この連載では社会的連帯経済という表現を一貫して使っていますが、このブログをお読みになっている一般の読者の方にとっては、連帯よりも「ふれあい」や「助け合い」という単語のほうに馴染みがあるものと思われます。もしかしたら、「なんで連帯経済なんて堅苦しい表現を使うんだ? ふれあい経済や助け合い経済でいいじゃないか」とお考えの方もいるかもしれません。しかし、一見似ているこれらの表現は、かなり違う実態を指しているため、「連帯経済」の連帯を「ふれあい」や「助け合い」に置き換えることはできません。今回は、そのあたりの意味合いの違いについて考察してみましょう。
ふれあいという単語は、1970年代にマスコミで使われ始め、1980年代に広まった表現で、似たような意味の単語としては交流を挙げることができますが、当初は「心のふれあい」という表現で主に使われたことからもわかるように、情的な交流が行われる場合に使われます。また、社会的に見て好ましい、かつ直接会った交流にその使用が限られている一方で、社会的に見て好ましくない、あるいは間接的な形の交流にはあまり使われない傾向にあります。以下、「ふれあい」という単語を使えるケースと使えないケースについてちょっと考えてみましょう。
- 「ふれあい」という単語が使えるケース
- 演歌歌手と老人ホーム入居者とのふれあい
- 猫カフェで猫とのふれあい
- 海外旅行で訪問先の人とのふれあい
- 林間学校で自然とのふれあい
- 幼児と保母さんとのふれあい
- 「ふれあい」という単語が使えないケース
- 日韓の医療関係者の交流(心のつながりよりも知識や専門技能に関する情報交換がメインなので)
- 政治家と暴力団員との交流(法的に問題となるような行為なので、「ふれあい」という単語が持つほのぼのとした雰囲気とは合わない)
- LINEを通じた母子の交流(インターネットや電話など、通信機器を通じた交流はふれあいにはならない)
「ふれあい」とみなされるケースでは全て、関係者の間での共感や癒し、励ましや歓待などが重要となる一方で、実体的な支援はそれほど重視されません。たとえば猫カフェに行って猫と遊んで癒される人の場合、猫と気持ちを通わせることが目的であり、当然ながらそれ以上の関係が生まれるわけではありません(猫カフェの意義自体を否定しているわけではないので、その点はご了承ください)。また、多くの場合ふれあいという単語は、海外旅行や芸能人の慰問など一時的な交流にのみ使われており、中長期的な関係の構築をそれほど意図していないことがわかります。
それに対し連帯は、相手とのより深い交流を意図していますが、その前に「連帯」(英solidarity)の単語のもともとの意味について、ちょっと探ってみましょう。以下、連帯経済に関する研究では世界の第一人者といえる、チリの経済学者ルイス・ラセト氏の論文「『連帯』の概念」から、そのあたりについて探ってみることにしましょう。
▲講演するルイス・ラセト氏
ラセト氏は、「連帯」(英solidarity, 西solidaridad)の語源としてラテン語のsolidus(英solidの語源)を挙げ、その意味として以下の3つを挙げています。
- 固く中身が詰まっていて、濃密で頑丈なもの
- 固体
- 真の原則とともに定着・確立しているもの
このうち、特に3番目の意味から、in solidum(連帯保証人などの「連帯」で使われる)という表現が派生しました。また、「連帯」という単語自体の意味としては、イタリア語における以下の4つの定義が紹介されています。
- 必要に対して複数の個人が協力・相互支援する絆
- 自らが参加するコミュニティと各個人を結ぶ一連の絆
- 人的・社会的連帯、すなわち感情・意見、困難、苦痛および良心による行動の共有
- 法律用語では、複数の債務者の義務を特徴付ける絆。これにより各個人が債務総額に責任を負うことができ、誰かによる債務の返済でその他の人も債務を免除される
これら基本的定義から連帯は「団体、結社あるいはコミュニティを構成する個人の間のヨコのつながり」と定義され、その参加者間には「平等」な人間関係があるわけです。また、このような人間関係を築くためには「個人間の強い結びつき」が必要で、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」の精神が何よりも大切になると述べており、以下の5原則を紹介しています。
- (液体や気体ではなく)固体のように確固たるものとして、事実あるいは連帯に基づいた事実を築き上げる、集団としての相互作用
- 連帯する個人間での状況、取り組みあるいは義務の平等性
- 相互扶助の絆、および団体あるいはコミュニティへの参加を通じて、全員が関係を築くこと
- 強固で明確に定義され、真実に基づいた根源的理由によって確立したものとして集団を構築する相互団結の濃密度
- 一過性ではなく安定した連帯的団結(一時的な気まぐれではない)
◀タイガーマスク運動により寄贈されたランドセル
このため、たとえば日本で一時期流行ったタイガーマスク運動は、連帯に基づいた行動であるとは言えません。あくまでも、関係者全員が目的を共有した上での行動を求めるのが、連帯の基本原理だと言えるのです。また、連帯ということばによいイメージがあることから濫用されがちで、本来の連帯には当てはまらないようなケース、具体的には一方的な支援やチャリティによる寄付、貧困層や障碍者などに補助金を提供する各種政策にも連帯という単語が使われている現状を指摘しています。
このような連帯という単語は、中世欧州のギルド(同業者組合)で使われ始めましたが、その後近代化が進むと労働運動でも「労働者階級の連帯」という表現が使われるようになり、その他の社会運動にもこの用法が波及しました。また、キリスト教では万人が神の子であるとされており、ここから兄弟愛(英fraternity)という表現がもともと存在しましたが、兄弟愛と同様の意味で連帯という単語も使われるようになり、ヨハネ・パウロ2世によりカトリック教会の基本原則の一つに定められています。さらに、フランスの社会学者エミール・デュルケムは、近代になり個人主義が強まる一方で、目的などを共有する個人が結束して協力することで各自の目的を共同で達成するようになっている点を指摘し、このような状態を「社会的連帯」と呼んでいます。
自然災害や事故、あるいはテロなどで多くの人命が失われた場合、日本では「絆」という単語を使って被災者への思いを伝える傾向にありますが、同じような場合に西洋社会では「連帯」という単語を使うことが多くなっています。「絆」でももちろん具体的な物的支援などが行われることがありますが、どちらかというと前述の「ふれあい」と同じく精神的な面でのつながりを従事する傾向にあるのに対し、「連帯」という表現では、被災者が直面する苦境を乗り越えるために具体的な支援を提供しようという態度が示されているわけです。
「ふれあい」に比べると、「助け合い」は確かに連帯に近い概念だと言えます。フェアトレードや産直提携についてはまさに消費者による生産者への支援活動ですし、労働者協同組合では労働者同士で助け合いながら経済活動を行っています。しかし、「助け合い」の場合は単に支援し合う関係性だけが重要視され、そのような支援関係を大義にまで深化させているわけではありません。RIPESS憲章やスペイン、あるいはブラジルの連帯経済憲章で宣言されているような理念を共有し、その理念を共有する仲間として中長期的な関係を構築してゆくことが、連帯経済の中心概念だと言えます。
「ふれあい」や「助け合い」と「連帯」との間には、認識面でこのような違いがあります。確かに現在の日本において「連帯」という単語はそれほど頻繁に使われておらず、連帯経済という表現は多少ぎこちなく聞こえますが、この単語の背景にはこのような思想があるのです。連帯経済という表現をお使いの際には、このような思想についても思い出していただければ幸いです。