少し時間は遡るが、昨年末の12月22日から24日にかけて、北京で『2008REAL日本ドキュメンタリー映画交流会』が行われた。このイベントが画期的であったのは、主催こそ中央戯劇学院だが、発案から実施までのプロセスがすべて日中のボランティア・スタッフによって担われた、北京で初のドキュメンタリー映画祭だったこと。より具体的に言えば、上映作品や上映場所の選択から、パンフレットやポスターの制作、スポンサー集め、宣伝、会場のセッティング、ゲストの招聘、当日の運営に至るまでがすべて学生を中心とするボランティアによって担われた、学術目的でない、初の民間の日本ドキュメンタリー映画祭ということになる。
ボランティアの中核となったのは、現在北京に留学中の日本人留学生たち。ちなみに、留学生といっても、すでに日本で経験を積んだ映像界・映画界のプロも何人か含まれている。そんな彼らにエネルギーをもらいつつ、学生時代をとうに終えた私も、できる範囲でパンフレットの制作や販売を手伝った。ちなみに、一冊10元のパンフレットの売り上げは、大学を通じ、汶川地震の被災地区へと寄付された。
映画交流会では、「地域」、「環境」、「家庭」、「芸術」、「老年」、「歴史」をテーマに、6つのドキュメンタリー作品『ヨコハマメリー』『六ヶ所村ラプソディー』『チーズとうじ虫』『NARA:奈良美智との旅の記録』『タイマグラばあちゃん』『ひめゆり』を放映。いずれも国内外で受賞を重ねたり、日本国内で大きな話題を呼んだりした、粒ぞろいの作品だ。だが何といっても、ストーリーがあって人気スターが登場するような劇映画ではない。平日の昼からの上映だったこともあって、開催前は、700人収容できる会場の座席をどれだけ埋められるか、がスタッフたちの悩みの種だった。
だが、蓋を開けてみると、いずれの作品についても、座席は8割以上をキープ。上映ごとに配ったアンケートの回答も肯定的なものが多数を占めた。しかもその多くが、ぜひまた開催して欲しい、と希望するもので、中には高校生による「授業を休んで観に来た」とのコメントも。北京でいかに日本の生の情報に対する需要が高いかが分かると同時に、今回のイベント開催の意義をひしひしと感じさせられたのだった。
ところで、今回の上映作品には、内容が敏感なものも含まれていた。その一つが、『六ヶ所村ラプソディー』。クリーン・エネルギーと銘打たれた日本の核エネルギー政策、その延長としてのプルトニウムの再処理工場の建設・稼動に疑問符を投げかけた作品で、青森県六ヶ所村での再処理工場の建設をめぐる市民の反対運動や、賛成派の複雑な事情、核エネルギー開発を擁護、あるいは批判する学者の声などを丁寧に追っている。決して答えを押し付ける性質の映画ではないが、こういった、いわば「国策」への批判的内容を少なからず含む作品を、同じく核開発を国策として行っている中国、しかもその政府のお膝元である北京で無事放映できたことに、私は少なからぬ驚きを覚えた。
ちなみに北京では、敏感な内容を含む作品でも、大々的な宣伝を行わず、アングラ的に上映されるのであれば、あまり問題にされない。しかし、今回の映画祭は、著名大学がバックアップし、国際交流基金や日本の著名企業も援助を行っているものだ。
この作品の上映に際し、中国のマス・メディアからの取材が皆無だったことは、大変残念だった。監督の鎌仲ひとみ氏も同様の失望を覚えたようだ。だが私は、数年前に環境関係の記者サロンに参加した時のことを思い出さざるを得なかった。それは中国の良心的な環境記者たちの集まりだったが、そのサロンで環境破壊をめぐる報告が行われるたびに問題となったのは、「それをどう報道するか」だった。発表内容によっては、外国人の私は席を外すよう言われることもあった。そんな彼らの「事実は知ることができても、発表はできない」という無念のため息は、今でも私の耳から離れない。
実は現在の北京は、メディアや各種の作品に対する検閲がかなり厳しい時期に入っている。映画・ドラマにせよ、展覧会にせよ、ウェブ・サイトにせよ、いろいろな面に容赦ない規制の手が伸びている。
そんな中、今回、深刻な環境破壊やそれに立ち向かう市民運動を扱った作品が多数の観客に向けて放映されたことは、むしろ貴重な前進といえるのではないだろうか。そういった印象を私は受けたのだった。
一方、もう一つの敏感な話題といえば、やはり戦争だ。上映作品の内、『ひめゆり』は、沖縄戦で犠牲になったひめゆり部隊の生き残りの方々の証言を集めたものだった。その放映の後の質疑応答では、観客の間に、日本の侵略戦争の被害の大きさやその責任について自らの見解を述べ始める人、日米の軍人へのインタビューを入れてはどうか、などと提案する人などがみられた。
実はこの『ひめゆり』という作品は、直接戦争を描いたものではない。むしろ、当時は普通の少女にすぎなかった女性たちの数々の証言の後ろに、残酷な戦争の姿、そして彼女たちが生きた半世紀を越える年月が浮かびあがるしかけとなっている。
私の狭い知識で恐縮だが、中国では戦争を描いた映画の検閲の壁はまだまだ厚いようだ。ここ数年の抗日映画には、日本軍人をきちんと日本人俳優が演じ、時には人間的にさえ描く、などの変化が出てきたとはいえ、まだまだその描写の角度にはバラエティがあるとはいえない。劇映画とドキュメンタリーを一まとめに論じるのは乱暴かもしれないが、そんななか、淡々と伝えられる「一人一人の当事者の真実」が心を打つ、『ひめゆり』のような作品が公開されたことは、私には実に貴重に感じられた。
今回の映画祭の大きな特徴として、一部の評論家が指摘したのは、若い監督が、若い世代の目で戦争、及び戦後を捉えた作品が目立ったこと。これには、先ほどの『ひめゆり』や、中村高寛監督の『ヨコハマメリー』が含まれる。『ヨコハマメリー』は、米軍の占領時代以来、横浜という街の象徴ともなった伝説的な娼婦、メリーさんの実像に迫った作品だ。横浜という街の記憶を巧みに捉えていて興味深い。
驚くべきことに、『ヨコハマメリー』と『ひめゆり』の監督は、いずれも北京の電影学院での留学経験があるという。北京での経験が新しい世代の映画人らにエネルギーと刺激を与え、その結果、新しい感性で日本の戦後を見つめ直した作品が生み出されたということに、強い感銘を覚えた。
▲開幕式の風景。右から雑誌の編集者で映画評論家の王衆一氏、賈樟柯(ジャ・ジャンクー)監督、北京電影学院教授の司徒兆敦氏、坂部康二監督、鎌仲ひとみ監督、中村高寛監督
ところで、今回放映された6作品の監督の内、4人が交流会で自らの作品について語った。各作品の上映後にはディスカッションや質疑応答の時間もたっぷり設けられていたため、映画監督の賈樟柯(ジャ・ジャンクー)氏や映画評論家の戴錦華氏、北京電影学院教授の司徒兆敦氏など、中国映画界の著名人らが上映作品をどう見たか、そして一部の観客の率直な反応などについて、生で知ることができた。
貴重だったのは、映画そのものが北京の社会背景やその下にある観客との間で化学反応を起こしているところを、直接体感できたことだ。例えば、過疎化した山麓地帯で自然と一体化した暮らしを営む「タイマグラばあちゃん」の物語は、速度とプレッシャーを増す北京の都市生活と対極にあるため、むしろ北京の「今」を強く意識させた。また、日本の著名芸術家、奈良美智氏が描く孤独な少女の世界は、一部の一人っ子世代の若者たちの心を強く捉えたようだった。そういった印象は、評論家や観客の方々の興奮気味の声とともに、強く筆者の脳裏に焼き付けられたのだった。
映画は国境を越えても実にインタラクティブたり得ることを、再認識させられた今回のイベント。実現に大変な労力がかかることはスタッフの一員としてしみじみ分かったが、ぜひまた開催されて欲しいものである。