シベリア・イルクーツク生活日記

第08回

文化をめぐる差──縮まるものと変わらないもの

イルクーツクのとある音楽ファンが20年かけて集めたという海賊版CDのコレクションの一部イルクーツクのとある音楽ファンが20年かけて集めたという海賊版CDのコレクションの一部

世界の潮流への接近

 2020年のロシアで、一見、地味な変化に見えて、じつは無視できない変化だっただろうと思うことがある。それは、長らく延期に延期を重ねた結果、音楽ストリーミングサービスである Spotify がロシアでのサービスを開始したこと、そしてかのネット・フリックスが新たにロシア向けのプランを設定し、安い料金設定とロシア向けに特化したコンテンツを携えて、サービスの提供を始めたことだ。

 もちろん、Spotify 以前にも、ロシアの Yandex や VK が提供するサービスや、Apple Music を通じて、人々はいろいろな音楽に触れることができたし、YouTube の提供する月額制の有料サービスである YouTube Premium が2018年から日本と同時にロシアでもサービスを提供している。Spotify の登場は、消費者が世界の音楽に触れるための選択肢がさらに広がるとともに、YouTube に輪をかけたレコメンド機能の充実によって、ロシアのミュージシャンが世界中で認知されやすくなることを意味するだろう、といわれている。

 筆者が日本に暮らしていた90年代、ロシアの今の音楽を聴こうと思っても、日本に住むロシア人の留学生に紹介してもらうか、東京などにしかないロシアからの輸入品を扱う店舗で、試聴もできぬまま試しに買ってみるしかなかった。その頃と比べると条件は雲泥の差で、つくづく今の音楽ファンがうらやましい。

海賊版天国の終焉?

 かつてのロシアは、中国と同じく海賊版天国だった。例えば、2013年くらいまでは、海賊版のCDやDVDの販売はけっこういい商売だったようで、音楽好きや映画好きにとっては、最新の音楽や映画に触れられる貴重な情報源でもあった。当時を知るロシア人によると、海賊版のほとんどは中国から入ってきたため、中国から地理的に近いイルクーツクの方がモスクワやペテルブルグより海賊版製品の量も種類も豊富だった。そこで、首都圏から旅行でイルクーツクを訪れた人なども、海賊版を買いあさったという。イギリスの著名ミュージシャンがイルクーツクを訪れた際、自分の出した幾つものCDが一枚の海賊版CDにコンパクトに収められて売られているのを見て、呆れると同時に感心もしたというエピソードを耳にしたことがある。

イルクーツクのとある音楽ファンが20年かけて集めたという海賊版CDのコレクションの一部イルクーツクのとある音楽ファンが20年かけて集めたという海賊版CDのコレクションの一部

 海賊版の種類が豊富でその人気も高かったことは、その海賊版の供給源でもあった中国での状況を想起させる。中国との差は、ロシアの場合、値段こそかなり高かったものの、正規版もそれなりに流通していたらしいことで、大都市に住んでいれば、コンサートで海外のミュージシャンの音楽にライブで触れることも可能だった。ただ、有料サービスが普及し始めた今も、インターネット上には海賊版コンテンツがまだまだたくさんあり、ダウンロードもできる。コロナ禍に伴うストリーミングサービスの普及とともに、国内の有料サービスも攻勢に出ているのか、急にアクセスできなくなる無料サイトもあるが、人々の間に依然として海賊版を利用することに対する心理的抵抗がほとんどないように見えるのは中国と同じだ。

異なる時間の流れ

 だが、こういった文化をめぐる情報の問題は、地域差の大きさにも注目せねばならない。ロシアでは、携帯電話の電波が届かない農村地帯でも、各家庭でWiFiを利用することで、インターネットを通じた通話はできるという情況がよく見られる。だが、たとえインターネットが使えても、人々がアクセスする情報の質や量には大きな差がある。

 先日、ある農村を訪れてショックだったのは、現地のさまざまな年齢層の子供たちが皆知っていて口ずさむこともできる人気のポップソングが、イルクーツクから来た私にとってはまったく聴いたこともない歌だったことだ。それでも若い世代とはまだ音楽に関して共通の話題があったが、中高年世代の大人に関しては、好まれている歌、知っている歌が、いわゆる懐メロも含め、かなり違っていた。

農村のとある家庭の居間。テレビやPCなど、設備面では都市部とほとんど変わらない。上には家族の写真やイコンが飾られている。農村のとある家庭の居間。テレビやPCなど、設備面では都市部とほとんど変わらない。上には家族の写真やイコンが飾られている。

 趣味や世代の差を考慮に入れたとしても、その差は明らかで、都市部で人気が高く、よくレストランなどでも流れている新旧の欧米の音楽などについても、農村では同世代の人から「まったく知らない」、「良さが分からない」といった反応が返ってきたりする。そのギャップには、一緒に訪れた同年代のロシア人も驚きを覚えたほどで、都市部と農村部がいかに長らく異なる文化的環境にあり、今もあるかが、ひしひしと感じられた。ラジオやテレビが限られた数のチャンネルを通じて一斉に同じ番組を流したソ連時代とは違い、今はチャンネル数が多く、インターネットに至っては、さらに個々人の趣味や興味に合わせて情報が集まってくる傾向がある。そうなると、このギャップは、これからも簡単には埋まらないのかもしれない。

 その反面、ソ連時代の映画は今も世代を超えて愛され、しばしばテレビで繰り返し流されている。中には、一年に何回も目にする映画もある。人気の理由は、映画のクオリティの高さもさることながら、ソ連映画以外に、世代や地域を越えて共有でき、ジョークのネタにさえ使える文化的財産はあまりないからなのではないだろうか。

イルクーツク郊外でよくみられる一般的な農家。パラボラアンテナもよく見かける。イルクーツク郊外でよくみられる一般的な農家。パラボラアンテナもよく見かける。
かつては農家が並んでいたといわれる一帯。過疎化が進む農村地帯では、携帯電話もWiFi環境のある場所でしか使用できないことが多い。かつては農家が並んでいたといわれる一帯。
過疎化が進む農村地帯では、携帯電話もWiFi環境のある場所でしか使用できないことが多い。

 ちなみに、こういった情報にアクセスする際の手段や質量の差は、文化だけでなく、政治的な嗜好の差にもつながっているようだ。情報を得る時、テレビに頼るかインターネットに頼るかで、政治的な傾向にも差が生じやすいのはどこでも同じだろうが、ロシアではそれがよりはっきりと感じられる。この差は今後どうなっていくのか。対話が進んで両者の相互理解が進み、距離が縮まるのならいいが、インターネット空間の縮小という形で差が縮小する、という結果にならぬのを祈らずにはいられない。

コラムニスト
多田 麻美
フリーのライター、翻訳者。1973年静岡県出身。京都大学で中国文学を専攻後、北京外国語大学のロシア語学科に留学。16年半の北京生活を経て、2018年よりロシアのイルクーツクへ。中国やロシアの文化・芸術関係の記事やラジオでのレポートなどを手がける。著書に『老北京の胡同』(晶文社)、『映画と歩む、新世紀の中国』(晶文社)、『中国 古鎮をめぐり、老街をあるく』(亜紀書房)、訳著に王軍著『北京再造』(集広舎)、劉一達著、『乾隆帝の幻玉』(中央公論新社刊)など。共著には『北京探訪』(愛育社)、『北京を知るための52章』(明石書店)など。
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