廣田裕之の社会的連帯経済ウォッチ

第02回

資本主義でない経済

 連載の第2回目は、社会的連帯経済を考える上で欠かせない、資本主義以外の経済について考えてみたいと思います。
 現在の世界では、経済活動は主に資本主義企業と国営・公営などの企業によって運営されています。1970年代までは資本主義企業と公営企業の役割分担がそれなりにはっきりしており、その国(あるいは地方)全体のためになる事業は国や地方自治体が責任を持って運営し、利益至上主義に流されないような制度になっていましたが、1980年代には米国のレーガン政権や英国のサッチャー政権によりこのような国営企業の民営化が進み、日本でもその流れを受けて電電公社(現NTTグループ)や国鉄(現JRグループ)、日本航空(JAL)や日本道路公団(現在のNEXCO各社)、そして郵便局(現日本郵便株式会社)などが民営化され、国立大学も独立法人化されることになりました。米国では、なんと刑務所までが民営化されています。

日本国有鉄道本社にあった看板

◁日本国有鉄道本社にあった看板

 これら国営企業が民営化された理由は、簡単にいうと経営効率の追求、そして競争を通じたサービスの改善です。国営企業の場合、無理に目先の利益を追求せず、中長期的に国全体の利益になるような経営が可能ですが、そのため経営上の無駄が生じ、経営を圧迫することが少なくありません。実際国鉄の場合には、地域の需要を無視した公共工事目的で各地の政治家が地元に鉄道路線を乱造したり(「我田引鉄」)、利用者よりも自分たちの利益を優先した労働者が一部いたりなどの理由で、民営化(1987年)直前には25兆円もの膨大な累積債務を抱え、国自体にとっても経営上大きな荷物となっていました。ちなみに、1987年度の政府予算は54兆円でしたので、政府歳入の実に半分近くの額に相当していたと言えます。同じような理由で日本道路公団などの高速道路公団も採算性の低い高速道路を多数抱えることになり、2005年に民営化されたのです。また、ソ連など社会主義国ではこのような国営企業を中心とした経済が第2次大戦後に発達しましたが、同じような理由で経済的に行き詰まり、1989年の東欧革命、そして1991年のソ連崩壊につながりました。中国の場合にはそのような政権交代はありませんでしたが、中国共産党の手により市場経済化が行われたのです。
 それに対し、資本主義の主役である民間企業の場合には、基本的に利益を出して、そこから株主への配当を最大化すべく最大限の努力が行われます。赤字部門は廃止・縮小される一方で、利益を生む事業には積極的に投資が行われます。しかし、利益の最大化のために人件費や環境対策費などが削減され、それにより従業員や周囲の環境などが悪影響を受けることが少なくありません。極端な場合には、わずか数分の遅れも許さない過酷な運転ダイヤによって福知山線脱線事故(2005年)のような事故が起こり、多くの利用者の命を奪う悲劇をも引き起こしかねないのです。

JR福知山線脱線事故(2005年)

◀JR福知山線脱線事故(2005年)

 しかし、なぜここまで利益追求が最優先される社会になってしまったのでしょうか。経済には、社会主義と資本主義の2つしかないのでしょうか。
 そもそも経済という日本語は、中国の古典「文中子」の礼楽篇の中にある「経世済民」という表現を略したもので、基本的には一般庶民の必要を満たすための社会運営のことです。また、英語の economy の語源はギリシア語のοἰκονομία(oikonomia)ですが、この単語はοἶκος(oikos、「家」)とνόμος(nomos、「規則」)から構成されており、すなわち「家庭内規則」という意味になります。これはいったいどういう意味なのでしょうか。
 たとえば人口1万人の町で、1人あたりのお米の年間消費量が60kgなら、町内で毎年600トンお米を生産すればその必要は満たせます。不作に備えてある程度備蓄しておく必要はあるでしょうが、それでも毎年750トンあれば十分でしょう。750トンお米を生産するためには、種籾に加えて肥料や水、トラクターなど物資や道具の他、田植えや草刈りなどの仕事が必要となりますし、また農家から消費者の手にきちんと渡るようにするための流通・小売制度も欠かせません。このように、必要なお米を生産して、それがきちんと消費者の手に渡るような仕組み全体が「家庭内規則」すなわちeconomy、または経世済民となるのです。
 ここで大事なことは、ギリシア語も中国語でも、利益追求という概念が経済という単語の中に含まれていないことです。あくまでも商品(食品、衣服、住宅、書籍など)やサービス(教育、医療、介護など)がきちんと生産・流通されるような「規則」を作ったり社会運営(「経世」)を行ったりして、それを必要としている人にきちんと届く(「済民」)ようにすることが経済の本来の目的です。しかし、株主による共同保有である株式会社=資本主義の発達により、株主に金銭的利益を最大限提供することが生産や流通=経済活動を担当するこれら会社の最終目的になり、経済活動自体は利益創出の手段に成り下がってしまいました。ましてや、その経済活動の担い手である従業員や、その経済活動の舞台となる地域社会などは二の次、三の次になったと言ってもかまわないでしょう。
 このような中で注目されるのが協同組合、特に労働者協同組合です。株式会社の場合には出資者と労働者が完全に分かれており、あくまでも労働者は生産や流通といった活動の実施に必要な道具の一つでしかありません。たとえば倉庫を管理する会社の場合、そこでは荷物を動かす機械を運転する作業員が必要になりますが、会社の視点ではこの作業員の給料=人件費は機械代やその機械の燃料代などと同じ必要経費の1つでしかなく、技術革新により機械が無人でその荷物を動かせるようになるとその作業員は要らなくなり解雇されます。もちろん作業員=労働者とて生身の人間ですから、ゴミ同然に会社から見捨てられると生活ができなくなるので、労働基準法や失業手当などの形で労働者を守る制度が多かれ少なかれどこの国でも存在していますが、それでも労働者の雇用を守ることは株式会社の場合にはそれほど高い優先順位とはなりません。実際、大幅な黒字が出ていても、機械化・IT化などの流れを受けて従業員の大量リストラに踏み切る大企業は少なくありません。
 それに対し、労働者協同組合の場合には、労働者自身が組合に出資し、組合自体を共同所有する形になりますので、外部の株主を気にする必要がありません。労働者自身が共同経営する形になりますから、自身を酷使するような経営は当然のことながら回避され、より人間的な職場環境が生まれます。また、経営が苦しくなった場合にも解雇を避けるべく最大限の努力が行われます(仲間である他の組合員を守るべく連帯行動を取る)。出資者=労働者自身の生活水準の最大限の向上が、協同組合の最重要目的となるのです。
 また、協同組合としては他にも消費生活協同組合(いわゆる生協)がありますが、これも本来は必要な商品、具体的には安全で栄養価の高い食品などを手に入れるために消費者が集まって、その目的を達成するために結成されたものです。日本の現在の生協は、それ以外のスーパーなどとの競争で勝ち残るために当初の理念が半ば忘れ去られており、また資本主義企業側でもそのような消費者の需要を敏感に察知して対応しているケースが少なくありませんが、単に企業から与えられたものを買うのではなく、消費者自身が自分の欲しい商品を手に入れるべく組織運営に関われる点が、生協の特徴だと言えます。
 国営でも私営でもなく、あえて言えば「共営」の観点から経済活動を運営する協同組合運動については、社会主義や資本主義の欠点を克服する手段として、さらには経世済民やeconomyの本来の目的を達成する手段として、もっと注目されてもよいのではないでしょうか。
 次回は、この協同組合運動の発展について、もうちょっと深く掘り下げたいと思います。

コラムニスト
廣田 裕之
1976年福岡県生まれ。1999年より地域通貨(補完通貨)に関する研究や推進活動に携わっており、その関連から社会的連帯経済についても2003年以降関わり続ける。スペイン・バレンシア大学の社会的経済修士課程および博士課程修了。著書「地域通貨入門-持続可能な社会を目指して」(アルテ、2011(改訂版))、「シルビオ・ゲゼル入門──減価する貨幣とは何か」(アルテ、2009)、「社会的連帯経済入門──みんなが幸せに生活できる経済システムとは」(集広舎、2016)など。
関連記事