4月15日の胡耀邦没後20周年の前日に、北京から雑誌『炎黄春秋』の最新号が届いた。中国のジャーナリストや作家の友人たちからは、天安門事件20周年につながる胡耀邦関連の報道はできず、公式記念行事もないと聞いていたが、果たして『炎黄春秋』がどのような文章を掲載したか、あるいは掲載できなかったかが気になっていた。『炎黄春秋』という雑誌の特性を考えれば、2009年4月の号に胡耀邦の名前がないはずはない。はやる気持ちを抑えながら郵便小包を開いて、驚いた。表紙には、巻頭論文「李鋭:向胡耀邦学習」と記されていたのだ。
「胡耀邦に学ぼう」というフレーズは生誕90周年記念講話でも繰りかえされ、その言葉自体には何の問題もない。「没後20周年」などの表記はないが、しかし、ほかに多くを語らずとも伝わる人には伝わるのだ。改革派論者として知られる李鋭の巧みな政治言語には感嘆することが多いが、表紙を開いてさらに驚いた。「向胡耀邦学習――『胡耀邦伝』序言」、この文章は『胡耀邦伝』の序文として執筆されたという副題がある。冒頭には「我々の党の歴代の正式な指導者を……とひとりひとり振り返ってみると、人びとから最も慕われていたのは、わたしは胡耀邦だと思う」とあり、「彼の逝去からすでに15年が経ち……」と続く。今年は没後20周年だ。誤植かと思いながら「彼は党の良心であり、社会の良心なのだ」というくだりまで読んで文末を見ると、執筆は2004年10月初とある。さらに「追記:2005年11月18日、この文章を書き終えた一年後に、中共中央は胡耀邦同志生誕90周年記念の座談会を開催し……」とある。確かに、これは5年前に書かれた文章だ。
だが、『胡耀邦伝』に李鋭の序文はあっただろうか。書棚から取り出して開いてみると、モノクロ写真の数ページ後には目次があり、続くのは「第一章 山郷少年」と記された胡耀邦誕生の記述だ。それでは伝記の続編が出版されたのかと出版事情に詳しい友人に尋ねてみたが、そんな話は聞いたことがないという。 不思議に思っていたところ、「『胡耀邦伝』と山寨文化」という文章がウェブサイト「新世紀新聞網」に掲載された。筆者の杜光は1988年に中央党校で「中国政治体制改革研究会」幹事長を務めたが、民主化要求の学生運動支持を理由に、その後一切の職務を解かれた経歴をもつ人物だ。
杜光の文章によれば、『胡耀邦伝』第二、三巻は、2008年12月に出版された。だが、出版社名と書籍コードのない「征求意見稿(意見募集原稿)」という自費印刷だという。なるほど、これでは知る由もない。筆者の手元にも「交流資料」、「非売品」と記された印刷物が数種類ある。出版が厳しく管理されている中国ならではの資料だ。
杜光は「非正規出版物」、「不法出版物」と言われるものは「山寨出版物」と呼ぶべきで、「山寨出版物は山寨文化の重要な構成部分だ」と主張する。「山寨」は近年の流行語で、「有名ブランドのコピー商品」や「偽物、パクリ、非官製」という意味だ。もともとは「山中の砦」、「賊の棲み家」という意味だが、人気の携帯電話の模倣に始まり、有名映画や中央電視台の伝統番組などが真似され、やがて正当なものに対する風刺に富んだ独特の表現方法を意味するようになった。批判もあるが、権力的なものへの対抗意識やシニカルな表現が新たな文化を形成しているという歓迎ムードもある。
伝記全三巻は、生誕90周年に出版されるはずだった。だが、審査の結果第一巻の「敏感と思われる内容」が削除され、李鋭、于光遠、胡績偉の序文は発表できず、第一巻は「前書きも後書きもなく、内容も不完全」になってしまったという。第二、三巻は修正後2006年に関係機関の審査に送られたが、3年近く経ってもなしのつぶて。そこで編集者たちは正規出版を諦め、自費印刷にしたのだそうだ。
「『胡耀邦伝』第二、三巻は、こうしてやむなく山寨出版物になった」、「胡耀邦は中国共産党中央の元総書記だ。彼の伝記さえもが世論を導くために受け入れられることもできず、山寨文化の領域に入らざるを得ない」と杜光は嘆く。「山寨版胡耀邦伝」の存在は定かではないが、いつの日かそのページを開くことができるだろうか。
『炎黄春秋』第4期を手にしてから約1か月後、待ちわびていた本がようやく香港の書店から届いた。『胡耀邦與中国政治改革──12位老共産党人的反思』(李鋭、胡績偉、謝韜 等著、張博樹 主編、晨鐘書局、2009年4月)の表紙は、虚ろな表情を浮かべた胡耀邦の写真で飾られている。1989年4月22日の追悼大会で掲げられた遺影だ。
『胡耀邦伝』の編集者たちが山寨出版の道を歩んだのとは対照的に、共産党の12名の老幹部たちによる記念文集は香港で出版された。4月15日の命日に合わせた出版については、発売数日前からRFA(Radio Free Asia/自由亜洲電台)やVOA(Voice of America)の中国語ウェブサイトで関連報道があった。雑誌『亜洲週刊』(2009年4月19日号)のインタビューで、老幹部たちの依頼を受けて編集を担当した中国社会科学院哲学研究所の張博樹は次のように語っている。
「2008年秋の共産党の先輩方との集まりの席で、まもなく胡耀邦没後20周年だという話になり……、胡耀邦の多くの思想はいまだに真剣かつ深く掘り下げて整理されていないが、その遺産は現在の中国の改革、特に政治改革に非常に重要な意義を有している。何かやらなければならないだろうということで、この文集となった」
12名の老幹部たちとは、元中共中央組織部常務副部長の李鋭、『人民日報』元社長の胡績偉、元中国社会科学院研究生院第一副院長の謝韜、元中国社会科学院日本研究所所長の何方、元中共中央宣伝部新聞局長の鍾沛璋、国防大学『当代中国』編集室元主任の辛子陵、中共中央統戦部研究員の林京耀、長年にわたり中国の在外公館や国際機関で要職についた宋以敏、元中国社会科学院研究員の張顕揚、元中共中央党校教授の杜光、元江蘇省社会科学院歴史研究所所長の王家典、元貴州省社会科学院副院長の周成啓である。党籍を剥奪された張顕揚を除く全員が中国共産党員で、70歳代6名、80歳代4名、90歳代2名の中で最高齢の胡績偉は93歳だ。いずれも胡耀邦のもとで当時実務を担当した部下であったり、職務上もしくは個人的に近しい関係にあった老幹部たちが、それぞれが知る胡耀邦について語っている。
彼らに共通するのは、胡耀邦への思慕と次の世代に伝えなければならないという使命感のような熱意だ。政治改革の問題はもとより、イデオロギー、文化政策、経済、外交、少数民族問題などに関する胡耀邦の理念と功績を綴り、具体的な政策提言も見られる。胡耀邦時代を語るということは、自ずと現在の中国が抱える問題への厳しい批判にもなるのだ。
老幹部たちは、中国共産党はどうあるべきかという痛切な問いを投げかけている。胡績偉が書き記した一説が彼らの思いを代弁しているかのようだ。
2009年は特殊な一年で、胡耀邦没後20周年、「六四」20周年、建国60周年、五・四運動90周年である。ここでわたしが建議したいのは、まず胡耀邦、趙紫陽の名誉回復から始め、その後徐々に「六四」の歴史的再評価を行い、憲法の地位を高めて人権を保障することによって中国社会の改革を推進することである。あの頃胡耀邦が推進した社会改革がまず「文革」期の冤罪の名誉回復から始まったというなら、今後は鄧小平時代の一連の誤りを正すことから始めなければならない。鄧小平は生前に多くの新たな冤罪事件を起こしたが、現在の党と政府の指導者はそれに対して説明するべきだ。
この本の副題には、「12名の老共産党員の反思」とある。「反思」とは、「過去を振り返り、歴史の過程や社会の思想傾向に対して深く思考する」という意味だ。「反省」が過去の行為への批判と道徳的な価値判断であるのに対して、「反思」は社会的な思想や歴史の大局における個人の経験を総括し、歴史の過ちから教訓を汲み取る意思と行動であるように思う。老幹部たちの個別の問題に対する立場や観点はそれぞれに異なるのだろうが、「反思」の強さと深さが伝わってくる。
2009年、没後20周年
4月15日、没後20周年を記念する公式行事は開催されず、中国国内のメディアでは胡耀邦に関する報道は見られなかったため、老幹部たちの記念文集は存在感を強めた。発売前日に香港で出版記者会見を開催したのは、出版準備に携わった独立中文筆会自由写作委員会だった。独立中文筆会は国際ペンクラブ(International PEN)の中国支部という位置づけだが、中国当局からは承認されていないため、大陸では非合法の活動を余儀なくされている。だが、中国だけでなく世界各地で中国語による言論活動を行い、中国の動向に強い関心を抱く人びとは、インターネットを利用してしなやかな世界的ネットワークを形成している。共産党の老幹部たちの文集が、彼らよりも一世代若い中国社会科学院の研究者の手で編集され、独立中文筆会によって出版に至ったことは、体制の内外という既存の枠組みを飛び越えて連携しあう人びとに、「胡耀邦」という共通言語があったからだろう。
この記念文集についてそろそろ批評が出てこないかと思っていたところへ、長文のメールが届いた。大勢の人に転送されたと思われるメールには、「ご参考まで、著名な自由主義派の学者の論文」、「国内ではネットに掲載できないので、メールで送ります」などのメッセージが添えられ、友人が受け取ったメールを好意で転送してくれたことがわかる。インターネットという手段と、何よりも同時代を生きる中国の友人たちとの絆があればこそ、目にすることができる資料だ。メールに張り付けてあったのは、馮崇義「変党国為憲政:在崎岖道路上前僕後継(憲政のために党と国家を変える:困難な道でも先人の死を乗り越えて続いて行く)」という論文だった。歴史学が専門の馮崇義はイギリス留学経験があり、現在はシドニー科学技術大学国際研究学院中国部主任教授を務めているそうだ。
馮崇義は「求めているのは“自由民主社会”で、“専制壟断”と徹底して決別しなければならない」という胡績偉の言葉を例に、「中国共産党内民主派の先輩方が、老齢を顧みず胡耀邦没後20周年を記念し、依然たゆまずに胡耀邦の“未完の事業”を求めていることは実に感動的だ」と称賛を送っている。その一方で、「胡績偉が提起した“新民主主義路線に戻ろう”という主張は一部の党内民主派の観点を反映しており、議論が必要なようだ」とも指摘する。
「新民主主義」とは、中国革命が「新民主主義革命」と「社会主義革命」の2段階から成ると規定された考え方だ。政治改革を主張しながらも毛沢東時代の政治言語を使う老幹部の限界を批判し、「党内民主派」といわれる彼らの観点も人によって様ざまだと指摘している。老幹部たちの行動には礼を尽くして賛辞を述べながら、批判すべき点は遠慮なく批判するという姿勢に、引き込まれながら読み進めた。シドニーから中国へ、名も知らぬ人たちによって転送され読み継がれた1通のメールに、「自由に語ること」の意味をあらためて思った。何より、同じ志向を求める人びとは、こうしてゆるやかに繋がっていくのだ。
記念文集を編集した張博樹は、「胡耀邦を記念し、転換を推進する――中国共産党内民主派の歴史的役割を論ず」と題した序文で、「中国の希望は憲政民主にあり、中国共産党の希望は党内民主派にある」、「もし『08憲章』が民間の自由派による中国の転換のための努力というならば、党内民主派の努力とは、この本こそがその証明だ」と主張する。「08憲章」の署名者と共産党の老幹部たちでは、政治改革という主張は同じであっても、個別具体的な意見は異なるだろう。だが、「民間の自由派」と「党内民主派」には、実際のところどれほどの距離があるのだろうか。「08憲章」にはいわゆる「反体制派」の知識人たちだけでなく、体制内にありながら権力とは異なる意見を有する共産党員の署名もあったはずだ。そんなことを考えながら、もしやと思い「08憲章」の第一期署名者303名の名簿を見ると、そこには張博樹だけでなく、杜光と張顕揚の名前があった。ふたりの老幹部は、「08憲章」の署名者でもあったのだ。
現在の中国の言論空間は、「党員/非党員」、「体制派/反体制派」、「保守派/改革派」などという単純な色分けができなくなっている。全体像はなかなか見えないが、ジグゾーパズルの小さなピースを拾い集めてはめていくように、ひとつひとつの事象や主張を丁寧に読み解いていくことが必要だ。老幹部たちの思想と行動は、その重要性を語りかけているように思う。だからこそ、胡耀邦を記念することが民主化のシンボルとしての胡耀邦を無批判に奉るのであってはいけない。没後20周年記念とは、ひとつのきっかけに過ぎないのだ。胡耀邦の功罪を検討して、その遺業を現代に相応しい形で継承することが必要なのであり、それが可能となるためには何よりも自由な言論空間が拡大されなければならない。
胡耀邦の死去から20年という時間が流れた。20年もの時間が過ぎたとはいえ、わずか20年しか過ぎてもいない。深層の地下水脈が、遥かな時を経てやがてひとすじの流れとなり、いつしか大海へと注ぐように、いつの日か胡耀邦を記念する人びとの思いが、大きなうねりとなる時は果たして訪れるだろうか。(文中敬称略)