北京の胡同から

第23回

特別編・北京芸術区

「当たり前の権利」を求めて──暴力に抗うアーティストたち

 近年、中国にも現代アートなるものが存在し、一部の作品にいたっては、かなりの高額で取引されていることが、日本の人々にも知られるようになってきた。北京五輪後、金融危機の打撃は受けたものの、北京の郊外に広がる広大な芸術区の数々では、まだまだ意欲的な創作活動や展示が行われている。北京で活躍する欧米出身のキュレーターの中には、現在の北京の芸術的雰囲気の強さは「芸術の都パリ以上だ」と言う人もいるほどだ。

 先日の『新京報』では、アジアをまたにかけて活躍してきた文化人である陳冠中も、「金がなくても、北京で絶望することはない。全国で人々が金が多いか少ないかだけを比べている時、北京にはまだ一日中『俺とお前のどちらがすごいか』を競っている人がいる」というコメントで、北京の魅力を伝えた。

 パリとの比較はともかく、後者については、筆者も同感だ。経済的な利益は二の次、ただ自己表現をしたい、という純粋な一念で、仲間と切磋琢磨しあいながら制作活動を続けている人々を、筆者はこれまで多数インタビューしてきた。

 だが、どんな創造的行為にも、それを支える環境が必要だ。ところが先日、悲しいニュースが伝わってきた。どうも、本来ならクリエイター達をしっかり支えるべき人々まで、今は金欲のとりことなってしまったようなのだ。

突然の取り壊し通知

 日本でもニュースで流れたということで、もうご存じの方もいるかもしれないが、北京の創意正陽芸術区で、不法な立ち退きと取り壊しに抗っていたアーティストたちを、夜中に突然暴漢が襲い、日本人美術家1人、女性1人を含む計6人が袋叩きに遭った。彼らを救うため、隣の008芸術区から8人の芸術家が応援にかけつけたが、その内の3人も負傷したという。

 一部の媒体で報じられたように、彼らは「たてこもって」いたのではない。自らの正当な権利を守るため、不当な取り壊しに備え、毎日当番を決めて芸術区に詰めていただけである。また、政府や政策にあからさまに対抗する態度をとっていたのでもない。ただ、「いきなり立ち退きの通知を受け、契約期間が切れていない内に追い出され、各自がかけた膨大な内装費用や引っ越し費用の弁償も行われず、しかも十分な引っ越し準備期間も与えられなかった」ため、生存のための正当な権利を求めて、抗っていたのである。

 最初に立ち上がったのは、同じような状況にあった隣の008芸術区のアーティストを含む100人ほどのアーティストたち。だが交渉が難航し、苦情の申し立てが裁判沙汰へともつれこみ、費用が嵩んだり参加者のエネルギーが消耗されたりするにつれ、メンバーは減り、現在はコアメンバー30人を残すのみとなった。

 借り主であるアーティストがオーナーから12月5日までに出て行けというたった4行の通知を受けとったのは2009年の11月26日。同月から取り壊しは 開始し、しかも建設系の業界にいたオーナーの一人は、取り壊し費用を節約するため、自らの力で取り壊しと追い出しを実行したという。

 その後のアーティストら自身の調査によって、オーナーは同年7月の時点で取り壊しの事を知っていたことが判明。だが、借り主に通知をしなかったばかりか、新たな入居者を募り、長期の賃貸契約まで結んでいた、という事実がアーティストらの怒りを買った。

 しかも、立ち退き通知以降、オーナーは借り主らの補償要求に応じなかっただけでなく、姿をくらまし、極寒の12月の北京で、電気を止め、暖房を止め、水を止めるといった嫌がらせを始めた。アーティストらは、ろうそくの灯や自家発電機を頼りに踏みとどまったが、今年は冬の寒さが厳しく、氷点下の日々が続いたため、やがて当番を決めて芸術区で番をし、強制取り壊しに備えるようになった。

芸術の『冬を暖める』ために

 それと同時に、同じような境遇にある周辺の20前後の芸術区と共同で、『暖冬(冬を暖める)』という芸術的アクションを4期に分けて行い、中国の各種メディアの注目を集めた。

 彼らが近年話題の「釘子戸」とやや異なるのは、彼らが「借り主」であることだ。これまで中国では借り主の権利が大変狭い範囲に限られ、突然補償もなく追い出されたり、予告もなく家賃が大幅に上げられたりすることがしばしば起こってきた。筆者もその被害者で、何度も頭を痛めたものである。

 さらにアーティストら、特に彫刻やインスタレーションなどを手掛ける若い作家らにとって悲劇なのは、家を追い出されることは創作、つまり自分の仕事をストップさせられることを意味することだ。その上、彼らが必要とするような広さのスペースは一般の部屋より見つけるのが難しいばかりか、あってもたいてい壁はコンクリートのたたきで、内装どころかインフラさえ整っておらず、住めるようにするためにはかなりの費用がかかってしまう。

 また、今回のケースでは釘子戸と比べ、賠償の範囲として訴えられている範囲もけた違いに大きい。今回訪れた創意正陽芸術区だけでも、建坪少なくとも1万平米以上。こういったものが、北京の中心部から車で1時間の場所に20以上あるのだ。もっとも、全ての芸術区がこのように悲惨な状態にあるのではない。オーナーが良心的なところでは、借り主はきちんと補償金を得ていて、「平和的」に立ち退いているという。

 筆者が知らせを聞いて訪れたのは、事件の約二週間前の2月10日。建物の壁を埋めていたのは、学生運動を思わせるような標語や主張の洪水だった。「生存の権利を守れ」、「法律に依拠せよ」といった主張から、「ねばれ!」、「寒い!」といった掛け声や実感まで。それらは半分がガラクタと化した広大な平地の中で寒風にさらされつつ、崩される寸前のところで踏ん張っている、という切実さで筆者の目の前に迫ってきた。

建物の壁を埋める標語

 だが、いざ当番のアーティストたちと話をしてみると、彼らは必ずしも強い政治的主張をもっているわけでも、また、芸術区を絶対に保護しなければならない、といった一途な要求を抱いているわけでもない様子だった。「芸術区が保護されることは確かに理想的だが、当面はただ当然の補償を得たいだけだ」という。だが、それが「当たり前の主張」だけに、筆者はかえって静かだが強く切実なものを感じた。

 当直室では、石炭の大きな塊を砕いてくべる簡易ストーブが焚かれていたが、空気が悪い割にそう温かくもない。厳寒の冬にここで一晩を明かすのは、大変なはずだ。そこからも、彼らの主張が、静かながら人間の尊厳と関わる、動かし難いものであることが、ひしひしと伝わってきた。
「この問題が起こる前は、僕たちはお互いのことを知らなかった。今回の活動を 始めてから、親しくなったんだ。追い出されたお陰で、交流が深まったともいえ るね」と、彼らは笑った。
 一緒に一晩を過ごしてみたい気持ちに駆られながら、筆者は後ろ髪を引かれつつ、その場を去った。

芸術家たちが交替で番をしていたところ

▲芸術家たちが交替で番をしていたところ

深夜に襲った暴力

 悲劇的な通知が入ったのは、その二週間後だった。4台のユンボ(油圧ショベル)を率いた100人以上の暴漢が来て、当番をしていた芸術家たちを袋叩きにしたのだった。そこには運悪く日本人芸術家のIさんもいた。Iさんは今回のコア・メンバーではなかったものの、最もひどく殴られた一人で、頭に4針縫う怪我を負い、背中にも打撲の痕が残ったという。手にも、抵抗のさいや、壁を乗り越えて逃走するさいに残った傷が残った。

 暴力は一人を十数人で殴るという残酷さだった。暴漢らはまず相手の携帯電話などの所持品を取り上げると、男女構わず殴る蹴るの暴行を加えた。別の部屋にいた仲間の連絡を受けて応援に駆け付けた008芸術区の芸術家も、強く抵抗したため、かなり深い傷を負ったという。Iさんは携帯こそ取られなかったものの、所持していたデジタルカメラが奪われ、木っ端みじんにされた。その後、暴漢らによってカメラのメモリー・カードが抜き取られたこともわかった。

 悲劇の翌日、知人が芸術区を訪れると、当直室の天井が崩され、著名な彫刻家が作品の倉庫に使っていた巨大な建物にも、大きな穴が開けられていた。

著名彫刻家のアトリエ

▲著名彫刻家のアトリエ】

 そもそも、郊外の広大な芸術区が、なぜこうも一気に壊されることになったのか。これは、年々深刻化している住宅不足などの問題を解決するため、「都市部と周辺の農村部の一体化」をはかる政策が進められているからだ。

 今回は再開発の対象外となっているある芸術区に住む芸術家によれば、北京の郊外には、「城中村」といわれる出稼ぎ労働者の居住区がいくつかあるが、狭い地域に多数の人が居住しているため、権利関係が複雑で、立ち退かせるのも容易ではない。そこで、権利関係が比較的単純な芸術区がとりあえず優先的なターゲットになったのだ、という。

 また、中国では近年、家屋の取り壊しの際に適用される条例が、「物権法」と矛盾しない、より家屋の所有主に配慮したものへと改定される予定で、その実施前の「滑り込み」再開発という見方もある。これに加え、春節直後に、芸術区の一部を含む北京郊外の大量の土地の開発権が市場に流れ込むというニュースが流れており、なるべく早く「すべてを更地にして波に乗りたい」という事情もあるらしい。

 暴力事件が起こる前に数回「脅し」に訪れた取り壊し業者が口にしたという、「この春節中に立ち退いてくれなきゃ、俺はもうこの業界で食って行けない」という言葉が、彼らの焦りをよく物語っている。

デモで権利を主張

 殴られた直後、一部の芸術家たちは、たまりにたまっていた不満をぶちまけるように、長安街で100人規模のデモ行進をした。暴力事件をめぐって取り調べを受ける過程で、真の黒幕に気づいた、という事情もあるらしい。

 事件のあった日に駆け付けた警察は、すぐに犯人を追わなかったばかりか、被害に遭った芸術家ら以上に暴漢らの具体的な数を知っていたという。また、この事件に関し、北京では厳しい報道規制が敷かれ、以前は芸術区での動きを逐一追っていた『新京報』でさえも口を閉ざしていることが、この事件の黒幕をむしろ如実に物語っているように感じられてならない。

 さらに芸術家らの怒りを買ったのは、警察は暴力事件を「刑事事件」ではなく「治安上の事件」として処理しようとしていたことだった。もっともIさんにだけは、「刑事事件」として扱うと約束したという。デモの後、警察は芸術家らに取り調べを行ったが、暴力事件には一切触れず、デモの首謀者や参加者に関する質問ばかりが行われたという。事件後、芸術区には警察によって監視カメラがとりつけられたが、この調子では、いったい誰を監視しているのか分らない。

 その後、Iさんの件に関しては、中国のある機関を通じて日本大使館に事情説明、陳謝、捜査状況の説明、今後の方針の説明があったという。芸術家たちが人として当然の権利を享受し、暴力による被害の件も含めて、正当な額の弁償が得られることを、筆者は願ってやまない。昨年の中国での大ヒットドラマ「蝸居」でも描かれていたが、現在の中国では、結婚後も借家に住まざるを得ない人々が激増している。芸術区の事件は一見特殊な事件のようだが、家の賃貸において、借り主の権利が保障されるようになることは、小さな一歩ではあっても、多くの都市人口に影響を与える根本的な変化だ。行き過ぎた黒猫白猫主義を是正し、地主が横暴を極めた旧社会への逆行を食い止めるためにも、ぜひ平和的に解決してもらいたい。

 Iさんは、傷の回復を待たずして、再び当番として芸術区に詰めるという。芸術家らの「抗い」はまだ続いている。「春」の訪れが待ち遠しい。

コラムニスト
多田 麻美
フリーのライター、翻訳者。1973年静岡県出身。京都大学で中国文学を専攻後、北京外国語大学のロシア語学科に留学。16年半の北京生活を経て、2018年よりロシアのイルクーツクへ。中国やロシアの文化・芸術関係の記事やラジオでのレポートなどを手がける。著書に『老北京の胡同』(晶文社)、『映画と歩む、新世紀の中国』(晶文社)、『中国 古鎮をめぐり、老街をあるく』(亜紀書房)、訳著に王軍著『北京再造』(集広舎)、劉一達著、『乾隆帝の幻玉』(中央公論新社刊)など。共著には『北京探訪』(愛育社)、『北京を知るための52章』(明石書店)など。
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