北京の胡同から

第01回

北京は四合院ブーム

 ある日、公開を待ちに待っていた映画を見に映画館に入った。すると、数分も経たない内に、はっと息を呑んだ。
 冬の北京の道を、必死で自転車を漕いでゆく主人公。わき目も振らず走るその女性が最後にたどり着いたのが、何とも見慣れた場所、つまり我が家の隣の敷地の門だったからである。
 映画の名は「我們倆(邦題:私たち)」。東京国際映画祭で、おばあさん役の金雅琴が最優秀主演女優賞を獲得した映画だ。

 実は私は北京の旧市街地を網の目のように走る横丁、「胡同」に住み始めてほぼ5年になる。その間に3カ所の個性的な胡同に住み、胡同の両脇を埋める伝統住宅である四合院の一角で北京の変化を私なりに見つめてきた。中でも現在住んでいる胡同は、映画やテレビでの露出率が結構高い。家の敷地の門の前で撮られた映像が一時期、あるチャンネルで繰り返し使われていたこともある。特に有名な人が住んでいたとか、特筆すべき歴史の舞台であったというわけではない。ただ単に、普通の静かな、木々の多い胡同の一つに過ぎないのだが、撮影に多用されるのは、このようなごく普通の胡同が、過度の開発により、どんどんと少なくなってきたからだろう。

 ところで、冒頭で登場した「我們倆」という作品は、気鋭の若手女性監督、馬儷文の自伝的作品と言われている。映画を学ぶ女学生が、古い四合院に一人で住む頑固なおばあさんのところに下宿し、さまざまな摩擦を経ながらも、最後には互いへの温かい思いやりで結ばれるという、特に劇的な展開はないが、不思議と心にしみるストーリーだ。
 実は公開の2年ほど前、ある映画雑誌で、この映画は我が家からも近い、北京の地安門近くの四合院で撮影中と発表されていた。だから私も期待満々で映画館に行ったのだが、蓋を開けてみると、外の風景は家の前の胡同で撮影されていたのだった。となると、次に気になるのは四合院内の風景。主人公が門をくぐった隣家は、実際は北京の四合院の多くがそうであるように、数世帯が雑居する「大雑院」だ。一つの中庭を一人住まいのおばあさんが占めている映画の情景と噛み合わない。では院内の風景はどこで撮ったのか。

 実は私には胡同を歩き回って、歴史や特色のある建物を調べる趣味がある。そんなある日、取り壊しを間近に控え、荒廃した雰囲気が漂う近所の胡同を歩いていると、際立って慎重に保存されている四合院を発見した。どうもある資産家の華僑が買取り、改修したもののようだ。引越しの最中で、内部の人によると、しばらくオーナー自らが住んだ後は、人に貸すという。そこで中を参観させてもらうと、仰天した。大きなものだけでも3つほど中庭があり、一つ一つの部屋にも実に洗練された趣味の内装が施されている。トイレも4つはあっただろう。フィットネスのコーナーがあるかと思えば、サウナルームまで完備。「これこそ豪邸だ」とうなる。

 あまりに印象深い豪華四合院なのでしばらく忘れられずにいたら、ある日新聞にその華僑人オーナーに関する記事が出ていて、自分の住んでいる四合院は「我們倆」のロケ地だったという。私は再び腰を抜かした。なぜなら、「我們倆」で主人公が住んでいたのは、ぼろぼろで、水周りも中庭に露天の水道があるだけという、貧乏下宿そのものだったからである。おそらくロケは、転売のために元の住民を立ち退かせた直後の四合院で行われたのに違いない。

 ここ数年、北京は四合院ブームで、あちこちに四合院を扱う不動産屋が出現している。バブルの崩壊が危ぶまれる今も、数が限られているだけに、その人気は衰えを知らないようだ。
 数世帯が肩を寄せ合ったり、地方から来た出稼ぎ労働者や学生が一時の住処とする、庶民的で安価な四合院から、億ションレベルの豪華四合院にドロンと変身。今の北京のとてつもなくドラマチックな変化を、名作映画を通して目の当たりにした、忘れがたい体験だった。

コラムニスト
多田 麻美
フリーのライター、翻訳者。1973年静岡県出身。京都大学で中国文学を専攻後、北京外国語大学のロシア語学科に留学。16年半の北京生活を経て、2018年よりロシアのイルクーツクへ。中国やロシアの文化・芸術関係の記事やラジオでのレポートなどを手がける。著書に『老北京の胡同』(晶文社)、『映画と歩む、新世紀の中国』(晶文社)、『中国 古鎮をめぐり、老街をあるく』(亜紀書房)、『シベリアのビートルズ──イルクーツクで暮らす』(2022年、亜紀書房刊)。訳著に王軍著『北京再造』(集広舎)、劉一達著、『乾隆帝の幻玉』(中央公論新社刊)など。共著には『北京探訪』(愛育社)、『北京を知るための52章』(明石書店)など。
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