今年は米、英、ソの三首脳が第二次世界大戦後の世界秩序の構築を協議した、1945年2月のヤルタ会談から75周年の節目の年に当たる。クリミアの保養都市ヤルタで8日間にわたり開かれた会談では、対日戦にソ連を何としても引き込みたいという米大統領フランクリン・ローズヴェルトの焦りに乗じ、ソ連首相ヨシフ・スターリンは「南樺太、千島列島、満州での権益と引き換えに対日戦に参戦する」秘密協定を手に入れた。戦後の北方領土(国後、歯舞諸島、色丹、択捉)返還問題はこの秘密協定に起因している。
米英は第二次世界大戦における「領土不拡大」の原則を大西洋憲章とカイロ宣言に盛り込み、ソ連もカイロ宣言に参加していた。「この戦争によって新たな領土を手に入れることはできない」、「この戦争は領土獲得のための戦争ではない」という公約を高らかに世界に示していたのだが、偽りのスローガンで終わった。では、日本とロシアの間で、北方領土は歴史的にどのような位置づけだったのか。
ご購入手続きは「codoc株式会社」によって代行されます
コラムニスト