北京の胡同から

第21回

新たなクリエイティブ空間「方家胡同46号」と『青い凧』

胡同に突然現れる標識

▲胡同に突然現れる標識。これはバス停ではなく、「方家胡同46号」内のカフェの看板の一つ。

 田壮壮監督の名作、『藍風箏』(邦題『青い凧』)の上映会が行われると聞き、8月のある日、国子監近くにある「方家胡同46号」を訪れた。実際に田監督も訪れ、上映後には質疑応答も行われるという。会場は、映画ファンのサロンとして名高い『猜火車』。映画『トレイン・スポッティング』の中国語タイトルを引用した店名で、以前はやや郊外にあったが、つい最近、「方家胡同46号」に移転した。

 ここでまず、場所のご紹介をしたい。あたかも単なる住所のように聞こえる「方家胡同46号」だが、実はこの場所自体がかなり個性的なのだ。8月半ばに誕生したばかりの、工場跡地を利用したクリエイティブ・スペースで、798工廠の「胡同版」といってもいい。798といえば、今や多くのガイドブックに名を連ね、画廊めぐりとショッピング、そして飲食が同時に楽しめる場として急成長した、北京で今や見逃せないアート・スポットだ。

 一方の「方家胡同46号」は、画廊こそ1つしかなく、規模も元国営軍需工場の798には遠く及ばないものの、かつては旋盤工場だったという9000平米の敷地の中に、中庭を囲んでカフェ、ギャラリー、劇場、小物店、店舗を兼ねた服飾のデザイン事務所などが集まり、バラエティの豊富さでは798に負けない。かつては国営工場だったことを感じさせる門枠がわざとデザインに組み込まれていたり、古い建物を敢えてそのまま使っていたりと、古い建物の再利用という点でも、798を手本にしているようだ。

 ちなみに、敷地がある方家胡同一帯には、乾隆帝の第三子である循郡王の屋敷跡があり、またかの文豪老舎も、この胡同にあった京師公立第十七高等小学校(現在の方家胡同小学校)の校長を務めた。当時は老舎自身もこの胡同に2年間住んだと言われている。そんな歴史をもつ胡同だが、現在は特に目立つ施設もないごく普通の庶民的な住宅区。その伝統的な街並みの中に、突如モダンなスペースが現れる、という「不意打ち」も、「方家胡同46号」の面白味の一つだ。まだまだ知名度こそ高くないものの、芸術やおしゃれに敏感な人々にとって、今後注目のスポットとなることが十分予想される。

敷地内の劇場や中庭では舞踏団によるパフォーマンスなどが行われる

▲敷地内の劇場や中庭では、北京現代舞団と呼ばれる舞踏団によるパフォーマンスなどを実施。文化関連の講演会なども盛んに行われているもよう。

 ところで、今回鑑賞した『青い凧』は、中国映画ファンの間ではお馴染みの作品。解放直後に結婚した陳・林夫妻とその子供「鉄頭」が文革に至るまでの間にたどった過酷な運命が、子供の視点を交えつつ丹念に描写されている。林の一人目の夫陳はいわれもなく右派のレッテルを貼られ、強制労働の末に死亡。二人目の夫は大躍進の時期に過労で死亡。後妻となった三人目の夫は、文革期に紅衛兵の攻撃の犠牲となる。

 この作品は1993年の東京国際映画祭でグランプリを受賞、主演の呂麗萍は主演女優賞を獲得した。編集段階で当局から制作停止の指示があったにも関わらず、無視して日本で作品を完成。監督自身も完成品を観る機会を得ないままの映画祭出品だったといわれている。検閲を経ずに映画祭に参加したということで、中国国内では上映禁止となり、田監督も10年間活動を禁じられた。

 そんないわくつき映画の上映会、それに監督も訪れる、ということで、もしかしたら結構刺激的な議論が飛び出すかもしれない、と期待していた。しかし、そんなアングラ的な活動内容とは裏腹に、いざ入ってみると、会場は白と茶色を基調にした、モダンで明るいスペース。移転オープンしたばかりとあって、窓から差し込む光で白い壁が輝いている。店内の雰囲気は移転前よりずっと開放的だ。

 訪れた客も大半が1980年以降に生まれた「80後」世代。ネットで呼びかけられたややアカデミックな上映会ということで、映画を学んでいるらしき学生も目立った。この世代の若者の、文革前の中国現代史に対する理解度は一般的にあまり高くないとされている。そんな彼らが『青い凧』にどのような感想を抱くのか、筆者はとても興味があった。

 ちなみに筆者が『青い凧』を最初に見たのは発表直後の90年代前半。現在以上に中国に関して勉強不足だった当時でも、淡々とした表現に強い印象が残った。北京でしばらく暮した今、改めて観ると、以前より更に数々のエピソードの含みもつ意味が痛々しく感じられる。実際にこちらで何人かの知人から雑談の合間に聞いた生々しい体験談が、映画のいくつかのシーンと見事に重なっていくからだ。更には、多くの場面で胡同の生活文化が生々しく描かれていることにも、感動を禁じ得なかった。特に春節に様々な形の提灯を持って胡同を走り回る子供たちの姿が印象的だ。

 その後の作品『小城之春』、『呉清源』でも感じたが、田壮壮監督は「中庭(あるいは庭)」のシーンを印象的に撮る。近年も四合院が舞台の映画は数多くあるが、昔ながらの生活の雰囲気を生き生きと捉えている作品はごく少ない。だが『青い凧』では、中国の政治の波が、一見静かに見える四合院での人々の暮らしを実は大きくゆさぶっていったことが、胡同や中庭でのシーンを通じて、時に静かに、時に生々しく表現されている。

 ところが、そんな筆者の感慨とは裏腹に、いざ上映が終わって質疑応答になると、予期に反して作品の表現をめぐる突っ込んだ議論は少なかった。代わりに目立ったのは、「映画監督になりたいのだが、どうしたらいいか」といった、進路相談に近い質問。その一つに田監督は、「質問に答えを与えることが、その人を害することになることもある」と答え、表現者の大先輩として、「大事なことは自分で考えろ」と映画人の卵たちを励ましていた。

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ティーチ・インでの田壮壮監督。参加者の熱心な質問が延々と続く。 胡同が一大観光地、あるいはおしゃれスポットと化し、文革グッズがお土産物として扱われ、かつてのプロパガンダ・ポスターもポップ・アートの分野に組み込まれている今、若い世代の胡同や文革以前の歴史に対する意識もどんどん変化していて当然だ。従って「80後」が『青い凧』に抱く印象も、筆者の想像とはかけ離れたものなのだろう。『青い凧』がもつ反逆性など、彼らにとって単なる「潔さ」「カッコ良さ」に過ぎないのかもしれない。

 以前、文革を体験していないのにも関わらず、文革をモチーフとして作品を発表し続けているアーティストに、なぜ文革を描くのか、と尋ねたことがある。すると、「皆がある1つの信念の下で集団的無意識の行為を毎日繰り返していたこと」が、自分の世代の生き方とあまりに距離が大きいため、そのギャップに面白さを感じる、という答えが返ってきた。彼が興味を持っているのは、紅衛兵の被害者ではなく、むしろ紅衛兵側の体験であったようだ。

『青い凧』の登場人物を自分に置き換えつつ鑑賞する世代とは距離を置き、「自分なら今、何をどう表現するか」で頭がいっぱいの観客たち。その熱心で矢継ぎ早の質問はまた、著名監督に自分を売り込むための「関係」作りのようでもあった。

映画の残したずっしりと重い感触を胸に、窓の外の、モダンだけどまだ甘さも残るデザインを眺めつつ、筆者はこの肩すかしを食らうような落差の大きさ、したたかさこそが、今の北京の活力を生んでいるのかもしれない、とふと感じた。

コラムニスト
多田 麻美
フリーのライター、翻訳者。1973年静岡県出身。京都大学で中国文学を専攻後、北京外国語大学のロシア語学科に留学。16年半の北京生活を経て、2018年よりロシアのイルクーツクへ。中国やロシアの文化・芸術関係の記事やラジオでのレポートなどを手がける。著書に『老北京の胡同』(晶文社)、『映画と歩む、新世紀の中国』(晶文社)、『中国 古鎮をめぐり、老街をあるく』(亜紀書房)、『シベリアのビートルズ──イルクーツクで暮らす』(2022年、亜紀書房刊)。訳著に王軍著『北京再造』(集広舎)、劉一達著、『乾隆帝の幻玉』(中央公論新社刊)など。共著には『北京探訪』(愛育社)、『北京を知るための52章』(明石書店)など。
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