北京の胡同から

第31回

中軸路をめぐる思惑

 最近、北京の街を見ていると、「まな板の鯉」という言葉が浮かんでしかたがない。もともとそうなのだが、昨年、旧城壁内の四区が二区に統合された後は、都市改造のメスがより統一された意図のもとに動き始めた気がするからだ。

 昨年頭、50億元を投資し、鼓楼、鐘楼という二大重要文化財の周辺の地区に、広さ12・5ヘクタールにわたる「鐘鼓楼時間文化城」と呼ばれる観光エリアを建設しようという計画が発表された。それは、鼓楼と鐘楼の間に地下空間を開発し、博物館と商業スペースや駐車場を作り、附近の平屋も一律に前門のような擬古四合院に変えてしまおうという内容で、周辺の胡同は大規模な取り壊しの対象になるとされ、胡同や文化財を心から保護したいと思っている者にとっては世にも恐ろしい内容だった。

 開発に当たってはある米国系のデザイン事務所が関わることになっていたが、文化財の破壊につながるのでは、という問いかけに対し、「中国人自身が文化財をきちんと守ろうとしていないのに、外国人にそれを求めるのはおかしい」という趣旨の答えを返したといわれている。

 プロジェクトの中止を求める人々の間で討論会が企画され、筆者も参加を予定していたが、直前に会そのものがなぜか中止に追い込まれた。状況が分からずやきもきしていたところ、昨年秋、最終的に棚上げという知らせが入り、胸をなでおろすことに。
 この措置は、表向きは鐘楼と鼓楼のある東城区と、その南に位置する崇文区が「新東城区」として合併されたことがきっかけだとされている。鐘鼓楼地区と旧崇文区に位置する天壇公園がいずれも北京の中軸線上にあることから、両者を一体に扱い、統一的な開発を行おうという動きが出たからだ。これを好機とみた文化財保護の関係者が、計画の中止を強く訴えた。もっとも、最終的に一番功を奏したのは、欧米のメディアの「鐘鼓楼時間文化城」計画をめぐる辛辣な批判だったともいわれている。

 とはいえ、行政側も抜いた刀を完全に鞘に戻すことはできなかったとみえ、昨年12月には、本来の計画を縮小したバージョンとしての「鐘鼓楼・北京時間博物館」の建設に着手。今年中に鐘楼と鼓楼の間の広場の整備も行われるという。もっともこれらの工事の着工により、少なくとも旧計画の中止は決定的となり、最悪の結果は免れたわけで、やはり文化財関係者にとってはほっとするニュースとなった。

 そもそも、鐘鼓楼の一帯の商業開発は政府が何年も前から虎視眈々と狙っていたことだった。友人の属するあるNGO団体が、この地区の四合院を対象に「住民を追い出さないままの四合院の修復」を趣旨としたプロジェクトの実施を申請したところ、政府側は、修復後の建物は商業目的に使いたいとして譲らず、成功しなかったという。
 また先述のように、鐘鼓楼が北京の中軸線上に位置していることも、この一帯の開発が重要案件とならざるを得ない大きな理由だ。今年の1月16日、北京市委員会書記の劉淇氏が、北京の中軸線を世界文化遺産として申請する決意を明らかにした。この公表により、今後、中軸線周辺に大きな変化がもたらされることは間違いない。
 今思えば、五輪前に取り壊しに頑固に抵抗した栗屋もこの中軸線上に位置していた。当時、商業的に繁栄していた一帯を無理やり緑地帯にする理由は聖火リレーのため、とされていたが、実はそれより先も視野に入れていたと思われる。
 さらに早くは、中軸路の南端にあった永定門や、什刹海と故宮の堀を結んでいた古い水路である玉河の復元、鼓楼西南にある地安門百貨商場の「低層化」も、この布石だったのかもしれない。「地百」の名で親しまれている四階建ての地安門百貨商場が四階部分を文字通り「削り」、三階建てに生まれ変わったのは、2006年のことだった。

 ただ、中軸路上の文化財の修復と保護に重点を置くことを政府が誓ったからといって、今後の開発が慎重で専門家を含む民衆の意見をきちんと反映したものとなるかについては、不安を抱かざるを得ない。

 つい先日、「地百」の向かいの並木が、地下鉄駅の建設のために予告なく何本も切られてしまった。切り株はすぐに取り除かれてしまったので、近所の住民でも、木がなくなったことに気付かない人は多いかもしれない。実はこの変化は、緑化の問題だけでなく、景観の問題とも関わる。鼓楼から中軸線上を南に延びる地安門外大街上に、明代から伝わる永寧橋(通称「後門橋」)がある。かつてはその橋の上から鼓楼を眺めると赤い柱が緑の葉にふちどられ、爽やかな趣きがあったが、巨大な木が何本も切られたことにより、同地点から見た鼓楼は丸裸寸前になってしまった。

並木が切られた後の、永寧橋から見た鼓楼の景色

▲並木が切られた後の、永寧橋から見た鼓楼の景色(画像クリックで拡大)

 また、地下鉄駅の工事現場そのものが占めている面積も広大だ。その「遠慮のなさ」は、建設場所が歴史ある繁華街の核心地区であるとはとても思えないほど。もちろん、渋滞や路肩駐車の問題に悩む北京の街にとって地下交通の発達が欠かせないことは筆者も十分承知しているが、駅ができた暁にはどれほど景観が変わってしまうだろうかと気が気でない。先進的な工法を用いれば、取り壊される建物の面積もずっと縮小できたはず、といわれており、心が痛む。

 もっとも、これらはいずれも氷山の一角でしかないだろう。北京の鐘鼓楼一帯、そして中軸線周辺の行方は、まだまだ気がかりの種であり続けそうだ。

コラムニスト
多田 麻美
フリーのライター、翻訳者。1973年静岡県出身。京都大学で中国文学を専攻後、北京外国語大学のロシア語学科に留学。16年半の北京生活を経て、2018年よりロシアのイルクーツクへ。中国やロシアの文化・芸術関係の記事やラジオでのレポートなどを手がける。著書に『老北京の胡同』(晶文社)、『映画と歩む、新世紀の中国』(晶文社)、『中国 古鎮をめぐり、老街をあるく』(亜紀書房)、訳著に王軍著『北京再造』(集広舎)、劉一達著、『乾隆帝の幻玉』(中央公論新社刊)など。共著には『北京探訪』(愛育社)、『北京を知るための52章』(明石書店)など。
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