中国知識人群像

第04回

北京とプラハを結ぶ知識人たち

出典:新世紀新聞網「08憲章」と「憲章77」

 その写真は、30余年の時を超えて、志を同じくする人びとが巡り会った歴史の一場面を写したものだ。ステージ上には、穏やかに微笑む劉暁波の写真が掲げられ、自信に満ちた表情で胸を張る人たちの姿がある。 2009年3月11日、チェコのプラハで開催された One World 09 Human Rights Film Festival の開幕式で、2008 Homo Homini Award の授与が行われた。受賞したのは劉暁波と「08憲章」の全署名者で、写真はその授賞式でのひとコマだ。
 チェコの人権団体 People in Need が主催する Homo Homini Award は、別名「“人と人”人権賞」とも呼ばれている。 People in Need は、1989年に当時のチェコスロバキアで民主化を求めて共産党体制を崩壊させたビロード革命が原点であり、その後関係者たちによって設立された組織だ。毎年プラハでヨーロッパ最大規模の人権に関する映画祭を開催し、その年、平和的な方法で人権運動に取り組み、民主化に向けて卓越した貢献を果たした人物を表彰して、Homo Homini Award を授与している。
 授賞式では、「獄中にある中国知識人、政治的抗議者、『08憲章』の第一次署名者」として劉暁波が紹介され、「08憲章」の全署名者と共に表彰された。劉暁波の受賞理由には、「30年来、中国の人権状況の改善に洞察力に富んだ貢献を果たし、その強靭かつ勇気に満ちた自由のための闘いに対する承認」という言葉が贈られ、「『08憲章』の発起人である数百名の知識人の一人であり、進展しつつある中国の民主化運動のリーダー的人物」として讃えられた。2008年12月に発表された「08憲章」は、自由・人権・平等・共和・民主・憲政の基本理念をふまえ、三権分立、民主や人権の保障、言論の自由などの19項目を主張し、中国共産党による現在の政治体制を痛烈に批判した文書で、その後内外の署名者は8500名を超えているが、依然として不当な拘束が続く劉暁波をはじめ、関係者への圧力は強化されているという。
 劉暁波のみならず、「08憲章」の全署名者が国際的な人権賞を受賞したのは初めてのことだ。Homo Homini Award授賞式で発表された文章には、次のように記されている。

「08憲章」は、チェコスロバキアの「憲章77」と同様の精神を訴求したものである。「憲章77」のように、「08憲章」は中国の権力当局に法律の遵守を呼びかけ、現行の政治体制と中国の憲法に、基本的人権と民主の確実な保証という変化を求めたものである。Homo Homini Award が「憲章77」の運動の精神を明確に理解した人物に授与されることの深遠な影響と重要な意義は、かつて、そして現在も共産主義体制のもとに生活する人びとの間で、必ずや伝えられることだろう。(中略)今年度の Homo Homini Award の選出は、ある種の象徴的な意義を有するものと見なされるべきであり、大いなる勇気と、個人の危険をものともせずに「08憲章」に署名した人びとへの支持を示すものでもある。

「08憲章」が「憲章77」を意識して書かれたことについては、「08憲章」発表当時から関係者によって指摘されていた。旧チェコスロバキアにおける民主化運動を象徴する文書として知られる「憲章77」は、1977年に作家のヴァーツラフ・ハヴェル、哲学者のヤン・パトチカ、元外相のイジー・ハーイェクらが中心となって起草し、200余名の署名付きで当時の西ドイツの新聞に発表された。「人間の顔をした社会主義」を求めた1968年の「プラハの春」がソ連の軍事介入によって弾圧されてから、約10年後のことだ。
「憲章77」は、当時のグスターフ・フサーク政権の人権抑圧に抗議し、冷戦時代の東西協調を謳った1975年の「ヘルシンキ宣言」に明記された人権条項の遵守を求めたが、署名者たちは投獄されるなどの厳しい弾圧を受けた。だが、1980年代に入っても「憲章77」の署名者は増え続けて1200余名となり、旧チェコスロバキアのみならず、ポーランドの「連帯」をはじめ、当時の東欧諸国の民主化運動に多大な影響を与えたと言われている。
「憲章77」をモデルとした「08憲章」の署名者たちに、「憲章77」の歴史を受け継ぐHomo Homini Awardが授与されたことは、洋の東西と約30年という時間を超えて、民主を求める人びとの繋がりが浮かび上がった出来事だった。

08憲章ロゴ徐友漁と崔衛平

 Homo Homini Award の授賞式の写真には、自由を奪われた劉暁波に代わり、北京から授賞式に出席した莫少平、徐友漁、崔衛平の姿があった。彼らはいずれも「08憲章」の署名者だ。
「08憲章」に関する報道が厳しく制限されている中国では、Homo Homini Award受賞に関するニュースも公式には全く報じられていない。だが、プラハ発の情報は関係者によって即座にインターネットで伝えられた。英語の資料は有志の手で中国語に翻訳され、関連情報は海外に拠点を置くウェブサイトに掲載されたほか、規制を潜り抜けるようにして中国国内で関心をもつ人びとのブログにも転載された。署名運動の展開に象徴されるように、インターネットの存在を抜きにして「08憲章」を語ることはできない。弁護士の莫少平が代表して賞を受け取ったことや、徐友漁と崔衛平がそれぞれ発表した文章や授賞式での演説もインターネットによって伝えられた。
 徐友漁は、中国社会科学院哲学研究所で西洋政治哲学と現代中国の社会思想研究に従事した研究者だ。欧米での滞在経験も豊富で、近著『重読自由主義及其他』(河南大学出版社、2008年)に代表されるように自由主義の研究者だが、近年は文化大革命の研究でも知られている。かつて紅衛兵であった自らの過去を原点として、同時代人としての回顧と反省から、出版やシンポジウムの開催なども積極的に行っているだ。以前インタビューを依頼したことがあるが、「文革は共産党に害を及ぼし、何よりも中国の庶民に害を及ぼした。文革は人権侵害の問題として再検討されるべきだ」という言葉が忘れられない。
 崔衛平は北京電影学院基礎部の教授で、研究分野は、政治哲学、映画と文学理論、旧東欧の政治文化、現代中国の社会思潮など多岐にわたる。著書『積極生活』(中国人民大学、2003年)、『正義之前』(新星出版社、2005年)からは、旧東欧の政治思想家たちからの強い影響を読み取ることができ、自身のブログで綴られる率直な言葉からは、様ざまな社会事象に注がれる彼女の眼差しの鋭さを知ることができる。翻訳家としても活躍し、「憲章77」の中心人物であったヴァーツラフ・ハヴェルの代表論文を『哈維而文集』として2003年に翻訳し、徐友漁が序文を寄せている。しかし、中国では正規の出版物として発行することは許されず、地下出版のような形で読み継がれていると聞く。
 徐友漁と崔衛平には、旧東欧の政治哲学の専門家、「08憲章」の第一次署名者ということのほかに、「08憲章」署名後に同様の文章を発表したという共通点がある。「わたしはなぜ『憲章』に署名したか」という同名の文章で、二人はそれぞれに「08憲章」を支持する理由を詳細に述べており、「08憲章」の理論的な支持者として中心的な存在となっている。
 徐友漁の文章には、署名後に職場の上司から受けた圧力についても詳しく書かれており、署名撤回を拒否したことと共に、署名理由が記されている。「08憲章」が「一、自分の価値観、すなわち中国人民の利益、人類の文明が認める規範に一致するか、二、中国の現行の憲法が定める精神と条文、中国が署名した国連の宣言や公約、中国が承諾している国際的義務に一致するか、三、ただちに提唱すべき必要性があるか」を判断し、「一人の公民としての理性的かつ責任を負う決定」として「08憲章」に署名したという。憲法を参照しつつ、「『08憲章』の合法性は言うまでもなく、その境遇こそが必要性と意義を雄弁に証明している」と論破している。
 崔衛平の文章で強調されているのは、「共通の思想と理想のもとに築かれた、人と人の間の団結という拠り所」だ。「08憲章」の未熟さを指摘しながらも、自由・平等・民主の理念に向かい、友人たちと苦楽を共にして団結することの重要性を訴えている。同時に強調しているのは、発表された憲章の記述について議論を深めることの必要性だ。自分たちも過ちを犯しているかもしれず、各方面からの批判に耳を傾け、異なる意見にも真剣に対処すべきだと、議論を呼びかけている。「08憲章」を完全なものとは見なさずに、建設的な議論の展開が可能となる言論環境を訴え、「道理を説くべきであり、必ずや道理を説かなければならず、道理を説くしかないのだ!」と叫ぶ。
「08憲章」は、中国の民主化の過程における里程標として、歴史的な意義を有するものだ。 徐友漁と崔衛平がプラハを訪問し、「08憲章」の全署名者を代表してHomo Homini Awardの授賞式に出席したことも、その歴史の一頁として記憶されるべきだろう。

中国語版表紙プラハと北京

 その写真の中で、Homo Homini Award を手渡している人こそがヴァーツラフ・ハヴェルだと気がついたのは、横向きの顔を何度も確認した後のことだ。「憲章77」の起草者の一人であり、ビロード革命の中心人物として活躍したハヴェルは、劇作家、反体制派知識人、獄中作家、大衆運動「市民フォーラム」の指導者、そして革命後のチェコスロバキアの最後の大統領、チェコ共和国の初代大統領という、まさに劇的な人生を歩んだ人物だ。不条理と闘い、 人間の良心に基づく政治を「反政治的政治」と呼んで「人間の主体性の回復」の重要性を説き、旧チェコスロバキアの民主化における精神的支柱となった。「言葉とたたかう大統領」として親しまれたハヴェルの思想は、「政治と良心」(1984年)、「エラスムス賞受賞記念演説」(1986年)、「言葉についての言葉」(1989年)などに代表され、ヴァーツラフ・ハヴェル著、飯島周 監訳『反政治のすすめ』(恒文社、1991年)で日本語訳を読むことができる。
 ハヴェルは Homo Homini Award の授賞式で、「『憲章77』の大多数の署名者を代表して、『憲章77』が中国の『08憲章』を激励したことに、心からの喜びと光栄を感じます」と挨拶した。中国の友人たちが直面している現状と自分たちの経験について語り、「絶望と希望は、実はいずれも存在しています」、「国際的な団結が非常に重要で、極めて価値に富んでいるのです」と結んだ。  授賞式では、徐友漁と崔衛平もそれぞれ演説を行った。崔衛平は、劉暁波夫人の劉霞の近況を報告したほか、1989年の天安門事件をはじめ、事件や震災、人災で犠牲となった子どもたちとその母親たちのエピソードを取り上げて、良知、人間性と道徳、世の中の愛と責任について語った。徐友漁は、「08憲章」と「憲章77」の基本精神の一致と、ハヴェルたち旧チェコスロバキアの知識人たちからの激励と啓示について、次のように語った。

 二つの憲章の一致は、二つの国家が共通した独断的権力とイデオロギーによる統治のもとにあり、真実を語らず正義を追及しないという似通った社会の雰囲気や道徳の状況、国際条約を履行して人権を保護するという義務と圧力によるものです。(中略)「憲章77」と同じように、「08憲章」は政治的な反対宣言ではなく、わたしたちには批判精神があり、さらに建設的な態度があります。わたしたちは公民社会が中国において発育することに注目しており、わたしたちの理想と目標とは、健全な社会なのです。

 授賞式の後、北京から出席した3名には、ハヴェルら「憲章77」の関係者たちとの懇談の時間が設けられた。「何があなたの人生を貫いているのか」という崔衛平の問いに、ハヴェルは「冒険性」と答え、崔衛平はその言葉を「開拓性」と理解したという。北京から来た知識人たちの「理想と目標」は、ハヴェルの姿と言葉に勇気づけられたに違いない。
崔衛平の著書『正義之前』には、ハヴェルに関する記述がある。

 彼の洞察と描写は、まさにわたしたちの現実生活と精神生活の構造と形状なのであり、わたしたちの精神的な痛みと道徳的な危機なのだ。(中略)ハヴェルの描写は人びとを失語状態から解放してくれた。(中略)ハヴェルはわたしたちの前方を行く大家ではなく、英雄や聖人でもない。わたしたちと苦楽を共にする兄弟であり、仲間なのだ。

 中国の「08憲章」と旧チェコスロバキアの「憲章77」は、志を同じくする知識人たちを結びつけることとなった。歴史をらせん状に進展するものと考え、「08憲章」に署名した人びとの思想と行動が、世界的規模で俯瞰して、ちょうど「憲章77」に重なるところに引き寄せられたと考えるべきか、それとも長い年月をかけて深層を流れ続ける地下水脈のように、民主を求める人びとの行動は連鎖していくと考えるべきだろうか。二つの憲章が意味するもの、それぞれの国おける影響力やその後の現実は全く異なるのだろうが、知識人たちが抱く「希望」には響きあうものがあるのだろう。ヴァーツラフ・ハヴェルの言葉を、最後に引用しておきたい。
 希望とは世界の状態ではなく心の状態である。 希望、この深く力強い感覚は、 物事がうまくいっているときの喜びや成功が明らかな企業に投資する意欲などとはまったく異なるものだ。 むしろ、価値があるという理由で働くことのできる能力である。
(ヴァーツラフ・ハヴェル著、飯島周 翻訳『プラハ獄中記――妻オルガへの手紙』恒文社、1995年より)

(文中敬称略)

コラムニスト
及川 淳子
東京出身。10歳のときに見た日中合作ドキュメンタリー映画『長江』で中国に魅了され、16歳から中国語の学習を始める。桜美林大学文学部中文科、慶應義塾大学通信教育部法学部卒業、その間に上海と北京に留学。日本大学大学院総合社会情報研究科博士後期課程修了、博士(総合社会文化)。外務省在外公館専門調査員(在中国日本大使館)を経て、現在は法政大学客員学術研究員。専門は、現代中国の知識人・言論空間・政治文化研究。共訳書、劉暁波『天安門事件から「08憲章」へ──中国民主化のための闘いと希望』(藤原書店、2009年)、『劉暁波文集──最後の審判を生き延びて』(岩波書店、2011年)、『劉暁波と中国民主化のゆくえ』(花伝社、2011年)、『「私には敵はいない」の思想』(藤原書店、2011年)など。
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