北京のアート界で今、一番の話題といえば、やはり芸術区「草場地」を代表するキーパーソン、アイ・ウェイウェイの行方だろう。北京どころか世界中の、といってもいい。多くの人がご存じかもしれないが、香港に移動するため、北京空港で飛行機に乗ろうとしたところを突然拘束され、行方が分からなくなってしまった。その後関係者200人が連行され、中には失踪した人もいるという。
ただ筆者は北京でこの事件について報道しているメディアを見かけたことはなく、大っぴらに語ることさえできないようだ。
筆者もアイ・ウェイウェイ氏へのインタビューは4、5回行ったことがあるだけに、その行方や安否が心配でならないが、北京在住のライターとして何ができるのか、どうしても戸惑いを覚えてしまう。何せアイ・ウェイウェイを支援する人々の活動を記事にすれば、支援する活動に影響が及びかねず、自らの言論の自由まで抹殺される可能性があるからだ。
というわけで、奥歯にモノがつまったような遠まわしな記事になってしまって申し訳ないが、そんな中でやはり多くの人々に知ってもらいたいイベントとして、草場地で4月23日に開幕した「草場地春の写真祭2011」をご紹介したい。
これまで、この写真祭の意義は多方面にわたってきた。例えば昨年開かれた第一回目においては、中国と海外の写真芸術の交流を促進する、といった表向きの重要な目的のほかに、裏のもう一つの目的も大きなウェイトを占めていた。それは、大規模な立ち退きと取り壊しの対象区域になりかけていた草場地を守るため、その芸術空間としての重要性を国内外にアピールする、というものだ。国際的にもすでに高い評価を得ているアルルの写真祭と提携してその作品を展示する、といった、参加者だけでなく主宰者側も海外と直接強く関わり、連動していることのアピールは、表の目的と同時に、裏の目的にとっても有効であった、といっていい。
第二回目となった今回の写真祭も、やはりアルルの写真祭のチーフ・ディレクターを企画者に取り込む形で開かれた。表面上は一切政治的アピールをもたないイベントだったが、個人的な印象として、その展示の内容には、やはり言うに言われぬメッセージが込められているように感じられた。
▲「草場地春の写真祭2011」の開幕式の様子(撮影/張全)
まずは本会場である「三影堂撮影芸術中心」の展示について述べたい。やはりガツンときたのは、「無辜の者」というタイトルの展示だった。冤罪で入獄させられた人々の写真をそれぞれの事件が起きたシチュエーションで一人一人撮影し、大きく引き伸ばしたものだ。社会的存在を不条理に「抹殺された」経緯をもちながら、それ故に却って強い存在感を放っている人々のまなざしは、様々な想像を誘いつつも、人間の尊厳と保証されるべき権利の重さについて考えさせた。
▲メイン会場で作品を鑑賞する人々(撮影/張全)
また衝撃的でもあり、新鮮でもあったのが、会場の一つである「茘空間(Li Space)」で、アフリカをテーマにした現代写真を集中的に展示していたことだ。特に政治的な内容は目立たなかったものの、アフリカのアーティストたちの自由奔放な表現に接することができ、普段アフリカの現代文化関連の紹介が皆無に近い北京ではたいへん衝撃的かつ意義深く感じられた。もちろん、アフリカの現代文化に関する紹介が少ないのは中国に限ったことではないのかもしれないが。
ちなみに、貴重だったのは写真祭と同時に各種のパンフレットが制作されたことだ。しかも無料で500部配布された「草場地」がテーマのパンフレットを開くと、最初のページにアイ・ウェイウェイの自らを被写体にした作品と、自らの体験をつづった文章が掲載されていた。草場地で1998年に自宅兼アトリエを自らの設計で建て、草場地にアーティストが集まるきっかけを作り、その後、今回の写真祭のメイン会場である「三影堂」を含む、草場地のアート・スペース用の建物の大半を設計したアイ・ウェイウェイ。他はともかく、草場地において彼の存在が無視できないのは、当然ともいえる。
だが誤解をされないように付け加えると、アイ・ウェイウェイ氏の存在を抜きにしても、今回の写真祭は内容のとても充実した、意義の大きな写真祭であった。クリス・マーカー、細江英公、ジェスパー・ジャスト、山本昌男、張大力といった世界的なアーティストの作品が多数展示され、参加した画廊や芸術関係の組織は30以上に上った。各種ディスカッションや関連映画の上映、東北の大震災の被災者を援助するチャリティ活動なども活発に行われ、まさに「写真愛好者の祭典」であったといっていい。
かつて筆者の友人がこう語ったことがある。扇動的なスローガンを叫ぶより、各立場や職業の者がやれることを懸命に、きちんとこなしていくこと。それこそが中国をより確実に民主的、開放的にしていくのだ、と。少なくとも今の中国の情況では、まさにそうかもしれない。「沈黙」の状態に一石を投じた今回の意欲的なイベントを通じ、改めて思った。