第42回の連載でご紹介した通り、現在私は韓国・ソウル市役所の社会的経済支援センターから中南米における社会的連帯経済の公共政策に関する調査を請け負っていますが、その一環として先月ブラジルに滞在しました。連帯経済分野の分野で世界一注目されているブラジルですが、同国の連帯経済についてこの連載でまだ取り上げていないので、この機会にご紹介したいと思います。
その前に、ブラジルという国について概説したいと思います。ブラジルは26州とブラジリア首都特別区から構成されていますが、その国土は南米大陸の約半分を占め、米国本土(アラスカやハワイを除いた48州)よりも広い面積を有しています。このため、当然ながら地域によって気候風土や文化が大きく異なります。ブラジルの連帯経済を理解する上では、まずこの多様性を理解する必要があります。
▲ブラジルの地域区分(画像クリックで拡大)
- 北部 : 主にアマゾン川流域。世界的に見ても貴重な熱帯雨林が残る地域だが、木材の伐採や耕作のためにこの熱帯雨林が危機にさらされている。また、アマゾナス州の州都マナウス市は免税都市になっており、工業製品の生産が盛ん。
- 北東部 : ブラジルで最も古くから開発された地域で、現在はバイーア州の州都になっているサルヴァドール市は植民地時代の最初の首都だったが、降水量が少ないこともあり土地は痩せており、ブラジルで最も貧しい地域。多くの北東部出身者が後述する南東部に移住し、ファヴェーラと呼ばれるスラム街を形成した。また、特にアフリカ系の伝統文化が今でも色濃く残る地域。
- 南東部 : サンパウロ州、リオ・デ・ジャネイロ州そして鉱山地帯のミナス・ジェライス州などを擁し、ブラジルの経済的・文化的中心。
- 中西部 : 西部には広大な湿原が広がる。
- 南部 : 欧州系住民の割合が他の地域よりも多く、ブラジルの中でも欧州っぽい地域。最南部のリオ・グランデ・ド・スル州には牧童文化が残り、ブラジルの他州よりもむしろアルゼンチンやウルグアイと文化的に共通する面が少なくない。パラナ州の州都クリチバ市は優れた都市計画で、そしてリオ・グランデ・ド・スル州の州都ポルト・アレグレ市は世界社会フォーラムおよび市民参加型予算編成の発祥の地として世界的に有名。なお、ブラジルはほぼ全土が南半球に位置していることから南に行くほど涼しくなり、最南部では冬(7月)に降雪することもある
また、ブラジルは数多くの日本人移民を受け入れ、その子孫が数多く住む国として有名です。現在では100万人を超える日系人が、主にサンパウロ州を中心として、それ以外の州にも住んでおり、その勤勉さや誠実さによりブラジル社会で高く評価されています(日系人の歴史についてはこちらも参照のこと)。社会的連帯経済の興味深い例としては、その日系人により創設されたコチア協同組合(日本語関連資料)が有名で、この協同組合自体は時代の変化に対応できなかったことから1994年に解散していますが、社会的連帯経済に関心を持つ日本人としてこの協同組合についてはぜひとも知っておきたいところです。
ブラジルにおける連帯経済の成立を理解するには、同国の現代史を理解する必要があります。1964年に軍事クーデターが起き、1985年まで同国では軍政が続きました。この軍政の下で数多くの社会運動家が弾圧され、その中には諸外国への亡命を余儀なくされた人たちも数多くいましたが、そんな中で反軍政ネットワークが着実に全国各地に広がってゆきました。また、1970年代より土地なし農民運動と呼ばれる運動が勃興し、武装勢力を雇った地主側との文字通り死闘を経て農民が勝利を収め、大地主所有だった遊休地を獲得して自主運営する例が出始めました。
この時期に亡命した人の中で最も有名なのが、第6回の連載で取り扱ったパウロ・フレイレ(1921〜1997)です。彼は、文字も満足に読めない貧困層が教育に対して無関心な現状をどう打破するか考え、そもそもその貧困層の生活を理解した上で、彼らとの対話を通じて適切な教育を与えるべきだという考えに至りました。また、外部から見ると悲惨な生活に見えるものの、それに特に不平不満を述べることなく耐える貧困層に対しては、対話型教育を通じて自分たちの悲惨な状況を理解させ、それを克服する方法を一緒に考えてゆくことにしました。この対話型教育の手法はブラジルの社会運動家に幅広く共有され、その後の連帯経済運動にも引き継がれてゆきます。
また、1985年に民主化したものの、当時の世界的な政治潮流は新自由主義であり(英国のサッチャー政権や米国のレーガン政権が代表的。日本でも中曽根政権により国鉄が民営化された)、国営・公営企業の民営化が進む一方で最低賃金は抑えられ、貧富の差が拡大していました。このような状況の中で、1995年頃から民衆に根差した協同組合を推進する動きが活発化し、1997年にペルーの首都リマで開催された第1回RIPESS(社会的連帯経済推進者大陸間ネットワーク)を受けて連帯経済という枠組みでブラジル国内でもさまざまな取り組みのネットワーク化が進み、2001年に始まった世界社会フォーラムでも取り上げられるようになりました。
しかし、ブラジルの連帯経済が本格的に世界中で注目されるようになったのは、ルラ政権(労働者党、2003〜2010)の発足以降です。もともと市民運動などを支持基盤としていた同政権下で労働雇用省に連帯経済局(SENAES)が発足し、サンパウロ大学教授として連帯経済の理論を確立していたパウル・シンジェルが同局長に就任しました。また同年には、同国内の連帯経済運動のネットワークとしてブラジル連帯経済フォーラム(FBES)が発足しました。その後各州や主要都市などでも同様に、州政府や市役所側で連帯経済を担当する部署ができたり、FBESの州支部などができたりしました。現在ではほぼ全ての州政府に連帯経済担当部署があり、またFBESの州支部も存在しています。なお、2013年12月にはフランスとブラジルとの間で連帯経済に関する協力の合意が行われましたが、これによりブラジルからフランスに対して(フランスからブラジルではない点に注意!)技術移転が行われることになります。
さて、そんなブラジルの連帯経済ですが、具体的にはどのような活動が含まれるのでしょうが。それについて詳しく紹介した動画がありますので、まずはこちらをご覧ください。
▲ブラジルの連帯経済を紹介したプロモーションビデオ(12分、日本語字幕あり)
連帯経済にはさまざまな分野がありますが、以下具体的に見てゆきたいと思います。
協同組合(廃品回収組合)
他国同様、ブラジルでも連帯経済の主役というと各種協同組合になりますが、ブラジルで特記すべきは廃品回収組合が非常に多い点です。ブラジルなど中南米では、リサイクルの公的システムが確立していないことから、ペットボトルや空き缶などが街頭などに投げ捨てられたりすることが少なくありませんが、このような資源ゴミを回収して再資源化する組合がブラジル各地に存在します。
家族農業協同組合・フェアトレード
かつてほどではないものの、日本では依然として農家の大多数が農協(JA)に加盟していますが、ブラジルには日本の農協のような、自作農の協同組織はそれほど多くありません。その多くは、数百〜数千ヘクタール規模の大規模農園主の連合であり、各農園内では地主が小作農を低賃金でこき使っていますが(その反発として前述した土地なし農民運動が勃興した)、小規模農家の多い地域では彼らが協同組合を作って、農産物の流通を改善しています(日本の農協も、当初はこういう姿だった)。ブラジルでは学校給食の食材の一定割合をこれら農家から仕入れることが義務付けられており、このためこれら協同組合が一定の市場を獲得できるようになっています。
また、ブラジルではフェアトレードの概念がこの家族農業に応用されています。フェアトレードというと、途上国のコーヒーや民芸品などを先進国の消費者が高く買い上げる運動を思い浮かべる人が大半だと思いますが、ブラジルではこの概念を国内の農産物や民芸品に応用し、行政がこれら零細農家や職人などをフェアトレード業者と認定することで、生産物の販路を獲得しやすくしています。むしろ、日本でいうところの産直提携に似ていると言うことができるでしょう。
回復工場
ブラジルやアルゼンチンなど中南米では、回復工場と呼ばれる動きがあります。これは、経営危機に陥り閉鎖を余儀なくされた企業の元従業員がその工場を乗っ取り、協同組合を設立してその運営を引き継ぐというものです。もちろん経営側が簡単に工場を元従業員に引き渡すはずがなく、場合によっては武力行使にも耐えなければならないのですが、長い闘争の末に工場を勝ち取る事例もいくつかあります。ただ、工場労働者時代と違って、労働者自身が経営や会計も行わないといけないことから、その点で支援が必要となります。