廣田裕之の社会的連帯経済ウォッチ

第56回

マグレブの社会的連帯経済 その1

 社会的連帯経済のネットワークはアフリカにも広がっていますが、この連載ではまだアフリカの事例についてそれほど取り上げてはいないため、この機会にアフリカの中でも比較的資料がそろっているマグレブの状況について説明したいと思います。また、今回の記事を作成するにあたって、「マグレブにおける社会的連帯経済」(フランス語)という報告書を参考にいたしましたので、ここに紹介します。

 なお、当初はこの原稿は、3月24日から28日までチュニジアの首都チュニスで開催された世界社会フォーラムの報告も兼ねるつもりで、報告書をもとにした記事を予め準備していましたが、3月18日にチュニス市内のバルドー博物館で起きた銃撃事件で日本人3名を含む多数の観光客が犠牲になったというニュースを受けて現地への渡航を断念したため、当初の予定通りに記事内容を充実させることができなかった旨、断わっておきたいと思います。犠牲者の方々のご冥福を祈るとともに、チュニジアの市民社会が連帯してこの苦境を乗り越え、再び同国が多くの観光客で潤うようになり、社会的連帯経済が発展することを願ってやみません。

 その前に、まずマグレブについて紹介したいと思います。マグレブとはアラビア語で「太陽の没する土地」すなわち西を意味する単語で、具体的には東からリビア、チュニジア、アルジェリア、モロッコそしてモーリタニアの5ヵ国を指します。なお、モロッコとモーリタニアにはさまれている西サハラ(旧スペイン領サハラ)は、現在モロッコの実効統治下にありますが、国際的には非自治地域となっています。

マグレブの地図

▲マグレブの地図

 しかし、特に社会的連帯経済などで「マグレブ」という場合には通常、チュニジア(約1080万人)・アルジェリア(約3850万人)・モロッコ(約3250万人)の3ヵ国(合計人口約8200万人)が対象となります。これらの国はもともとアラブ人ではなくベルベル人が住む土地であり(今でもアルジェリアやモロッコでは、アラビア語の他にベルベル語も使われています)、19世紀にフランスにより植民地化され、独立後もアラビア語に加えてフランス語が幅広く使われており(モーリタニアもフランス語圏だが、リビアは非フランス語圏)、同地域からフランスに移民が数多く渡ったこともあり、今でもフランスとの関係が非常に密接です。当然ながらマグレブの社会的連帯経済も、フランスなどフランス語圏の他の国からの影響を受けながら発展してきたと言えます。

 マグレブ3ヵ国は第2次大戦後しばらくして独立しましたが(モロッコとチュニジアは1956年、アルジェリアは1962年)、協同組合や共済組合は植民地(あるいは保護領)時代からの伝統を有しています。また、日本のもやいに相当する相互扶助の伝統も各地に存在していますが、社会的連帯経済が組織化されたのは比較的遅く、1980年代から90年代になってからです。とはいえ、欧州や中南米諸国に見られるような形で社会的経済あるいは社会的連帯経済を法制化したり、フランスのCEGESやスペインのCEPESに相当する業界団体が形成されたりしている国はなく、むしろ各種支援制度により社会的連帯経済自体がそれに依存してしまう構造ができてしまっている点が問題となっています。さらに、中南米や欧州などでは既存の資本主義への代替案として連帯経済が推進されていますが、そのような意識はマグレブ地域にはなく、あくまでも既存の市場経済の補完的存在と位置づけられています。

 また、若年層人口が多く(2012年のデータで、15歳から29歳までの人口に占める割合が28~30%)、高等教育を受けたもののそれにふさわしい雇用がないことから失業している若者も多く、雇用創出が喫緊の課題になっていますが、この点では欧州諸国も同様の問題を抱えており、この点において地中海の両岸を結んだ交流が有益になることでしょう。

 とはいえ、途上国であるマグレブ諸国は、欧州や日本など先進国とは異なる課題があります。先進国では障碍者や長期失業者など社会的疎外に苦しむ人たちへの対応として、社会的企業や各種NPOのサービスなどが社会的連帯経済において大きな地位を占めますが、マグレブ諸国では失業や貧困の問題が深刻であるため、雇用創出による貧困撲滅が何よりも大切になります。また、協同組合や共済組合はかなりの経済的成果を出している一方で、NPOは専ら社会的目的の追求を行い、あまり経済的活動を行っていないことが指摘されています。

 しかしながら、独立後かなり異なった歴史を歩んできたマグレブ各国では、社会的連帯経済もそれぞれ独自の発展を遂げています。以下、東から西の順に紹介したいと思います。

 まず、チュニジアについてご紹介しましょう。チュニジアは、紀元前にローマと地中海の覇権を争ったカルタゴの本拠地でしたが、チュニジアは独立以降ソフトイスラムの路線を歩み続け、周辺諸国と比べるとそれほどイスラムの戒律が厳しくないことで知られており、欧州などから多数観光客を受けて入れています。しかし2011年1月のジャスミン革命までベン・アリ独裁政権が23年以上にわたって続いており、長期政権における腐敗や人権弾圧が問題になっていました(このジャスミン革命が、翌月にムバラク政権を退陣に追いやったエジプト革命の引き金となり、その他諸国でも「アラブの春」と呼ばれる一連の社会改革運動などにつながっていきました)。その後イスラム保守派政権が成立しますが、2014年末の大統領選挙で穏健派が勝利しています。

 ジャスミン革命は、社会的連帯経済にも大きな励みとなりました。社会的連帯経済は市民運動と強いつながりを持つ傾向にありますが、ベン・アリ独裁政権下では抑圧されていたこれら市民運動が革命により解放されたことから、同国ではNPOの結成が相次ぎました。しかし、社会的連帯経済が同国に入ってきたのは革命以前のことであり、2007年には社会的経済チュニジアネットワーク(RTES)が結成されています。

 チュニジアでは以前から少なからぬ数のNPOがありましたが、革命後にその数が急増しています(2010年の1万弱から、2012年には1万5000近くに)。その中で最も多いのが学校で(31%)、以下文化・芸術(16%)、慈善団体(12%)、マイクロクレジット開発(12%)、スポーツ(9%)、科学(7%)などが続いています。また、農協に関しては、農業サービス共済組合(SMSA)および農漁業開発グループ(GDAP)が存在しており、2012年現在でSMSAは177団体(このうち165団体は県単位で、残りの12団体が全国単位で活動。ちなみにチュニジアは24県で構成)、そしてGDAPは2742団体存在しており、ほとんど(91%)が水資源の配分に関わっています。その一方で、農業以外の分野の協同組合はほとんどないのが実情です。

Endaのサイト

◀Endaのサイト

 さらに、チュニジア連帯銀行(BTS)が1997年に設立しており、マイクロクレジットを提供しています。2010年末に約21万人の顧客を擁し、それまでの10年間で48万件・4億300万チュニジア・ディナール(2015年3月現在のレートで約264億円:1件あたり895ディナール、約5万5400円)を貸し出していました。ただし、革命後にかなりの混乱があるようで、現在の活動状況は不明です。また、これとは別にEndaという団体が大規模にマイクロクレジットを提供しており、これまで134万3884件、10億500万ディナール(約612億円:1件あたり約748ディナール、約4万5600円)を貸し出しています。とはいえ、社会的連帯経済に対する政府の認識の遅れや研究者不足などの問題を抱えています。

▲2013年の世界社会フォーラムの際に、チュニジアの社会的連帯経済について紹介すべく作成されたビデオ(15分)

 次回は、アルジェリアとモロッコについて紹介した上で、これらマグレブ3ヵ国における傾向をまとめたいと思います。

コラムニスト
廣田 裕之
1976年福岡県生まれ。法政大学連帯社会インスティテュート連携教員。1999年より地域通貨(補完通貨)に関する研究や推進活動に携わっており、その関連から社会的連帯経済についても2003年以降関わり続ける。スペイン・バレンシア大学の社会的経済修士課程および博士課程修了。著書「地域通貨入門-持続可能な社会を目指して」(アルテ、2011(改訂版))、「シルビオ・ゲゼル入門──減価する貨幣とは何か」(アルテ、2009)、「社会的連帯経済入門──みんなが幸せに生活できる経済システムとは」(集広舎、2016)など。
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