今回は、社会的連帯経済の中でも日本ではあまり知られていない、土地なし農民運動や回復工場(回復企業)について紹介したいと思います。これらの実践には直接相関関係があるわけではありませんが、遊休地や閉鎖された工場といった未活用の資源を有効に活用して生産活動を実施し、雇用を生み出すという点で共通点が見られますので、今回はこの両方に焦点を当てたいと思います。
土地なし農民運動は、軍政(1964~1985)最末期の1984年にブラジルで生まれた運動で、大地主が保有している遊休地を小作農らが占拠し、自分たちの農園として運営するというものです。ブラジルでは大地主は伝統的に社会の支配層として君臨し、彼らを保護する政治が行われる一方で、自給自足的な零細農業はおろそかにされてきました。また、大地主が土地を有効活用していない場合でも、その土地で他の農民が農業を行うことは、その地主の許可なしでは不可能でした。ブラジルのように広大で貧困層の多い国で、農業をしたい人がそのための土地を得られないことが問題視されており、この運動に対してカトリック教会が理解を示したことから、このような土地改革の機運が巻き起こりました。1980年から1981年にかけてブラジル最南部リオ・グランデ・ド・スル州でそのような遊休地を土地なし農民が占拠する事件が起き、教会や市民運動の支援もあって最終的にこの土地を勝ち取りましたが、この流れがやがてブラジル全土に波及し、同運動となったのです。
◀土地なし農民運動のロゴ
1988年に制定された現ブラジル憲法には、このような遊休地の再配分に好意的な条項があります。第184条ではブラジル政府に対し、「社会的機能を果たしていない農地については、農地改革の目的により、社会的利益のために収用」することができると規定されており(もちろん地主に対して補償する必要はありますが)、その社会的機能については第186条で以下の通り規定されています。
- 合理的かつ適切な活用
- 利用可能な天然資源の適切な利用および環境保護
- 労働者との関係を規制する規定の遵守
- 地主および労働者の福利厚生を推進する土地活用
ブラジルではこの法的基盤から、各地で土地なし農民による遊休地の占拠が行われるようになりましたが、当然ながら地主はこのような状態を放置しておくはずがなく、農民は場合によっては刺客などに命を狙われる危険を冒しています。また、農協を設立して加工を行ったり販売ルートを確保したりして、生活水準の向上に努めています。
この土地なし農民運動に似た事例として、スペイン南部アンダルシア州セビリア県にある人口2700人ほどの村マリナレダが挙げられます。アンダルシア州もブラジル同様に大土地所有制が昔から続いており、大金持ちの地主と貧乏な小作人という社会構造がありましたが、ここでも1200ヘクタールもの農園エル・ウモーソを地元農民が1980年に占拠し、長年の戦いを経て1991年に彼ら農民にこの土地が手渡されることになりました。翌年マリナレダ農協が発足し、農業のみならず加工工場も併設され、地域住民に雇用を提供しています。また、この村はスペインでも最も左翼の強い村として知られており、自ら建設するという条件の下わずか月15ユーロで住宅を借りることができ(建築資材は村が提供)、近隣の村よりも高水準の生活が保証されています。なお、同村のフアン・マヌエル・サンチェス・ゴルディジョ村長は徹底した社会運動家として、スペイン全国で非常に有名な存在です。
▲マリナレダを紹介したドキュメンタリー(英語字幕付き)
その一方で、回復工場とは、経営難などの理由から一旦閉鎖した工場の元従業員が、協同組合を結成してその工場の経営権を獲得し、運営を続けるというものです。労働者の権利という観点から考えると、工場閉鎖により労働者は労働の権利を奪われることになりますから、労働者側でその工場が再建できるという見込みがあると考える場合、その工場の運営を引き継ぐ権利があることになります。
とは言え、工場が閉鎖されても、その所有権は当然ながらその工場を所有していた企業、具体的には以前の経営者が依然として保有していますので、経営権を獲得する上ではかなりの困難が伴います。以前の経営者が元従業員の生活を案じて、工場を安く払い下げたり、あるいは当面の間元従業員に運営を任せたりしてくれればよいのですが、元経営者は通常、自分の会社の利益しか考えず、元従業員の生活など気にもかけません。このため、元従業員たちが半ば非合法的な方法で工場を乗っ取って自主運営することが多々あり、この場合所有権を侵害された元経営者からさまざまな嫌がらせを受けることになります。
◀回復工場について紹介したNHK-BSドキュメンタリー(画像をクリックすると新規タブまたは新規ウインドウにて動画サイトの当該ページを表示します)
南米では、このような回復工場の事例が数多くあります。その中でも有名なのがアルゼンチンの首都ブエノスアイレスの中心街に位置する4つ星ホテルのホテル・バウエンで、タンゴでも歌われている繁華街コリエンテス大通りのすぐそばにあります。このホテルは1978年に開業しましたが、その後1990年代に経済が自由化されて外国資本のホテルが多数開業すると経営難になり、2001年に閉鎖されますが、2003年3月に元従業員らがこのホテルを占拠し、協同組合として営業を再開します。アルゼンチン政府側による立ち退き命令が何度か出されましたが、2015年6月時点で強制立ち退きは実施されておらず、このホテルは10年以上にわたり回復企業としての活動を続けています。
◀ホテル・バウエン
日本では土地なし農民運動が問題視したような大土地所有制は戦後の農地改革で廃止されていますが、むしろ現在は中山間地などで耕作放棄地が増え、せっかくの農地がきちんと活用されていない場合が少なくないものと思います。貴重な農地を遊休地のまま放置するのではなく、希望する人がその土地で農業を行い、自家消費用の作物全てとまではいかなくても、かなりの部分を自給自足できるようになれば、そのぶんだけ生活費を節約することができますので、半農半Xを目指している人などがこれら農地を活用できるように法制度を変えるべく検討を始めてもよいのではないでしょうか。マリナレダについては、最近この村を紹介した「理想の村マリナレダ」が日本語版で刊行されたことから、日本でもこの村についての情報が入手しやすくなっていますので、ご関心のある方はこの本をご一読されるとよいでしょう。
回復工場については日本でも、奇しくもホテル・バウエンと同じホテル業界において、同様の事例が過去存在していました。東京は品川駅前に存在した京品ホテルがその事例で、同ホテル自体は堅実な経営を行っていましたが、親会社がバブル期に建設したリゾートホテルなどが不良債務化し、2008年5月に親会社が同ホテルを債権買取会社に売却後、10月20日に廃業宣言をしました。元従業員の中でこの廃業に納得しなかった人たちは翌日以降も3か月以上にわたって営業を続けましたが、翌2009年1月25日に警察などの手によって強制排除させられました。とはいえ、社会的連帯経済や回復工場の事例がほとんど知られていない日本で、このような事例が短期間とはいえ存在したことは、特筆に値するでしょう。労働者保護の観点では回復工場は非常に興味深い事例ですが、所有者の権利などの問題が発生するため、雇用を守る観点から回復工場を推進する場合、適切な法制度を整備する必要があると言えるでしょう。