそが、アメリカ革命(独立戦争)を勝利に導いた原動力なのだ。参戦した開拓農民たちは、インディアンとの戦いや、七面鳥やバッファローなどの狩猟に用いた「ペンシルヴェニア・ライフル」または「ケンタッキー・ロング・ライフル」と呼ばれる銃を使用、銃身の内側にらせんの溝が刻まれており、正確さと威力と飛距離で当時、世界最先端技術の銃だった。

 9世紀の初頭に唐で発明された火薬は、火薬を竹の先端に詰めた「火槍」や陶器の容器に火薬を詰め導火線で点火して投げる「震天雷」などさまざまな兵器を生み、モンゴルの軍事遠征に伴ってイスラム諸国やヨーロッパへと広まって、オスマン帝国は大砲を生み出した。携帯できる鉄砲は15世紀初めに火縄銃、17世紀初めには火縄に代わって火打石と鋼鉄で火花を出して火薬に点火するフリント・ロック式の銃が誕生している。アメリカ革命でイギリス軍が使用したフリント・ロック式マスケット銃「ブラウン・ベス」は銃身の長さが1メートルほどで、内部は滑らか。弾丸の飛距離は90メートルほどだが、命中精度が極めて低く、50メートルほどの接近戦で用いるしか威力がなかった。これに対し同じくフリント・ロック式点火のペンシルヴェニア・ライフルは飛距離を伸ばすため銃身が1.5~1.8メートルと長く、しかも細身で軽量。飛距離はマスケット銃の3倍の270メートルで、銃身内部にらせん溝が刻まれているため、弾丸がらせん軌道を描いて回転して飛び、ブレが小さく命中精度が極めて高かった。銃口から球形の弾を込める際には、リネンの布あるいはバックスキンで弾を包み込んで銃底まで鉄の棒で弾を押し込む。弾が銃身に圧着されているので点火後のガス圧が高まって破壊力が増す仕組みだ。ただ、弾丸を込めるのに2倍の時間を要し、一発発射するごとに銃身の掃除が必要という難点もあった。

 アメリカ革命では、議会は北米大陸でイギリスとフランスが戦ったフレンチ・インディアン戦争(1754年-1763年)に将校として従軍した農園主、ジョージ・ワシントンを陸軍最高司令官に指名し、軍費として200万ドルを講じた。しかし、独立を目指した13州の結束は固いとは言えず、「ロイヤリスト」と呼ばれた英帝国支持派の勢力も侮れないものがあった。独立軍は正規の軍隊というよりは義勇軍が主力で装備、弾薬、食料、医薬品の不足に悩まされ、兵士への給料も滞りがちで、士気も高くはなかった。こうした状況の下ワシントンが採用した戦略は「戦わない」ことだった。つまり無用の消耗を避け、撤退を重ねて勝機を待つ作戦である。

ダニエル・モーガンの肖像画(Frontier Partisans)

ダニエル・モーガンの肖像画(Frontier Partisans)

 流れを変えたのは、ダニエル・モーガンが率いるペンシルヴェニア・ライフルの義勇兵たちだった。モーガンは弁舌に優れた建国の父たちとは対照的な、無学だがインディアンの攻撃から村を守った真に辺境の戦士である。その勇名は植民地に轟いており、ワシントンが最高司令官に指名される前日の1775年6月16日、モーガンは議会から約100人のライフル部隊を率いる大佐に指名された。

 1777年10月のサラトガの戦いでは、モーガンは南下するイギリス部隊を待ち伏せ攻撃した。あらかじめ道路沿いの樹木を切り倒して行軍を阻み、樹上に潜んで先ず道案内役のインディアン、次いで将校をことごとく狙い撃ちして倒した。将校を欠いた軍は烏合の衆と化し、見えないところから銃撃される恐怖感も手伝って約5700人のイギリス部隊は降伏した。この勝利が契機となり、フランスは翌年2月、アメリカの独立を承認し、同盟を結んで参戦を決めたのである。

 サラトガの戦いは輝かしい勝利だったが、戦況は再び窮地に陥る。ワシントンは志願してきたプロイセン軍人、フリードリヒ・シュトイベン男爵を軍事顧問として任用し、独立軍を統制の取れた戦う組織へと鍛え直すことに成功した。負傷のため退役していたモーガンは准将となって戦列復帰し、1781年10月のヨークタウンの戦いでも大活躍してイギリス軍を降伏させることに成功、フランスやスペイン艦隊の助勢もあって13の植民地は独立を勝ち取った。アメリカの風土に合わせて進化をとげたらせん構造の銃が、独立をもたらしたわけである。

ペンシルヴェニア・ライフル(Landis Valley Museum)

ペンシルヴェニア・ライフル(Landis Valley Museum)

 では、銃身にらせんの溝を刻む発想はどこから生まれたのだろうか。ヒントは弓矢にあるようだ。15世紀初め、ヨーロッパの弓の射手は矢の尻に羽を付け始めた。矢が回転しながら飛び、飛距離も伸びて命中度が上がるためだ。経験から生まれた知恵である。「ライフル」の語源はドイツ語の「リーフェル(溝)」であり、現在のドイツ・アウグスブルクで15世紀末に銃身の内側に溝を刻んだ銃が発明され、1520年にニュルンベルクのアウグスト・コッターがこれを改良した、との記録がある。火縄銃の一種といえるが、軍で使うには実用的ではなく、もっぱら趣味の狩猟用だった。やがてこの地からペンシルヴェニア州に移民した鉄砲職人たちが、ヨーロッパの環境とはまるで違うアメリカの風土、大平原や広大な森林での生活に適応し、インディアンやならず者との戦いから家族を守るために作り上げたのがペンシルヴェニア・ライフルであり、南西のケンタッキー州に技術が伝わった。当時、この二つの州は名実ともにフロンティアだったのだ。

 銃の製造は、鍛冶職人の仕事と重なる部分が多い。厚さの均一な鉄板を作り、真っ赤に熱したコークスに入れてはU字型の金床に載せてハンマーで打ち付けて丸く形を整え銃身を作る。鉄の心棒を差し込んで熱しては叩いて接合部を少しずつ溶接していく作業を繰り返すのだが、種子島の刀鍛冶が火縄銃を再現したことで分かるようにここまでは難しくない。ただ、ペンシルヴェニア・ライフルは銃身がとても細くて長く、銃職人が高度な技術を持っていたことがわかる。次いでらせんの溝を刻むドリルにかかる。鉄の丸棒の端にひもを結わえ、棒を回転させながら引くと、ひもはらせん状に巻き付く。印をつけ、らせんに沿って熱した細長い鋼鉄の板を溶接していき、山の部分を研ぎだせばドリルの出来上がりだ。製作工程を再現した映像を見ると、ドリルをがっしりと固定し、らせん状に回転して前へと進むハンドル装置に銃身を付けて少しずつドリルの刃を当てる作業を繰り返し、ライフルの銃身に仕上げている.

 ペンシルヴェニア・ライフルは同州の公式銃であり、今でも愛好家が多く嬉々として狩猟を楽しむ姿は、武器というよりはアメリカ独立のアイデンティティーを再確認する営みのようでもある。

再現された18世紀の銃口らせん加工機(Rifle Barrel Making: the 18 th-century process)

再現された18世紀の銃口らせん加工機(Rifle Barrel Making: the 18 th-century process)

 アメリカ革命の遠因は北米大陸の東海岸沿いのイギリス植民地と、五大湖からメキシコ湾岸近くまで南へと伸びるフランス植民地との紛争が発展したフレンチ・インディアン戦争にある。この戦費のつけを、イギリスが植民地に押し付けたため独立の気運に火をつけた。植民地反乱の報にフランス国王ルイ16世はいたく喜び、同盟を結んだ。アメリカ革命はフランス、スペイン、オランダの後押しで成功したのである。アメリカの独立をイギリスが認め、支援各国と英国との講和を果たす1783年のパリ条約の式典は、ルイ16世にとっては栄光の絶頂だったろう。しかし、アメリカ革命を支援し勝利に導いた彼は、その6年後に起きたフランス革命で王権を停止され、王妃マリー・アントワネットともども断頭台の露と消えた。革命を支援した勝者が革命に倒れる。歴史の女神クリオは冷徹と言うべきか。

 

【参考】
American History Revolutionary War. David Baldocci (A&E Television Networks, 2010)
George Washington Using Reasoning as a winning Strategy. Scott Wagoner, Jan 30, 2013
Rifles and Groove-bored Muskets in the American Revolutionary War. Harry Schhenawolf,Jan 18, 2015
Gunsmith of Williamsburg. Colonial Williamsburg Inc.
Revolutionary War Weapons: The American Long Rifle. David Alan Johnson (Military History, November 11, 2015)