20世紀において最も重要な首脳会談は、第二次世界大戦が終盤に差し掛かった1945年2月、米英ソの3首脳が、ウクライナから黒海に突き出したクリミア半島の保養地、ヤルタに集ったヤルタ会談である。舞台はロシア帝国皇帝ニコライ二世の離宮だったリヴァディア宮殿。会談は4日から11日までの8日間で、国際連合の設置やドイツの分割統治、ポーランドの戦後体制などを協議した。この会談で最も有名なのは、日本の領土をソ連に引き渡すことなどを盛り込んだ「極東条項」の秘密協定だ。米大統領フランクリン・ローズヴェルトとソ連首相ヨシフ・スターリンが交わした生々しいやり取りは、後に駐ソ大使となる外交官で会談の通訳を務めたチャールズ・ボーレンが記録していた。
二人の会談は8日午後3時半から始まった。スターリンが「対日参戦に当たっての政治的条件について話したい」と切り出した。「条件」という直球を初めてローズヴェルトへ投げたのだ。大統領は「(日本の領土である)南サハリンと千島列島に関しては、戦後ソ連のものになるのに何ら問題ない」しかし「極東の温かい海水の港(不凍港=旅順と大連)は、まだ蒋介石将軍と話す機会を持てないでいる」と答え、国際自由港とする案を提示、イギリスが香港を中華民国に返還すれば、香港は国際自由港となるとの見通しを示した。スターリンは旅順港と大連港の使用権について、ソ連が敷設した満州の鉄道網の使用権問題を絡めて食い下がる。ここでスターリンは本音で核心を突いた。「なぜ日本と戦うのか国民に理解されなくてはならない」「ナチスドイツとの戦いは眼前に脅威が迫った戦争で国民は戦う理由を容易に理解できた。しかし、紛争も何も起きていない日本となぜ戦わなければならないのか—これには(見返りとなる)国家利益がかかっていると説明しない限り、国民には理解されない」と露骨な論理を展開したのだ。日本と戦わないという選択肢もあるのだぞ、と揺さぶったのである。
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