北京の胡同から

第28回

「中日青年作家会議2010」をめぐる印象

15冊組作品集『中日新生代作家佳作集粋』 まず、一身上の都合で、連載が途切れてしまったことを心よりお詫びします。

 開催から1カ月以上たった今、ニュース性はかなり低くなってしまったが、本屋さんのコラムということで、今回は9月の2日から5日にかけて北京国際飯店で行われた第二回「中日青年作家会議2010」について簡単にご報告したい。

 この会議は中国社会科学院外国文学研究所の主催によって開かれたもので、参加作家は、中国からは茅盾文学賞受賞者の麦家や魏微、李浩、張悦然、徐則臣、葛亮、崔曼莉、アニー・ベイビー(敬称略、以下同)など。日本からは中村文則や青山七恵、西加奈子、山崎ナオコーラ、村田沙耶香、羽田圭介などが訪れた。同時に、読売新聞文化部の尾崎真理子や、日本文学者兼作家のリービ英雄、文学評論家の川村湊、作家の茅野裕城子、そして日中の文学や日本学関連の学者らも集い、活発に発表を行った。また、青年作家の範疇には入らないものの、ベテラン作家も応援を惜しまず、開幕式には莫言や鉄凝、劉震雲ら、また開幕式と翌日のディスカッションには閻連科などの著名作家が参加し、会を盛り上げた。開幕式では今回の催しの提案者である大江健三郎氏からの長文のメッセージも読み上げられた。

 会議は両国の作家がお互いに準備してきた文章を発表し、それらをめぐってディスカッションを行う部分と、専門家らの討論会との2つの部分に分かれた。テーマは「グローバル化の中の文学」と「越境文学」。筆者の印象では、日本の作家の多くは比較的柔軟に、グローバル化の問題を意識しながら、自らの実際の感覚に基づいた創作上の体験や苦楽について発表していたが、中国側の作家は、国内外の文学論や影響を受けた作家など、割と固い話題で発表を繰り広げているケースが多かったようだ。

 会議の参加者の顔ぶれも錚々たるものだったが、参加者の誰もが恐らくこれに劣らず圧倒されたのが、開幕パーティーの豪華さと、会場で配布された金城出版社による瀟洒な装丁の15冊組作品集『中日新生代作家佳作集粋』だろう。作品集には今回会議に参加した日中の作家の重要作品が、中国の作家は原語で、日本の作家のものは中国語に翻訳されて収められており、各作家のプロフィールと代表作を紹介した小冊子も付されていた。もちろん今回の会議のために特別に準備されたもので、翻訳が始まったのはたった半年ほど前らしい。訳文の質は未検討だが、大胆な発想をぎりぎりの準備期間で形にしてしまう中国的行動力の成果を目の当たりにした気分だった。

 ただ物足りなかったのは会議のディスカッション部分だ。少なくとも筆者が参加した各作家の発表部分に関しては、参加者がお互いの発表に耳を傾ける機会はふんだんにあり、それ自体とても貴重ではあったものの、その内容をめぐるインタラクティブな討論はあまり行われていなかった。家族や血縁・非血縁の描き方、テレビ・メディアの影響力、都市の変化と創作の関係、村上春樹の評価、言語の境界を乗り越える試みなど、興味深いキーワードがいくつも出てきていただけに、なおさら残念だった。

 主催が体制側の研究機関である社会科学院で、実質的な交流の期間がたった3日、しかもそこには通訳のタイムラグも含まれることを思えば仕方ないのかもしれない。それに作家はその作品の中でこそもっとも自由に表現ができるものなのだろう。だが、せっかく生身の人間が一つの会場に集まる貴重な機会なのだから、今後同じような会議が実現した際は、やはり準備した原稿を読み上げるだけではない、より活発な討論が期待されてならない。

 何はともあれ、その後日中の関係が難局に陥ったことを思えば、開催が無事実現したこと自体、十分幸運だったといえるだろう。日中の人間レベルの交流が簡単に途絶えるとは思えないが、外交面の先行きに不安が募る時勢だからこそ、せっかく確立された貴重な対話の機会が今後閉ざされることのないよう、祈るばかりだ。

コラムニスト
多田 麻美
フリーのライター、翻訳者。1973年静岡県出身。京都大学で中国文学を専攻後、北京外国語大学のロシア語学科に留学。16年半の北京生活を経て、2018年よりロシアのイルクーツクへ。中国やロシアの文化・芸術関係の記事やラジオでのレポートなどを手がける。著書に『老北京の胡同』(晶文社)、『映画と歩む、新世紀の中国』(晶文社)、『中国 古鎮をめぐり、老街をあるく』(亜紀書房)、『シベリアのビートルズ──イルクーツクで暮らす』(2022年、亜紀書房刊)。訳著に王軍著『北京再造』(集広舎)、劉一達著、『乾隆帝の幻玉』(中央公論新社刊)など。共著には『北京探訪』(愛育社)、『北京を知るための52章』(明石書店)など。
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