シベリア・イルクーツク生活日記

第10回

新型コロナ対策をめぐって

レオニード・ガイダイ監督の有名なコメディ映画『コーカサスの女虜』の一幕をパロディ化し、ワクチン接種の奨励に活用。最後に映る文字は「全ロシアのワクチン接種」レオニード・ガイダイ監督の有名なコメディ映画『コーカサスの女虜』の一幕をパロディ化し、ワクチン接種の奨励に活用。
最後に映る文字は「全ロシアのワクチン接種」

感染対策をめぐる変化

市民のために感染歴の有無をチェックする部門市民のために感染歴の有無をチェックする部門

 イルクーツクで最初のコロナ感染者が発見された時、じつは筆者や筆者の友人たちの間では、その問題はあまり他人事ではなかった。発見された最初の2人の感染者は、筆者の友人の同僚だったからだ。ウイルスは海外から持ち帰られたとされ、当時、同じ職場で働いていた者は、みな一か月の自宅隔離を命じられたという。違反すると解雇されるということで、私の友人もひどく注意深くなっていたことを覚えている。
 だがその一方で、最初の一時期を除き、街で出会う人々はけっこうマイペースに見えた。ソーシャルディスタンスの維持もマスクの着用も、正直なところ、つねに徹底されていたとはいえない。
 状況が変わったのは去年の秋から冬にかけてだ。感染者の増加によって、マスクの着用などが頻繁に呼びかけられるようになり、商店や公共の機関や交通手段などは基本的にマスクを着けていないと利用できなくなった。もっとも、それも今はだいぶ緩んできており、チェックの厳しい時以外は、マスクなしであってもみな見て見ぬふりをしている。
 すでに感染し、免疫を得た多くの人々の間で、「二度目の感染はないはず」という不確かな情報が広まったことも原因の一つと言えるだろう。

飲酒の不可がハードルに

 この変化にはもちろん、「ワクチンの接種が始まった」ということも関係しているはずだ。ロシアで国産ワクチン「スプートニクV」の接種が始まったのは、昨年の12月だった。これを受けて、イルクーツクでも医療関係者、教育関係者、サービス業従事者などを優先に、ワクチンの接種が始まった。
 だが、開発競争に対する意欲が最初から満々であったことが感じられるネーミングの「スプートニクV」は、その有効性の高さを我がごとのように誇るロシア人が多い一方で、あまりにスピーディな製品化から、副反応を恐れる声も強く、一般的に接種が不可欠と思われる職種の人々の間でさえ、接種を拒否する人が多かった。
 ワクチンそのものに対する懐疑を別にすれば、接種者がなかなか増えなかった最大の理由と思われるのは、「ワクチンを接種したら1か月は飲酒できない」という噂だ。この噂が流れたのが、年末年始の祝祭日が多い時期であったため、「飲酒できない年末年始など考えられない」と感じた人々が接種に二の足を踏んだ。その後もしばらくの間、未接種者には離職を促すような半強制的な接種を除いては、接種に応じた者は少なく、病院の接種コーナーはガラガラだったという。

国際派の間で人気上昇

国営テレビのCM。政治討論番組の有名な司会者が「COVID-19のワクチンは誰でも接種可能」と呼び掛けている国営テレビのCM。政治討論番組の有名な司会者が「COVID-19のワクチンは誰でも接種可能」と呼び掛けている

 そんなこんなで、今年3月1日時点に至っても、国民の3分の2にあたる人々が、スプートニクVの接種を受けたくないと回答しているという統計まであったが、ラジオやテレビや街頭広告などでの頻繁な呼びかけなどが功を奏したのか、ここ一か月ほどは、一般の人々、とくに海外への出張や旅行を予定している人々の間で、ワクチンを接種しようという人が増えつつあるようだ。
 ワクチン接種者には証明書が授与され、その証明書さえあればイスラエルを始めとするいくつかの国との行き来の際に面倒な新型コロナ検査が免除される上、検査フリーの対象国はこれからも増えるだろうという見通しが、長らく海外への出張や旅行を諦めざるを得なかった人々に希望を与えるようになった。

同じくテレビCM 同じく著名キャスターが「お大事に。ワクチン接種をしてください」と呼び掛けている同じくテレビCM 同じく著名キャスターが「お大事に。ワクチン接種をしてください」と呼び掛けている

 実際に接種者が増え始めると、接種後の注意点に関する正しい情報、つまり「接種後の副反応については、あまり心配する必要はない」、「飲酒を避けるべきなのは接種後3日間だけ」などといった知識も広まった。とくに後者は、多くの飲酒愛好者の接種のハードルを大幅に下げた。
 ちなみに、それ以前に根強い人気があったのは、いわゆる民間療法だ。筆者が耳にしたのは、「タイガーバームを鼻の中に塗る」「ウォッカを飲んで体内を消毒する」「ショウガやニンニクを食べる」などで、なかには医学的根拠があるらしきものもあったが、「ウォッカ消毒説」については、むしろ平時の飲酒量を増やすという悪影響も生んでいるように思われた。

国籍を問わず無料

 筆者が「スプートニクV」を接種したのは、最初の接種ブームがやや収まり、接種を待つ人の列も短くなった3月末だ。「手続きは簡単で、すぐに済む」とは聞いていたが、現場の管理がやや疎かだったため、「どこそこで問診後に注射を打つ」などといった接種の手順の熟知や必要書類の記入などに、いくらか無駄な時間を取られてしまった。また、接種に関する注意書きなどは配られず、接種前後に気を付けるべきことなどに関する長々とした説明を医師が一人一人の接種者に何度も繰り返さねばならなかったため、現場で働いている医師たちはうんざりしている様子だった。それでも幸い、医師の対応は機械的というほどではなく、質問などはできる雰囲気で、20日後に行われる2度目の接種に関する注意事項なども詳しく聞くことができた。
 何より特筆に値するのは、ワクチンの接種がイルクーツク市民に対して基本的には無料で行われていることだ。現在はワクチンの数の不足により、有料の接種も増えているとは聞くが、少なくとも私が行った市中心部の病院では、パスポートを見せるだけで外国人でも無料で接種することができた。

デジタルなアフタケア

Gosuslugiが送ってきたメール。リンクをクリックするとアンケート欄があるGosuslugiが送ってきたメール。リンクをクリックするとアンケート欄がある

 ロシアには、市民向けの公共サービスを一括して補助するGosuslugiと名づけられたポータルサイトがあり、パスポートやインビテーションの発行から運転免許証の申請、罰金や税金の支払いなどに至るまで、さまざまなサービスを提供している。そして、このサイトに登録してあれば、接種後1、2、3、7、14、21、22、23、28、42日目に、電子メールで記入すべき日誌がアンケートの形で送られてくる。
 何か副反応などがあった場合は、このアンケートに記入できるようになっており、質問の項目は、副反応の有無、副反応が出た日、心血管の障害や視覚器官の症状、およびその他の症状の有無、接種後に他の病気にかかったかどうか、接種後のCOVID-19感染者との接触の有無、接種後に他の都市や国に旅行したかどうか、接種後、自分でCOVID-19の検査を受けたか否か、などだ。
 記入は任意性が高いうえ、PCやスマホを持たない高齢者などはどうするのか、という疑問はあるものの、副反応があった場合にすぐに政府機関に報告できるというのは心強い。

結局は権利の問題

 ここからは北京の友人から聞いた話が中心となるが、北京在住の外国人も事前に登録をしておけば中国製のワクチン接種が可能だという。ただ対象は18歳以上に限定され、接種できる場所も一部の病院に限られるそうだ。また、中国籍であれば無料だが、外国籍であれば一部の例外を除いて有料だ。接種後の副反応への対処は自己責任となるが、これはロシアでも同じだ。
 そもそも、ワクチンは接種者自身だけでなく、自分の周りの人々の健康も守るためのものであるため、国籍によって接種の条件に差を設けるべきではないというのが筆者の考えだが、中国でのワクチン接種の「奨励」は、実際はほぼ「強制的」であることが問題ともなっているようなので、外国人と自国民の権利意識の差などを考えると、現実的にはすべてを平等に、というのはなかなか難しいのだろう。
 公共サービスの質や正確な情報の大切さ、そしてワクチン接種に対する理解や意識など、今回のコロナ対策を機に熟考すべき問題はいくつもあるが、なかでもワクチン接種をめぐる問題は、つきつめると社会に対する義務や貢献、そして人権の問題でもあることが、改めて印象に残った。

コラムニスト
多田 麻美
多田 麻美
フリーのライター、翻訳者。1973年静岡県出身。京都大学で中国文学を専攻後、北京外国語大学のロシア語学科に留学。16年半の北京生活を経て、2018年よりロシアのイルクーツクへ。中国やロシアの文化・芸術関係の記事やラジオでのレポートなどを手がける。著書に『老北京の胡同』(晶文社)、『映画と歩む、新世紀の中国』(晶文社)、『中国 古鎮をめぐり、老街をあるく』(亜紀書房)、訳著に王軍著『北京再造』(集広舎)、劉一達著、『乾隆帝の幻玉』(中央公論新社刊)など。共著には『北京探訪』(愛育社)、『北京を知るための52章』(明石書店)など。
関連記事