バウルの便り

第03回

一本の弦が弾かれ音を出す時

 長い雨期が明けて乾期も本格的になって来たベンガルの今の時期はお祭りや催しが絶えません。どこの村でも年に一度は村人たちのためにお祭りが行なわれますが、私がこちらに来た当初、村祭りであろうと、寺院やアシュラムの催しであろうと、州政府のイベントであろうと「呼び物」はどこでも「バウルの唄」でした。当時ベンガルの村にテレビがあることは珍しく、村人が歌を楽しめるのはラジオだけでした。そしてそのラジオの音の悪さと言えば、私は日本のテレビのドキュメンタリー番組で聞いたことのある第二次大戦中のラジオ放送の音を思い起こしたものです。でも「高性能」「高音質」とはほど遠いその音は何故か耳に優しく、寒期の日だまりでの昼寝に眠気を誘ったものです。ともかく娯楽らしい娯楽のない村で人々の唯一の楽しみは村祭りでした。一生に自分の生まれた村と嫁いだ村という世界しか知ることのないような村の女の子たちは挙って着飾り、乳飲み子を抱えたお母さんも、おじいさんも、おばあさんも、一家の主も、揃って「バウルの唄」を聞くために集まったものです。

 古くからベンガル人の心を捉え、また詩人タゴールがバウルとの親交を深め影響を受けた後にはベンガル人の知的、宗教的情操の核を成して来たとも言えるバウルの唄。そしてその独特の旋律はベンガルの人々の哀歓と共にあり続けて来たと言えるでしょう。このバウルを象徴する楽器として「エクターラ」という名前の一弦の撥弦楽器があります。民芸品のデザインや、文化振興的な催しのシンボルに必ずと言っていいほど使われるのが手にこの「エクターラ」を持ち歌うバウルの姿です。人が楽器らしいものとして考えついた最初のものではないかと思わせる「エクターラ」。瓢箪で作られた共鳴部分は竹で挟まれ、真ん中に弦が張られています。この、いとも簡素で飾らない楽器……

 けれども、その一本の弦が弾かれ音を出す時、それはとても堂々として響き、一瞬にして心の奥深い静寂の場所に呼び戻されるような気持ちにさせられます。電気的に処理された音が充満する現在、それらの音は頭のどこかに潜む感傷的な部分を刺激するかもしれませんが、瓢箪に響いて出てくる音は遠い遠い昔のバウルや吟遊詩人たちの想いを今に引き寄せ、それが生き生きとした波動として合理的思考を超えた領域を揺さぶるかのようです。村のお祭りでバウルたちのために用意されたテントの中から聞こえてくる「エクターラ」の音。テントの中を渦巻く様々な音を押しのけて真っ直ぐにやって来て胸の奥深くに響きます。人々のおしゃべり、売り子たちの呼び声、酔っぱらいのわめき声、リクシャーの警笛、喧噪を作り出すありとあらゆるものを遠く彼方に退け、唯ひとつの音が存在感に満ち満ちて響き出すのです。

「宇宙に存在する全てがこの人間の身体にある」「人間の身体にこそ《神》は宿る」というバウルの哲学……そしてバウルはこの楽器「エクターラ」も身体に喩えます。インド哲学では、私たちは目に見える肉体次元の身体以外に不可視的な身体を持っているとします。そしてそこには生命エネルギーが流れる多くの気道がありますが、そのなかでも主となるのは、イダ、ピンガラ、スサムナの三つの流れです。スサムナは脊柱に沿いその基底部から頭頂に気道を持ち、その左側にイダ、右側にピンガラと呼ばれる気道があります。「エクターラ」の2本の竹は左右両側のイダ、ピンガラを表し、その間に張られた弦はスサムナを意味しています。
「魂の音」でなければ「宇宙の音」と言えばいいでしょうか。この「エクターラ」の音が魂を震わせると感じるのは、まるで、「エクターラ」の「スサムナ」の振動が、人間の身体の中心を貫く生命エネルギー「スサムナ」の流れを共鳴させるからであるかのようです。

コラムニスト
かずみ まき
1959年大阪に生まれる。1991年、日本でバウルの公演を見て衝撃を受け3ヵ月後に渡印。その後、師のもとで西ベンガルで生活を送り現在に至る。1992年、タゴール大学の祭りで外国人であることを理由に開催者側の委員長から唄をうたう事を拒否されるが、それを契機として新聞紙上で賛否両論が巻き起こる。しかし、もともとカーストや宗教宗派による人間の差別、対立を認めないバウルに外国人だからなれないというのは開催者側の誤りであるという意見が圧倒的大多数を占め、以後多くの人々に支援されベンガルの村々を巡り唄をうたう。現在は演奏活動を控えひっそりとアシュラム暮らしをしている。
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