北京の胡同から

第35回

外国映画をめぐるいくつかの情況

スウェーデン映画祭での制作者を囲んだティーチ・イン各国映画祭が目白押し

 私を含めた北京の映画ファンには実に嬉しいことだが、今年4月末に行われた第一回北京国際電影季の後を追うように、現在北京では様々な国の映画祭が数珠を連ねるように開催されている。北京ではもう恒例ともいえるフランス映画祭の後、トルコ映画祭、スウェーデン映画祭、日本映画ウィーク、ロシア映画祭がそれに続き、現在開催されているのは、モロッコ映画祭だ。

 普段中国で上映される外国の映画はかなり本数が限られている。インディペンデント映画はもちろん、商業映画でさえ然りだ。その主な理由は、国内での上映をめぐる制限が厳しいことに加え、単館上映を行う映画館やアート・シアターに類するものがほとんどないこと、そして興行的な成功が難しいこと、などであろう。

 そんな北京で、なぜか今年突然、国際映画祭が開催された。正直、筆者は「そんな無茶な」と思ったものだ。「文化創意産業」を育成するため、国際的な文化イベントを行い、北京の文化的土壌や交流の場を育てたいというのは分かる。だが、少なくとも「国際」と銘打った映画祭を開くなら、その前にまず海外の映画を鑑賞できる観客を育てなくてはならないはずだ。あれほど厳しい検閲で、優れた外国映画の数々をシャット・アウトしておいて、国際映画祭もないものだろう、というのが筆者の印象だった。もちろん、「海賊版映画が、中国の映画ファンを外国に負けないくらい映画マニアにしている」と主張するなら、それはそれで事実であり、納得できるのだが。

 案の定、北京の映画祭は映画鑑賞より商談や人材の交流に重きがおかれたようで、上映映画も、すでに国内外で評判が定まった作品ばかり。しかもその大半を国産映画が占めていた。

合格映画は4、5本に1本

 北京ではよくあることだが、こういった官製のイベントより、そのタイミングに合わせて、周辺で競うように行われるイベントのほうがよっぽど面白いことがある。今回に関しても同じで、冒頭で述べたような各国の映画祭の方がよほど新鮮な驚きをもたらしてくれた。

 近年、この種の映画祭が開かれるたびに驚くのは、チケットの売れ行きの早さだ。しかも、以前ならフランス映画祭に詰めかける観客の中には北京在住のフランス人を中心とした欧米人が目立ったが、今年会場に足を運ぶと、観客のほとんどが中国人の若、中年層だった。つまり、北京に関していえば、外国映画の受け入れられる土壌は確実に育っている、といえる。また、上映映画の監督や主演を呼んでティーチ・インが行われるケースも増えており、そこで結構興味深い裏話が聞けるのも、意外な収穫だ。

 例えば、フランス映画祭で、フランスアニメが上映された時のこと。「フランスのアニメもたいへんクオリティが高いのに、なぜ中国の一般の映画館では上映されないのか」という観客の問いに対し、中国側のフランス文化関係者は「それは中国の人々がアメリカのアニメばかり好むからです!」と声高かつ残念そうに答えた。中国の映画市場がハリウッド映画やディズニー・アニメの波をもろにかぶり続けているのは諸外国と同じ。前述のように、制度上、上映が許される外国映画の枠が狭い上、観衆レベルにも刺激の強いアメリカ映画を好む傾向があることで、フランス映画の参入はかなり厳しくなっている。だが、中国の一部の映画ファンの間でフランス映画の人気は高く、映画祭はたいてい満席だ。その叫ぶような言葉からは、ファンを得ながら市場に参入できないフランス映画関係者のいらだちが強く感じられた。
 また同会場では、「何はともあれ、この映画が上映されたのは、たいへんラッキーなことです。今回の映画祭では50作品申請しましたが、12作品(内2本は短編集)しか通らなかったのですから」という関係者の発言もあり、審査の厳しさを強く感じさせた。

フランス映画祭のあるティーチ・イン風景(本文で言及のものとは別)ベルリン映画祭との比較

 一方、ドイツの文化関係者はベルリン映画祭で過去に受賞した中国映画を上映する、という形で打って出た。その上映会で、ベルリン映画祭の関係者、南方週末の気鋭の編集者、そして、王全安監督を囲んで行われたディスカッションも、実に興味深いものだった。王全安監督は新作『団円(邦題:再会の食卓)』がベルリン映画祭で最優秀脚本賞を受賞している。

 まずベルリン映画祭の関係者がベルリン映画祭の立ち上げについて語った。ベルリン映画祭は、ナチスの影響でまったく自由な表現、自己の表現ができなくなっていたドイツの人々を立ち直らせるため、ベルリンで1945年より準備が行われた。1950年代にやっと開催に成功したが、審査員がいなかったため、観客が審査員に。つまり、上からではなく民衆が下から支える、民間と密着した映画祭になったのだった。
 資金面についていえば、最初は政府が出資していたが、現在、政府はほとんど出資していない。政府はまったく映画祭の内容に口を出さず、口を出すのはむしろタブーである、とされているという。
 ここまでくれば、ベルリン映画祭を何と比較しているかは明らかだ。今年始まった北京映画祭は、中国のラジオ、映画、テレビを管理する国家広播電影電視総局と北京市政府の主催で開かれたからだ。

問題は、規制緩和の後

 次の話題はずばり、「北京の映画祭には何が足りないか」だった。
 これに対し、南方週末の編集者は「足りないのではなく、多すぎる」と回答。「多すぎるのは政府の干渉だ。多くの映画祭が、検閲のために開けない。どんな映画祭も、小さな映画祭からだんだんと大きく育てていくべき。多くは望まないが、せめて第一段階の審査だけでもゆるくすべきだ」と答えた。
 これに対し、王全安監督は「制度上のハードルはあるが、それは一番肝心な問題ではない」と応じ、いかにも映画の作り手らしく、「ハードルはもしかしたら明日にでもすべて無くなるかもしれない。でも、その時私たちは何を表現できるのか?私はそれが肝心だと思うし、心配だ。旧東欧諸国の映画が直面している困難がいい例だ」と答えた。
 ここで観客の質問が入る。「映画の社会性を重視するベルリン映画祭のような性質とスタイルを北京で実現するのは無理なのではないか。社会の暗黒面を表現する映画が、北京で評価され得るのか」。
 これに対し、ベルリン映画の関係者は、「必ずしもストレートに政治性を表現する必要はない。張芸謀(チャン・イーモウ)の映画だって、決してアングラではなかった。だが、あのような表現ができることに、誰もが驚いたのだ」と答えていた。

 話題は尽きなかったが、このティーチ・インは映画の上映前だったためか、観客の中にはいらだちをもって「早く映画を流せ!」と叫び、妨害する人も。そもそもが予告なしのゲリラ的な討論会であり、その内容も内容だっただけに、「政府関係者なのでは?」と会場に緊張感が走る。
 何はともあれ、作品あってこその映画祭。まずは作品を、というのもしごく当然の反応だが、ベルリン映画祭関係者を含む映画界のプロの本音が聞ける貴重な機会だっただけに、対話を強制的に断絶させようとする人がいたことは、何とも心寒い感じがした。

コラムニスト
多田 麻美
フリーのライター、翻訳者。1973年静岡県出身。京都大学で中国文学を専攻後、北京外国語大学のロシア語学科に留学。16年半の北京生活を経て、2018年よりロシアのイルクーツクへ。中国やロシアの文化・芸術関係の記事やラジオでのレポートなどを手がける。著書に『老北京の胡同』(晶文社)、『映画と歩む、新世紀の中国』(晶文社)、『中国 古鎮をめぐり、老街をあるく』(亜紀書房)、訳著に王軍著『北京再造』(集広舎)、劉一達著、『乾隆帝の幻玉』(中央公論新社刊)など。共著には『北京探訪』(愛育社)、『北京を知るための52章』(明石書店)など。
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