広州にやってきた貿易商たちの居館地域 (Forbes House Museum)

広州にやってきた貿易商たちの居館地域 (Forbes House Museum)

 火薬製造のデュポン、石油採掘のロックフェラー、不動産と銀行のメロンと、今尚アメリカのファミリー企業のトップにそびえ立つ企業群は、19世紀初めから中葉にかけて誕生した。しかし、当時産業の規模として最大だったのは鉄道業である。多額の資本と膨大な労働力を注ぎ込み鉄路を敷設する鉄道事業は、若々しい独立国アメリカの国造りの根幹、経済の大動脈づくりとなるビッグ・ビジネスだった。

ジョン・マレー・フォーブスの肖像画 (Forbes House Museum)

ジョン・マレー・フォーブスの肖像画 (Forbes House Museum)

 17歳で清国との貿易に乗り出し、若くして富と名声を築いたジョン・マレー・フォーブス(1813-1898)は、帰国後、鉄道事業に転身、東部からシカゴへ、さらに西部へと半世紀にわたり鉄道の発展に身をささげ、鉄道事業のパイオニアとなった人物だ。

 フォーブスはフランスのボルドー生まれのアメリカ人。母親のマーガレットは、清国貿易の第一世代、ボストン商人のプリンスと呼ばれたトーマス・H・パーキンスの娘。父親のロバート・ベネット・フォーブスはボストン郊外のミルトン生まれで、清国貿易の船主にして船長。13歳で清国貿易船の船乗りになり二十歳前には船長としてアジアからヨーロッパ、南米の航海に明け暮れ、夫妻はボルドーに居を構えていた。

 父ロバートが若くして亡くなると一家は祖父トーマス・パーキンスの経済的支援を受けた。ジョンは12歳で祖父が経営する貿易会社で事務員として働き始め、5年後に広州に向かう。祖父は1803年に広州に支店を設立しており、48人のスタッフが常駐していた。ジョンの兄トーマスもそこで働いていたが、海で遭難死し、兄の業務を引き継ぐための清国行きだった。

清国最大の商人・伍秉鑑の肖像画 (Forbes House Museum)

清国最大の商人・伍秉鑑の肖像画 (Forbes House Museum)

 広州での交易を13人の「行(ホン)」と呼ばれる官許商人が独占していた当時、トーマスは最大の豪商でホンの頂点に君臨し、当時の金額で2000万ドルの資産を有する「伍浩官(ホウカ=Houqua=通名)・本名は伍秉鑑(ごへいかん)」の信頼を勝ち得て彼の秘密代理人を務めていた。ジョンはこの人脈を受け継いで伍の薫陶を受け商才も開花、やがて伍のすべての業務を取り仕切るようになる。商用文書の返事作成、貿易船や輸出品の茶や絹織物の手配など、業務全般は表向きジョンの名前で行われ、ジョンが自分の事業を行っているように装った。ジョンの取り分は交易で上がった利益の10%。こうして若干19歳にしてジョンの名声は業界に知れ渡った。

 結婚のための帰国を挟んで前後6年にわたる清国滞在を経てジョンは母国に戻り、半世紀に及ぶ彼のライフワークである鉄道事業に乗り出す。
 祖父トーマス・パーキンスは清国貿易で得た富をいかにして増やしていくかに腐心していた。1925年、彼はアメリカで最初の商用鉄道「グラナイト・レールウェイ」の経営に乗り出す。ボストン近郊の御影石(グラナイト)の採石場の町クインシーからニポンセット川の積み出し岸壁までの4.8㎞の区間を結ぶ鉄道だ。ボストン北東部のチャールズタウンにアメリカ革命(独立戦争)のバンカーヒル記念塔を建てるための石材輸送を目的とした。鉄板で覆った木製レールの上を馬が引く貨車が走る方式だが、ビジネスとしての鉄道輸送の可能性を示す画期的な事業だった。ボストンのビジネス界のリーダーで州議会議員となっていたパーキンスが呼び掛けて会社を設立、大株主となったパーキンスが社長に就任した。

バンカーヒル記念塔 (Wikipedia)

バンカーヒル記念塔 (Wikipedia)

 ジョン・マレー・フォーブスはアメリカで初めて清国航路に蒸気船を導入した進取の気性に富む人物であり、商機を見抜く勘があり、清国との貿易や捕鯨業はもはやピークを過ぎたと見ていた。フォーブスが注目していたのは、蒸気機関車を用いる鉄道事業の壮大な可能性だ。折から中西部の穀倉地帯は、有利な価格で販売できる東部の市場へのアクセスを渇望していた。さらに1848年、カリフォルニア州で金鉱脈が発見され、いわゆるゴールドラッシュが起きると、一般のアメリカ人も自分の国を太平洋に至る大陸として俯瞰してとらえる考え方を身に着け始めていた。人々の流れは西へと向かう。物流と旅客輸送の要となる鉄道網建設への絶好のチャンスが到来したのだ。

 フォーブスの事業は、彼の友人や知人を足掛かりに投資を勧誘してまとまった資本を用意した上で、投資集団のリーダーとして事業に挑戦するスタイルをとった。土地や鉄鉱山、蒸気利用事業などに投資して資産を増やし、1846年、フォーブスは満を持して倒産寸前の「ミシガン・セントラル鉄道」の経営権を入手した。

 この鉄道は当初、カナダとの国境に近い五大湖周辺で、ミシガン湖とヒューロン湖に挟まれた牛の舌のような形のロウアー半島の付け根部分、東側のデトロイトと西側のセントジョセフを結ぶ約120㎞の路線として1930年に計画され、150万ドルを投下して翌年建設に着手した。しかし土地購入費が膨らみデトロイト市が50万ドルを資本注入したが行き詰まり、さらにミシガン州が500万ドルを注ぎ込んで州営とした。しかし、それでもうまくいかず、結局ミシガン州はフォーブス率いる投資集団に200万ドルで売却した。鉄道事業は巨額の資本を必要とするのだ。

御影石の貨車を引くグラナイト鉄道のイラスト画 (Thomas Crane Public Library)

御影石の貨車を引くグラナイト鉄道のイラスト画 (Thomas Crane Public Library)

 フォーブスの戦略はネットワークの構築で鉄道の価値を高めて経済合理性をもたらすことだった。ミシガン湖岸のセントジョセフの対岸にある物流拠点シカゴを目指し湖岸に沿って鉄道を敷設、そして拠点都市間の鉄路ネットワークづくりを推進した。イリノイ州の小さな鉄道会社5社を買収して資本を注入し連結、1856年に社名を「シカゴ・バーリントン・アンド・クインシー鉄道(CB&Q)」と改め、さらにこの5路線が隣接するアイオワ州、ミズーリ州へと鉄路を延伸させた。投資のPR、州政府や連邦政府との折衝、用地買収交渉、鉄路の建設、ランニングコストの低減などの激務をこなしながら、フォーブスは重役として一貫して会社の財務に専念して盤石な経営基盤を築き、1878年、巨大ネットワークに成長した同社の社長に就任した。

CB&Qの出発点となったミシガン・セントラル鉄道 (Wikipedia)

CB&Qの出発点となったミシガン・セントラル鉄道 (Wikipedia)

 この後も同社は中西部とロッキー山脈の麓の10州に鉄道網を敷設、今日でも穀物取引の中心地であるシカゴと穀倉地帯の各州が結ばれ、カウボーイたちが平原を通って運んで来た肉用牛は、カンザスシティからシカゴへと輸送された。同社はフォーブスの手堅い経営手腕で財務に不安がない一級の鉄道会社へと躍進した。鉄道への夢と情熱がなければ達成できない偉業だった。

 青年フォーブスが清国との交易で得た利益は、当時の金額で10万ドルと決して多くはない。しかし、彼は清国随一の豪商・伍秉鑑が見込んでビジネスの王道を仕込んだ経営者である。伍は「金を眠らせない」を信条に投資を続ける挑戦者だった。アメリカの鉄道事業の可能性をフォーブスから教えられた伍は、フォーブスの勧めに応じて鉄道事業に数百万ドルもの資金を投資、アメリカの産業に投資した最初の清国商人となったのである。

 

【主要参考文献】
『When America First Met China』Eric Jay Dolin (Liveright Publishing Corporation,2012)
『Famous Families of Massachusetts』Mary Caloline Crawford (Little Brown and Company,1930)
『An American Railroad Builder John Murray Forbes』Henry Greenleaf Pearson (Houghton Mifflin Company,1911)