北京の胡同から

第46回

意識の変革を通じ、真の文化財保護を──北京文化遺産保護センター、何戍中さんインタビュー

 北京の伝統ある市街地のあちこちで、今もなお続く無情な取り壊し。だがその荒々しい手を必死で押し止め、価値ある建築物を破壊から守ろうとしている人たちがいる。
 全国でも数少ない、文化財の保護を目的としたNGO組織、「北京文化遺産保護センター(略称CHP)」。政府にも認可された正式なNGO組織として、十年にわたり、以前ご紹介した鐘鼓楼周辺を含む、さまざまな旧市街地の取り壊し問題に果敢に取り組んできた。その一方で、各地の少数民族の文化の保護にも取り組んでいる。
 今回はその発起人の何戍中さんに、CHPの活動や理念と抱えている問題、そしてそのご自身との関わりについて語ってもらった。

●SARSの年に設立

 ──中国では、まだあまり普及していないNGO。立ち上げには困難があったのではないですか?

 ライセンスを手にしたのは、今から10年前の2003年ですが、活動自体は、それより6、7年前から始めていました。ただ、中国ではさまざまな活動に政府の許可が必要で、単なる私的集まりのままではその許可が得られません。また、公的な組織でないと合作プロジェクトが展開しづらく、銀行口座も作れません。ですから私たちは、NGO組織としての登録は円滑な活動のために、不可欠だと考えました。
 でも、中国でNGO組織としての認可を得るのは、とても難しいことです。そのため、申請だけで4、5年かかりました。政府側から提示されたい条件のいくつかは、実際には達成が不可能に近いものだったからです。
 チャンスが訪れたのは、SARSの時でした。当時の特殊な情況の中でも、私たちは申請のために毎日足繁く民政局に通っていました。すると、民政局の人も心動かされたのか、許可してくれたのです。当時は、役所の人も他人との接触による感染を恐れていたため、許可証の渡し方も特別でした。ビニール袋にレンガと許可証を入れて、投げてくれたんです。その時かけられた言葉が忘れられません。「あなたたちの申請を許可する。でも面倒な事は起こすなよ」と言ったのです。

 ──文化財の保護に興味を持ったきっかけは何ですか?

 大陸ではこの60年にわたり、文化に対する理解を深めるための基礎、専門家に欠けていました。専門家は技術畑ばかりで、一様に経済建設ばかりを中心に置き、文化の尊重に欠けていました。文革は1976年に終わったと思っている人が多いですが、実際のところは、文化財に対する態度という意味で、その影響はその後も長く続いたのです。
 私は今年で50歳です。実は生まれてから大学を卒業するまで、上海にいました。上海近郊にある県で育ち、両親は小学校の教師でした。文革中は、古い民家が残る環境で、本を読んで過ごしたのですが、外では毎日のように人が死んだり、パレードをしたりしていました。大学では法律を学んだのですが、当時、1980年代初頭といえば、まだ新中国では法律学など確立されておらず、先生はみな国民党時代に法律を学んだ人でした。ドイツやフランスに留学に行ったことのある人もいました。その時、民国期の中国に触れることができました。また、私が通っていた華東政法大学のキャンパスは、かつてアメリカ人が上海に開いたセント・ジョンズ大学の跡地を利用したもので、まるで教会のように美しい建物でした。

 ──その時、伝統建築の美しさに目覚めたのですね。

 ええ、当時はまだ、人々の古い建物に対する態度は、文革後期のままでしたが、それでも建物たちは圧倒的に美しかった。そのギャップが、かえって私にいろいろな思考をもたらしました。
 実際のところは、中国の伝統建築の置かれている状態は、そこまで最悪というわけではありません。ただ現地の人々、公衆の大多数の人が、関心を持っておらず、その価値や重要性を理解してもいないのです。そのため、どんなに素晴らしい建物も、作用を発揮できず、結果的に、建物自体の価値も低くなってしまいます。
 古い建築物へのアプローチといえば、たいてい考古学や文化遺産保護といった関心からの場合が多いです。でも、中国にはすでに3000余りの博物館があります。伝統建築の修繕を行っているところもたくさんあります。私はそれらも大事だけれど、もっとも大事というわけではないと思いました。
 なぜなら、そういった活動は直接かつ有効的に人を変えることはできないからです。

北京文化遺産保護中心の発起人、何戍中さん

◀北京文化遺産保護中心の発起人、何戍中さん

●伝統建築を「価値ある」ものに

 ──中国では、古い建物=ボロボロで価値のない物という意識を根強く持っている人が多いように思います。

 その通りです。文化財の保護とは、実際は、現地の人々の文化的教養の問題であり、伝統建築に関心を持たないことによって、人々は粗暴で荒々しくなり、素養に乏しくなってしまっているのです。 
 私はだから、NGOの設立を通じ、人々を教育し、保護の意識をもつよう、その意識を変えたかった。どこもやっていないこと、政府も企業もやっていないことをやりたかったのです。文化や伝統の保護に関する、最低限の認識や理解を持たせることで、現地の人たちに、「保護活動に積極的に参加したい」という願望やそれを実現するチャンスをもたらしたいと思いました。

 ──胡同を歩いていると時々、建物の価値や胡同の歴史を知っていながら、取り壊しに抗えない人に出会います。

 もちろん一部には、保護したいという願望を持ち、保護活動に参与したいと思っている人もいますが、彼らがそのチャンスや方法、ルートを得るのはとても困難です。
 私たちの団体の主な理念は、そんな方々も含めた地域社会が、文化遺産を保護するのをサポートする、というものです。その際、重きを置く原則には二つあります。
 一つは、文化や伝統建築は、現地の庶民に属するということ。第二に、保護の権利と義務も彼らにあるということです。
 社会は必ずしも文明的に発展するとは限りません。かつては故宮にさえ、破壊の手が伸びたことがありました。私は、もっとも重要であり、また実際に中国で劣っているのは、人々の社会に参与したいという積極性と、その政府を動かす力だと思っています。

 ──文化財の保護を趣旨としたNGOは、中国ではたいへん珍しいようです。

 ええ、同種の組織はほとんどありません。
 一見、NGOに見えて、実は政府の息がかかっているものが、中国にはたいへん多いからです。かりに独立したNGOであっても、法的に許可を得ているものはとても少ないのです。
 保護に取り組んでいる組織は、いろいろとあります。でも、互いにバラバラです。連携したくても、その土台となるものがとても少ないからです。

 ──中国国内でNGO組織を維持していくのは、大変なのではないですか?

 最大の問題は資金で、かなり逼迫する時もあり、とても不安定です。でも独立した地位を保つため、資金はとても大切です。実は政府は、NGOの資金について、とても厳しい制限を課しており、毎年末の審査の際、その残金が、登録時の資金(2万ドル以上)より上でも下でもいけません。つまり、もし安定した資金が得られていなければ、活動が大きく制限されます。でも私たちは目下、少ない時は年間1万ドル、多くても、3、4万ドルの資金しか得られていないのです。
 その一方、資金を集めたくても、中国でNGOについて正確に理解してもらうのは大変です。NGOは「非政府組織」と訳されますが、その響きから反政府的組織だと誤解する人さえいます。しかも、私たちの活動は、「すでにあるもの」を保護するよう、人々の意識を変えること。建物を新しく復元したり、補修してきれいにしたりするのではありません。だから、成果を誰にも分かるように見せるのが難しい。なので、なかなか支持や援助が得られず、苦労しています。つまり、合法的なNGOであるにも関わらず、あまりにもサポートに乏しいため、存在はきわめて不安定です。

 ──北京では、オフィスを借りるのも大変でしょうね。

 ええ、活動には、固定したオフィスが必要ですが、北京に設けるとなると、その費用はとても高い。しかも年々家賃が上がっていて、この3年間で2倍になりました。生活水準も高くなっていますから、スタッフに払う給料もそれなりに上げなくてはなりません。政府がNGOに求める条件の一つは、フルタイムのスタッフを雇っていることだからです。
 理想は、安定した資金源が得られ、オフィスがきちんと維持でき、最低5人の専業スタッフが雇えて、最低2部屋のオフィスが借りられることです。そうすれば、一つの部屋をオフィスにして、もう一つの部屋を、会員たちの活動に使えますから。

●少数民族の伝統工芸から、旧市街地の取り壊しまで

 ──具体的な活動には、どのようなものがありますか? 活動の成果はどうですか?

 率直に言えば、この10年間に、いろいろなことができたことに、自分でも驚いています。
 人に働きかける仕事については、対象には2種類あります。
 一つは、少数民族です。彼らは、伝統的な文化や生活スタイルが壊滅の危機にありますが、保護する能力には、あまりに限りがあります。
 彼らに対しては、いくつかの方法をとっています。まずは、文化関連の記録を整理させ、写真なども付して出版させることです。そして、その著作権は文化の担い手に与えます。本の編著者として名前が載ることで、彼らは自らの文化に誇りを覚え、自尊心をもつようになります。私たちはその本の「後書き」を書くだけです。文字としてまとめられることで、政府も彼らの文化を尊重するようになります。
 第二に、少数民族の工芸品の保護です。工芸品の個性についての理解を深め、作り手を組織し、その販売を容易にするようにしています。村民を主体としてライセンスをとらせ、自分たちの協会組織を作らせるのです。そうしないと、お金がうまく管理できず、下手をすれば利益を地方の役人に吸い取られてしまうからです。また、組織化されると、合作の契約も結びやすくなり、公開と監督が可能になります。
 第三に、少数民族が集まる一部の地区では、街の建築が大量に取り壊されています。そこで、伝統ある市街地の建物が壊されないよう、阻止する手伝いをしています。

 ──少数民族を対象にした保護例にはどんなものがありますか?

 例えば、新疆のカシュガルは、ウイグル族にとっての心の故郷ですが。近年、文化の破壊が激しい地区です。そこで、できるだけ保護するよう働きかけました。以前に比べればだいぶ少ないですが、今でもある程度は古い街並みが残っているのは、6年かけて保護活動を行ったからです。さもなくば、すべて消えてしまったでしょう。

 ──第二の対象とは、歴史都市の住民たちですね。

 ええ、全国のあちこちが、似たような状況にあります。政府のやりかたは大同小異ですから。私たちの組織名には「北京」とありますが、NGOとしての登録地が北京であるだけで、実際は全国の問題について、ソリューションを示し続けています。全国の都市の古い市街区が遭遇している問題は似たり寄ったりだからです。
 ただ、大都市には幸い、「保護をする能力」のある人がいます。北京や上海のホワイトカラーは、情報をめぐる高い技術力を持っているからです。

 ──公聴会などはほとんど開かれていないようですが、実際には、どのように開発側と保護のための交渉をしているのですか?

 ええ、直接話し合う機会はまったくありません。先述の通り、大都市に欠けているのは、伝統の尊重と市民社会だからです。ですから、都市の一部の人に、自分で考えながら、伝統建築の保護活動に携わってもらうようにしています。そうすれば、参加のプロセスで、参加者もやるべきことを知ります。その結果が有効で、成功すれば、「だいじょうぶだ」と分かるのです。
 これを見て、デヴェロッパー側も怖くなります。歴史を知る人が増え、保護に参与する人が増えれば、メディアの報道も増えるからです。ですから、収穫は大きかったです。

 ──具体的には、どのような成果がありましたか?

 例えば、前門の某巨大デヴェロッパーのプロジェクトについて、もともとの開発計画のひどさを批判した時のことです。CNNなどもそれを報じたため、二週間にわたり、その会社の株価が下がり続けました。頭を痛めたトップは、開発計画を白紙に戻しました。それまで、政府の役人は前門について関心をもたず、理解もしていませんでした。でもこのプロセスで彼らも、前門とはどのような場所で、どう開発すればよいかを、理解し始めました。
 改修後の前門を見て、「あれはひどい」という人は大勢いますが、もともとのプランはもっとひどかったのです。
 そういうわけで、私たちはひとたび無理な再開発計画があると、さまざまな手立てによってあらを探し、「目論見書」を手に入れようとします。そして法律的な観点から、違法な点を見つけて叩き、討論会を開いたり、プレス向けの原稿を書いたりします。現在、多くのデヴェロッパーは国際企業になっていますから、これをとても恐れます。さらには、多くの他のデヴェロッパーが、背後でその様子を見て学びます。そこで、自然と乱開発が縮小する傾向が生まれるのです。

 ──でも、鐘鼓楼のケースでは、「取り壊してから詳細な計画を建てる」という、前門のケースと同じことが繰り返されていますが。

 あれでも、だいぶ縮小したんです。3年前に、政府はあの地区の整備に40億元という予算の提供を約束しました。でも、私たちは討論会をどんどんと拡大して開き、訴えました。残念ながら開発は再開しましたが、規模は小さくなってきていて、今は元の半分です。民衆の反対の声が高まったからです。
 制限されているので、中国国内のメディアはいまだにこのことが報道できません。でも、BBCやアルジャジーラなどがインタビューしています。

 ──確かに、現在のところ、取り壊された家屋はほんの一部で、本来の計画より、だいぶ進行が遅いようです。

 そうでしょう? 本来の計画なら、今頃はほとんど更地になっているはずです。
 このように、北京の旧城地区の再開発計画に関しては、私たちはその半分ほどに、何らかの声を上げています。

●国境を越えて広がる活動

 ──CHPの参加者にはどんな人がいますか?

 現在、専任の職員は2人だけですが、ボランティアは、全国に5000人ほどいます。この他にも、随時助けてくれるメディア関係者や、外国人の友人がたくさんいます。
 ボランティアの内訳は、デザイン関係者、建築家、役人、エンジニア、大学生、高校生などさまざまで、年齢層も、10代から80歳以上の高齢者までと、幅広いです。

 ──海外の機構との関係も深いようですね。

 ユネスコ、各国の大使館、ヨーロッパなどの海外の基金と、資金の融通や人的交流、共同プロジェクトなどを展開しています。ただ、そういった基金には、教会や伝統建築、人権問題、民主化、手工芸などにターゲットを絞ったものが多いため、残念なことに、彼ら自身も資金不足に悩んでいるようです。
 海外の機関との間で具体的に行われているのは、フォーラムの開催、資料や出版物の編纂、重要な人物によるレクチャーや報告会の実施などです。特に、ドイツやアメリカなどから大学の教授を呼び、海外での保護の実態などをレクチャーしてもらったりしています。鐘鼓楼地区についても、二度ほど開催しました。地方の官僚などにとっても、国際化は魅力的ですし、観光客を引き付けられるので、そのような事例紹介は価値があるのです。
 ただ、残念ながら、まだ日本の機関とは一度も協力関係が結べていません。決して拒んでいるわけではなく、むしろ大歓迎なのですが。

 ──この十年で、どんな成長があったと思いますか?

 最初は経験に乏しかった私たちですが、この10年の試みの中で、経験を蓄えることができました。文化財の保護に関しても進展があり、現在成功しつつある多くのことは、ほんの五年前でさえ、実現不可能だったことです。
 保護活動に関しては、まだまだ傍観しているだけの人も多いですが、少なくとも、「誤った開発計画は批判したって大丈夫なんだ」という意識が多くの人々の間で芽生えてきています。以前なら、一介の市民が開発を批判するなど、思いもかけぬことでした。つまり、人々の意識の向上は明らかで、自分たちにやれることも、どんどんと大きくなっています。

 ──現在のプロジェクトの規模と、将来の目標は?

 現在、広州、上海、南京、蘇州、ラサ、カシュガル、フフホト、ハルビンなどでプロジェクトを行っています。
 将来の目標は、CHPのような試みをする人が広がり、北京に10の組織、全国では100の組織というように、全国的な規模で活動が広がっていくことです。そして、中国が本当の意味で高い文化を持つ国になればすばらしいです。

コラムニスト
多田 麻美
フリーのライター、翻訳者。1973年静岡県出身。京都大学で中国文学を専攻後、北京外国語大学のロシア語学科に留学。16年半の北京生活を経て、2018年よりロシアのイルクーツクへ。中国やロシアの文化・芸術関係の記事やラジオでのレポートなどを手がける。著書に『老北京の胡同』(晶文社)、『映画と歩む、新世紀の中国』(晶文社)、『中国 古鎮をめぐり、老街をあるく』(亜紀書房)、訳著に王軍著『北京再造』(集広舎)、劉一達著、『乾隆帝の幻玉』(中央公論新社刊)など。共著には『北京探訪』(愛育社)、『北京を知るための52章』(明石書店)など。
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