アジアから見る日中

第12回

成長するのは歯止めのない国

ミャンマー お寺が歯止め

▲ミャンマー お寺が歯止め

 先日大学生から「なぜ中国はここ30年であんなに経済成長で来たのでしょうか?」という質問を受けた。そんなの一言で説明できるわけないよ、と思いながら、口を突いて出たのが、「改革開放期の中国には歯止めがなかったら」という答えだった。鄧小平はそれまで社会主義体制、そして文化大革命で押さえつけられてきた中国人民を解放した、いや野に放ったとも言われている。その効果は恐るべき威力を発揮し、僅か30年で日本のGDPを越えてしまった。

 では歯止めとは何だろうか。中東が潤沢なオイルマネーで世界を席巻したといっても、イスラム教の教えには「一定以上儲けてはいけない」というのがあると聞く。キリスト教だって、人を押しのけて、自らの儲けを優先する社会を奨励してはいないだろう。アジアの仏教を見ても、本来は「分相応」という感覚があり、ミャンマー辺りでは、儲けたお金をお布施として寺に回し、寺がその資金を施す、という仕組みがある。

インド ダージリンの古い教会

▲インド ダージリンの古い教会

 実際に筆者が訪れたヤンゴンの寺院には、「土地成金」「政府絡みの資金で儲けた長者」「儲けた資金をミャンマーに持ち帰った海外帰り」などが、住職の下に集まっており、皆が自分の儲けの中から、多額の寄付をしていた。寺はその潤沢な資金を使い、月1回、10万人の貧しい人々に施しをしている。そしてその奉仕活動には数百人の信者が無償で参加、寺はバスを連ねて、村々を訪れているらしい。何ともスケールが大きい話に驚いた。

 何故皆が寄付をするのか、それは「来世を考えているから」と集約できるようだ。いくら今世で成功し、巨万の富を築いても、自らの来世は、自らが積む徳によって決まる。どんな手を使っても偉くなる、金を儲けるという考え方では、来世が危ういのである。このような歯止めこそが実に大きいと言わざるを得ない。実際に名を成した人物が、ある時を境に一切を捨てて、寺に籠る、などと言う話も聞いている。自らの来世を考え、最終的には解脱を目指す、という人間の目標、現在の我々には無い物だ。

 そう考えると中国には実質的に宗教が存在しない。これは社会主義の特徴である上に、文化大革命の後遺症で道徳的な概念も欠如してしまったように見える。筆者の大学時代の中国人の先生によれば、「北京でも1950年代までは古き良き、伝統的な精神が残っていたが、文革で全てが吹き飛んでしまい、今の北京はまるで自分の故郷とは思えないほど変貌している」という。敬老などの儒教精神が息づいていたのは60年代初頭まで、ということだろう。

ソウルのお茶屋さんもチベット仏教と

◀ソウルのお茶屋さんもチベット仏教と

 そして「白い猫でも黒い猫で鼠を取るのが良い猫」とばかり、金儲けの嵐が吹き荒れ、世界が一変した。最近中国に行くと「和諧、愛国、誠信」などのスローガンが街に張り出されている。スローガンとは「出来ていないことを書き出して、出来るようにする」ものであるから、中国政府も中国人の足りないところを十分に理解していると思われるが、そのスローガンを作る役人自体にも大いに問題があり、止めることができていない。

 実は日本のバブル期も皆がおかしくなり、有頂天になってしまい、崩壊を招いた。そこにも歯止めというものが感じられなかった。「儲けた者がエライ」という社会には限界がある、とバブルが崩壊したあの時悟ったはずである。あるインド人の日本研究者は「日本には真の宗教がない。もし宗教心を持っていたら、あそこまで酷いバブルは起こらなかっただろう」と指摘していたのを鮮やかに思い出す。だが今の日本はどうだろうか。

上海 古い家並みはどんどん開発されて無くなっていく

◀上海 古い家並みはどんどん開発されて無くなっていく

 筆者は門外漢だが、アメリカでも週末に教会に行く人はかなり少なくなっていると聞く。そう考えていくと、世界の経済成長率1位、2位、3位の国には「宗教という歯止めがない」、言い換えれば「歯止めがないので、急速な経済成長が可能であった」ということになるのではないのだろうか。勿論宗教だけの問題ではないが、この考え方を色々な人に話してみたが、あながち間違っていないように思える。

 その中国では以前から農村地区を中心に「地下教会」と呼ばれるキリスト教の活動が活発になっているという。聞いた話では、その勢いはどんどん増しており、一説には1億人に近い信者がいるのではとも言われている。貧富の差がこれだけ開き、病気になっても救われない人々が多ければ、そこに宗教が介在する余地は大きい。いや、宗教というより、信者拡大の好機と捉えることができる。

シンセン 巨大ショッピングモール

▲シンセン 巨大ショッピングモール

 インド東北部の貧しい村に行った時にも、「最近キリスト教に改宗する家が増えている」との話を聞いた。教会が子供たちの教育必要を負担する、無料で英語を教える、学校に通わせる、留学の機会を与えるなど、村人のニーズに合った支援を餌に改宗を迫っていた。一方インドで一度滅んだ仏教も「貧民救済」を軸に復活しており、信者の数も1億人は存在する、と言ったインド人もいた。今社会の底辺はどこの国でも揺れている。

 中国国内では厳しい弾圧があると言われているチベット仏教は、台湾や香港などにその信者が急増しており、ダライラマがいるインドのダラムサラには多くの台湾人が詣でている。筆者の25年来の友人である台湾人も近年、チベット仏教に入信し、実に熱心に勉強している。「心の安定が重要」という彼、その背景には中国大陸から来る圧力への恐怖、対抗措置としての意味合いがある、という側面で見てしまうのは間違いだろうか。

 既に限界に近づいた見える資本主義にも一定の歯止め、があれば、今後の世界は違ってくるのだろうが、心の安定より成長重視のこの宗教? さて、どうなっていくのだろうか。

コラムニスト
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須賀努
1961年東京生まれ。東京外国語大学中国語学科卒。金融機関在職中に、上海語学留学1年、台湾地場金融機関への出向2年。香港駐在合計9年、北京駐在合計5年では合弁会社日本側代表。合計17年の駐在経験を有し、日経BP社主催『中国ビジネス基礎講座』でトータルコーディネーター兼講師を務める他、進出企業向けアドバイスを行う。日本及びアジア各地で『アジア最新情勢』に関する講演活動も行っている。 現在はアジア各地をほっつき歩いて見聞を広めるほか、亜細亜大学嘱託研究員、香港大学名誉導師にも任ぜられ、日本国内及びアジア各地の大学で学生向け講演活動も行っている。 時事通信社「金融財政ビジネス」、NHK「テレビで中国語テキストコラム」など中国を中心に東南アジアを広くカバーした独自の執筆活動にも取り組む。尚お茶をキーワードにした旅、「茶旅」を敢行し、その国、地域の経済・社会・文化・歴史などを独特の視点で読み解き、ビジネスへのヒントとしている。
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