中国知識人群像

第09回

「自由」を問い続ける人びと(2)

2009年のクリスマス

 2009年10月1日、中国は建国60周年を迎えた。厳戒態勢のもとで 10年ぶりに行われた大規模な軍事パレードは圧倒的な力を誇示し、一連の 祝賀行事は建国60年の輝かしい歴史を強調した。世界各国が金融危機の影 響から脱することができずにいた中で、中国経済はいち早く回復を見せ、高 い経済成長に裏付けられた自信に満ち溢れていた。11月中旬にはアメリカ のオバマ大統領が訪中し、政治、経済はもとより、あらゆる分野において国 際社会に与える中国の影響力の大きさが印象付けられた。だが、そうした華 やかさとは無縁のところで、逮捕された劉暁波の行く末を案じる人びとがい た。

零八憲章與中国変革「08憲章」の一部の署名者たちの間では、建国60周年の恩赦で劉暁波 が釈放される可能性には期待できないとしても、オバマ大統領の訪中によっ て何らかの進展があるのではないかという声があった。大統領訪中前日の1 1月14日に、アメリカで活動する中国民主基金会が「第23回傑出民主人 士賞」を「08憲章」の署名者全体に決定し、米中首脳会談のタイミングに 合わせてこの問題への関心を高めようとした。サンフランシスコで行われた 授賞式に北京から出席した王光沢は、次のようにコメントしている。

「08憲章」の注目すべき点は、署名者のほとんどが中国国内に居住してい て、しかもその多くが体制内の地位を有しているか、あるいは体制内外とい う間のグレーゾーンに位置していることだ。私は国内での日常の中で、よく 体制内部の人たちから「08憲章」に対する称賛の声を聞いている。多くの 人が、「08憲章」は転換の必要性と必然性、また同時に、体制内外の共通 認識を一体化し、平和的な転換の道を歩むことを強調したものだと認識して いる。

 オバマ大統領訪中の成果として発表された米中共同声明では、両国が地球 規模の課題に協力して取り組むことが強調されたが、アメリカ国債の最大の 保有国となった中国とアメリカの新たな力関係を印象づけ、アメリカはかつ てのように中国の人権問題に対する直接的な言及を避けた。建国60周年と オバマ大統領訪中という大事業が終了して北京の街が落ち着きを取り戻した 11月末、「08憲章」発表1周年を前にして劉暁波の勾留延長が決定され た。「08憲章」の署名者のうち165名は、12月10日付で「我々は劉 暁波とともに責任を引き受けることを望む」と題した共同声明を発表した。 共同声明は、第一に人権、正義、法治、民主の重要性を訴え、第二に「08 憲章」の署名者は憲法が規定する権利に基づいて公民としての責任を表明し たもので、いかなる法律法規にも違反しないと主張した。そして、第三の内 容として以下のように記されている。

 もし劉暁波氏がこのために起訴されるのであれば、我々一人ひとりはいずれ もこの訴訟事件の構成要素なのだから、劉暁波氏に対する起訴は、我々全て を審判の席に着かせるということだ。もし、劉暁波氏に「罪」があるという 判決ならば、それは我々一人ひとりにみな「罪」があるということだ。我々 は、劉暁波氏と共に刑罰を負うのみである。

 逮捕から約半年後、不当な拘束からは約1年を経て劉暁波が正式に北京市 第一中級法院に起訴されたのは、「08憲章」署名者による共同声明の発表 と同じ12月10日、奇しくも世界人権デーの当日だった。弁護士の莫少平 が明らかにしたところによれば、劉暁波が中心となって「08憲章」を起草 したことに加えて、2005年以降にインターネット上で発表した中国共産 党の独裁を批判する6編の文章が起訴状に挙げられていたという。

 起訴後に注目されるのは裁判の日程だが、そこで思い起こされたのはクリス マスというタイミングだった。2006年には人権擁護運動の代表的な弁護 士である高智晟が、「宗教の自由」特に気功団体の法輪功に対する弾圧への 抗議活動を罪に問われ、また2007年にはエイズ問題や環境保護の活動を していた胡佳が、いずれもクリスマスの時期に「国家政権転覆扇動罪」の判 決を受けた。欧米を中心に世界各国がクリスマスから新年までの休暇に入 り、中国に駐在する各国のメディア関係者たちの多くが帰国するタイミング は、判決が国際社会に与える影響を考慮したものと考えられる。さらに20 09年の場合は、12月中旬に習近平国家副主席が日本を訪問し、フランス のフィヨン首相が中国を訪問したという外交日程との関連もあったのだろう。

 起訴を受けて、アメリカやEUが中国政府に対して劉暁波を釈放するよう 声明を発表すると、中国外交部の報道官は「中国の内政と司法における主権 に干渉するものだ」と抗議した。記者会見の内容は、BBCや海外に拠点を 置く中国語のウェブサイトなどが報道したが、中国外交部のホームページに 掲載された記者会見記録には、劉暁波に関する内容は見られない。中国国内 のメディアは劉暁波に関する報道はできず、劉暁波と「08憲章」はまるで 存在すらしていないかのような空白状態の中で、2009年のクリスマスが 近づいていた。

「言論の自由」と「国家政権転覆扇動罪」

 劉暁波の罪状として起訴状に記された「国家政権転覆扇動罪」は、中華人 民共和国刑法第105条で次のように定められている。

 国家政権の転覆を組織、画策、実施し、社会主義制度を転覆するもので、首 謀者あるいは重罪の場合は無期懲役または10年以上の有期懲役、積極的に 加わった者に対しては3年以上10年以下の有期懲役、その他の加担者に対 しては3年以下の有期懲役、拘留、管制、あるいは政治権利の剥奪に処す。 デマ、誹謗あるいはその他の方法で政権の転覆を扇動し、社会主義制度を転 覆するものは、5年以下の有期懲役、拘留、管制あるいは政治権利を剥奪 し、首謀者あるいは重罪の場合は5年以上の有期懲役に処す。

 中華人民共和国憲法第1条には、中国は「人民民主独裁(原語:人民民主 専政)の社会主義国家」であり、「社会主義制度は中国の根本的な制度であ る。いかなる組織あるいは個人も社会主義制度を破壊することを禁止する」 と明記されている。「国家政権転覆扇動罪」は国家体制そのものに関する罪 に問われるということであり、刑法第104条に記される武力による暴乱と ともに、非暴力の行為も厳罰に問われるということを意味している。

 「国家政権転覆扇動罪」の法規定と解釈に関する問題は、国家権力と知識 人に深く関わるものだ。現在の刑法は1997年に改正されたが、1979 年公布の刑法第102条には、「反革命的なスローガン、ビラ、あるいはそ の他方法でプロレタリアの政権と社会主義制度の転覆を扇動する」ことが 「反革命宣伝煽動罪」であると記されていた。その後、1997年の法改正 によって「反革命」の文言は削除され、「反革命宣伝煽動罪」の廃止ととも に、新たに「国家政権転覆扇動罪」、「国家分裂扇動罪」が定められた。天 下国家を論じるのは中国の知識人の伝統だが、台湾問題や少数民族問題を含 む国家体制のあり方について、自由な言論活動を行うことが罪に問われる場 合があると刑法は定めているのだ。

 一方で、「言論の自由」は、中華人民共和国憲法第35条で保障されてい る。だが、実際には制限のない「自由」ではなく、社会主義制度のもとで中 国共産党と政府の指導が色濃く反映された「自由」を意味する。確かに、 「市民的及び政治的権利に関する国際規約」の第19条では「表現の自由」 を保障しているが、「権利の行使には、特別の義務及び責任を伴う。した がって、この権利の行使については、一定の制限を課すことができる。ただ し、その制限は、法律によって定められ、かつ、次の目的のために必要とさ れるものに限る」として、(a)他の者の権利又は信用の尊重、(b)国の安 全、公の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護」というただし書きがあ る。「自由」を保障することは普遍的なものだが、保障の方法あるいは制限 については、国家権力によって特殊な問題にもなるという解釈も可能だ。

 しかし、そうした解釈に関する議論をも含めた自由な言論は、やはり普遍的 な価値として保障されるべきだろう。2008年5月に当時の福田康夫首相 と胡錦濤国家主席が発表した「『戦略的互恵関係』の包括的推進に関する日 中共同声明」には、「政治的相互信頼の増進」を柱として対話と協力を進め る中で、「国際社会が共に認める基本的かつ普遍的価値の一層の理解と追求 のために緊密に協力する」と明記されている。政治体制の相違や複雑な現実 問題を乗り越えたところで、「普遍的価値」についての「理解と追求」への 協力を政治文書として発表したのだから、「言論の自由」を含む基本的人権 について「普遍的価値」という視点から様ざまな議論がなされるべきだろ う。一面的な批判ではなく、個別具体的な事例の検証を積み重ねていく過程 こそが、相互理解に繋がる道筋なのではないかと思う。

 中華人民共和国憲法の前文には、中国共産党の基本原則のひとつである 「マルクス・レーニン主義」についての記述がある。マルクスの『共産党宣 言』には「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件となるような協同社 会を実現する」という一文がある。「自由」について論じ、「自由」を問い 続けていくことの価値は、過去においても、現在にあっても、そして未来で も変わらないものであるはずだ。

 劉暁波のように体制批判を含めた自由な言論活動を至上価値とする知識人 たちは、「反体制知識人」、「民主活動家」と称されることが多いが、当事 者たちは「公共知識人」、「自由派知識人」、「異なる意見をもつ人(異見 人士)」、「反対意見をもつ人(異議人)」、「政治的に異なる見解をもつ 人(不同政見人士)」という場合が多い。「知識人」にあえて「自由派」と いう言葉を添えているのは、「自由」への強烈な追求と同時に、「自由」で はない現状を代弁しているかのようだ。「自由」には「freedom to(〜への 自由)」と「freedom from(〜からの自由)」がある。言論を展開するなど してさらなる「自由」を求めることと、「自由」を規制し弾圧するあらゆる ものから「自由」になるということだ。特に権力に対しては、批判する自由 を獲得すると同時に、権力から自由であることが獲得されなければならな い。現在の中国において、劉暁波はまさに「〜への自由」と「〜からの自 由」の両者を体現する象徴的存在になっているといえよう。

 劉暁波が好んで引用する文として知られているものに、フランス啓蒙主義 の哲学者ヴォルテールの名文句として知られる次の一節がある。

 ──私はあなたの意見には反対だ、だが、あなたがそれを主張する権利は命 をかけて守る。

3つの疑問

 劉暁波が正式に起訴され、裁判の日程が次第に近づくにつれて、いくつも 疑問が浮かんでいた。そのひとつは、劉霞が海外メディアの取材に答えて 「夫は控訴しないだろう」と語ったことだ。病気がちで、掃除機をかける体 力すらないと苦笑していたこともある劉霞がメディアの取材に対応するの は、それが「劉暁波の妻」としての覚悟だとしても、体力的にも精神的にも きついことは容易に想像することができる。それでも、発言を求められて答 えるのは、多くの支持者に感謝しながら事態の推移を注視してほしいとい う、祈るような願いなのだろう。

 「夫は控訴しないだろう」という劉霞の言葉の真意は、いったいどこにあ るのか。自分の無実を堅く信じているはずの劉暁波と、その夫を信じ続けて きた劉霞ならば、悲壮な決意をもって裁判に臨み、不当な判決には控訴する と思われるのだが、判決前から「控訴しない」という発言には、重苦しい不 安と疑問が拭えなかった。劉霞をよく知る友人や知人と、この発言について 意見交換をした中で聞こえてきたのは、「最終的に判決がなされれば、控訴 はせざるを得ないだろう」という意見と、「控訴への希望すら抱けない法律 への絶望」という意見だった。

 例えば日本では、近年明らかになっているいくつかの冤罪事件で、被告人や 被害者が「真実」を求めて徹底的に闘う姿が報じられている。冤罪事件の被 害者ならば、どんなに時間はかかっても、その犠牲や代償が大きいとして も、再審を求めて上告することが唯一の希望に繋がるはずだ。だが、ここま で考えて、こうした理解はやはり日本人の「ものさし」なのだろうと思い 至った。「控訴への希望すら抱けない法律への絶望」という考えを話してく れた友人は、無実を信じているはずの劉暁波が、不当な判決に対しても控訴 しないというならば、それは自らが裁かれる「法律」そのものに対する 「No!」なのだろう、と付け加えた。あくまでも推察にすぎないが、控訴す ることによって、自らが批判する法体系の中に組み込まれることさえも拒絶 するという考えなのだろうか。

 ふたつ目は、「政治的権利剥奪」についての疑問だ。多くの事案におい て、「国家政権転覆扇動罪」の判決では懲役刑に加えて「政治的権利剥奪× 年」という処分が言い渡される。刑期満了となって出所した後に、さらに所 定年数の「政治的権利剥奪」が続くというもので、劉暁波が後に言い渡され たのは、「懲役11年、政治的権利剥奪2年」という実刑だ。

 中華人民共和国刑法第54条には、「政治的権利剥奪」によって剥奪される 4つの権利が明記されている。

(1)選挙権と被選挙権
(2)言論、出版、集会、結社、デモ、示威の自由の権利
(3)国家機関の職務を担う権利
(4)国有会社、企業、事業機関や人民団体の指導者的職務を担う権利

「権利」を剥奪するには、本来その「権利」が保障されていなければならな いはずだ。しかし、これらの項目を見ると、素朴な疑問を感じざるを得な い。処分によって剥奪されるという「選挙権と被選挙権」や「表現の自由」 を、そもそも劉暁波は手にしていたのだろうか。中国共産党に対する痛烈な 批判を書いていた劉暁波だが、選挙に行ったという話や、選挙に立候補し、 政党を立ち上げたという話は聞いたことがない。「活動家」というならば、 デモを行うのは常套手段のはずだが、劉暁波は自宅の書斎で執筆活動をして いただけだ。その執筆活動さえも、中国国内では発表することができずに、 香港や外国の雑誌やウェブサイトに寄稿していたのだ。手にしていない「権 利」、あるいは実態のない「権利」を、どうやって剥奪するというのだろう か。

 三つ目の疑問は、司法手続きの不完全さだ。劉暁波が2008年12月8日 に自宅から拘束されてからの1年間、劉霞は1月と3月にわずか2回の面会 が許可されただけだった。劉霞と弁護士は、当然のことながら劉暁波との面 会を求めたのだが、公安関係者は収監の事実を記した正式な文書がなけれ ば、それに基づく関連手続きもできないため、面会は許可されないと劉霞に 伝えたという。捜索令状や逮捕状さえないままに強制的に連行され、司法手 続きを経ずに身柄を拘束され、「居住監視」の延長手続きさえも電話1本で すませるというやり方は、国際社会に強い影響力を与える「法治国家」には あってはならないことだろう。

 これらの疑問は、いかにも外国人的な観点かもしれず、中国ではあえて疑問 にするまでもなかったり、疑問を抱いたところでそれをどうすることもでき ない問題なのかもしれない。けれども、劉暁波に対する判決を耳にする前 に、これまでの経緯や、様ざまな問題点をひとつずつ丁寧に観察し、考えて いかなければならないと思ったのだ。そうでなければ、「08憲章」の発 表、劉暁波の拘束、逮捕・判決というシンボリックな出来事だけが断片的に 伝えられる中で、大切なことを見落としてしまうのではないかと思う。

 初公判では、莫少平弁護士事務所の二名の弁護士、尚宝軍と丁錫奎が、劉暁 波が発表した文章や「08憲章」の起草が「国家政権転覆扇動罪」には該当 しないという法廷弁論を行い、「言論の自由」とともに、司法手続きの問題 点についても強く訴えたという。弁護士の最終弁論から、次の一節を引用し たい。

 我が国は、まさに法治が絶え間なく整えられている過程にあり、この過程に おいていくつかの問題に対する見解に相違があるのは極めて正常なことで、 特に、罪か罪でないかという問題に対してはなおさらである。しかし、弁護 人は一貫して、言論の自由を含む基本的人権を尊重し保障するための判決 が、公正な判決で、歴史の検証に耐え得る判決であることを堅く信じるもの である。(文中敬称略)

コラムニスト
及川 淳子
東京出身。10歳のときに見た日中合作ドキュメンタリー映画『長江』で中国に魅了され、16歳から中国語の学習を始める。桜美林大学文学部中文科、慶應義塾大学通信教育部法学部卒業、その間に上海と北京に留学。日本大学大学院総合社会情報研究科博士後期課程修了、博士(総合社会文化)。外務省在外公館専門調査員(在中国日本大使館)を経て、現在は法政大学客員学術研究員。専門は、現代中国の知識人・言論空間・政治文化研究。共訳書、劉暁波『天安門事件から「08憲章」へ──中国民主化のための闘いと希望』(藤原書店、2009年)、『劉暁波文集──最後の審判を生き延びて』(岩波書店、2011年)、『劉暁波と中国民主化のゆくえ』(花伝社、2011年)、『「私には敵はいない」の思想』(藤原書店、2011年)など。
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