北京の胡同から

第26回

北京「漫才」をめぐる私見

写真/張全

まだまだ続く漫才ブーム

 いつの世も生活に「笑い」は欠かせない。文化の爛熟した都市ほど、「お笑い」文化も豊かなもの。その形式は地方によって様々であろうが、北京でいえば、そういった文化の蓄積の厚さをもっともしみじみと感じさせるのが、「相声(漫才)」だ。
 北京では数年前、人気漫才師、郭徳綱が火付け役となり、相声ブームが訪れた。そのピーク時に比べれば最近はだいぶ下火になったようだが、北京の相声はまだまだ健闘中だ。中でも若手のチャレンジが実際の寄席を通じて感じられるのが、鼓楼近くにある「広茗閣」。ここでは「80後(1980年代生まれの人々)」を含む、まだ知名度の低い漫才師たちが毎日舞台を繰り広げている。週末になるとほとんどの席が聴衆で埋まるが、その多くはだいたい40歳以下の若・中年層。地元の人に交じり、出勤帰りのホワイトカラーも目立つ。若手の漫才師たちは、日本のアニメ関連の話題など、今の若者文化と密接に関わる内容を盛り込みながら話を展開。早口言葉や、方言の模倣などの高いテクニックも懸命に披露していた。
 一方、比較的ベテランの漫才が聞けるのは、東城区文化館で毎週土曜に開かれている「週末相声倶楽部」などだ。このほか、天橋や前門の「徳雲書館」、「張一元天橋茶館」、「広徳楼」などでも、先述の郭徳鋼やその弟子たちが、元気に舞台を繰り広げている。

多種多様な物売りの声

 歴代、天津で先に名を上げる漫才家が多かったため、漫才の発祥地は天津だと言う人もいる。だが実際はどうも、清の咸豊、同治年間(1851年〜1874年)の北京らしい。最初は人の声や動物の鳴き声、自然界の音などを真似る芸から始まり、「技」を披露するという要素が強かった。
 例えば、先回の記事で昔の北京の物売りの声についてご紹介したが、昔の相声の中には、「サンザシ飴売り」の呼び売りの声をテーマにしたものがある。その中で漫才師は、北京の「北城、東城、西城、南城(昔の旧城内の北京の区分け)」ごとの「サンザシ飴売り」の売り声の違いを、物まねで生き生きと再現。その違いは、お上品な西城、庶民的で飾り気のない南城など、それぞれの地区のイメージやそこに住む人々の身分や文化レベルの差を反映させたものだ。その差からは、北京がかつてエリアごとに持っていた、様々な表情が伝わってくる。
 ちなみに現在、北京の都心では、東城区、西城区、崇文区、宣武区の四区を新東城区、新西城区の二区に統合する動きが進んでいる。行政上の効率はアップするのかもしれないが、こういった区分けの簡素化はある意味、北京の旧城内の文化が地区による多様性を失い、貧しくなりつつあることを象徴しているように思われてならない。

写真/張全

法螺吹き合戦

 ところで、北京派の漫才についてよく言われるのは、政治や社会への関心と風刺性の強さ。とはいえ、これは必ずしも直接政府の欠点をあげつらったり、内容に過激な発言を挟んだりする、という意味ではない。例えば、中国では大躍進などの歴史的影響からか、社会の至る所にまだ「吹牛(ほらを吹く、誇張する)」の習慣が残っているように思われる。個人の場合は、完全な嘘をつくというより、空気を吸ってパンパンに膨れ上がったカエルのように、誇張によって自分を大きく見せようと気張るケースが目立つ。
 これは北京の漫才では、「俺の法螺吹き加減はすごいんだぞ」と、互いにあり得ないことをでっちあげて自慢しあうやりとりで風刺される。そしてその内容の誇張ぶりはどんどんとエスカレートしていく。
 もっとも、こういった風刺は、それが鋭ければ鋭いほど、往々にして背景となる社会環境や歴史を知らないと、その本当の面白さを理解できない、という欠点ももつ。この漫才にしても、本当に腹の底から楽しめるのは、やはり大躍進時代やある時期のソ連社会を体験した人ぐらいかもしれない。

今の漫才はパンチ不足?

 ちなみに、中国の多くの現代小説や映画などが、なかなか日本の人には理解されにくいのも、往々にしてこういった「背景」への理解が必要とされるからだろう。例えば、現在日本で公開中の馮小剛監督の映画「狙った恋の落とし方。」にしても、現在の中国で顕著な「剰男剰女(婚期を逃した男女)」現象、異常な投資熱、社会における競争の不公平さなどを知らないと、なかなか映画の内容がもつ妙味は分からない。
 だが一方にはもちろん、時代を越えて生き残っていくユーモアもある。それは、時代を先取りしているものや、人間の本質に根ざしているものなどだろう。昔の北京の漫才を知る人の中には、そういった「古典」的作品を引き合いに出しつつ、現在の漫才全般を「つまらなくなった」と嘆く人も多い。正直筆者もその一人だ。そう言った感想が生まれる原因の一つには当然、厳しい検閲制度の影響もある。でも、それだけが原因のすべてではないだろう。素人の勝手な意見だが、過剰な広告や医療問題など、そこまで敏感でない範囲で、もっとパンチの利いたユーモアが生み出せそうなものだ、と感じてしまう。
 そんな中、むしろ今必要なのは、漫才界に活気があり、それなりにいろいろなチャレンジが行われている内に、「相声」とはいかなるもので、どうあるべきなのか、その伝統には何があり、その中から何を受け継いでいくべきか、といった根本的な探求や討論を、あちこちでもっと徹底的に行っていくことではないか。もちろんそこには限界もあるかもしれない。だがそうすれば、腹の底から笑える、優れたオリジナル脚本を生み出す土壌がもっと育つだろう。漫才界に新風を吹き込んだ郭徳綱のようなスターの出現も大事だが、それだけに頼っていては、ここ数年の漫才ブームは流れ星で終わってしまうように思われてならない。

コラムニスト
多田 麻美
フリーのライター、翻訳者。1973年静岡県出身。京都大学で中国文学を専攻後、北京外国語大学のロシア語学科に留学。16年半の北京生活を経て、2018年よりロシアのイルクーツクへ。中国やロシアの文化・芸術関係の記事やラジオでのレポートなどを手がける。著書に『老北京の胡同』(晶文社)、『映画と歩む、新世紀の中国』(晶文社)、『中国 古鎮をめぐり、老街をあるく』(亜紀書房)、訳著に王軍著『北京再造』(集広舎)、劉一達著、『乾隆帝の幻玉』(中央公論新社刊)など。共著には『北京探訪』(愛育社)、『北京を知るための52章』(明石書店)など。
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