アジアから見る日中

第08回

バングラデシュに見るイスラム

第2の都市チッタゴンの喧騒

▲第2の都市チッタゴンの喧騒

 少し前の話になるが、バングラデシュに行ったことがある。偶然にも日本の大学生がバングラデシュの仏教徒の家にホームステイするプログラムに紛れ込んだのである。バングラデシュは90%以上がイスラム教徒の国、そこに仏教徒がいることなど想像していなかったが、また彼らの置かれている立場も実に微妙であった。

 バングラデシュ第3の都市コックスバザールは、ミャンマー国境に近い、世界一長い天然のビーチを持つ街としても知られている。ただビーチに行っても泳いでいる人は見かけない。海に入っているのは子供たち。女性たちは暑い中でもしっかりとベールを被り、顔まで隠している。そして日傘をさして海を眺めている。日本の女子大生などは、その出で立ちだけで好奇の的となり、写真撮影会でも始まったようなモテぶりである。

 そんな街の中に、ひっそりと仏教徒の家はあった。寺もある。その境内で子供たちが元気に遊んでいたのだが、聞いてみると殆どがイスラム教徒の子であった。「バングラデシュは毎年洪水に悩まされ、その度に難民が出る。寺にやって来た難民を哀れに思い、受け入れると彼らは許可なく、掘立小屋を建ててしまう。それも致し方のないことと受け入れていると、それを伝え聞いた難民が押し寄せ、あっという間に敷地に住み着いてしまう」と如何ともし難い状況を寺では嘆いていた。

 僅か北海道2つ分の土地に、日本より多い1.5億人の人口を抱えるこの国は、世界一人口密度が高いことでも知られている。街の映画館前などは筆者の子供の頃に微かに記憶のある「黒山の人だかり」、という光景が再現されており、本当に人が多いことを実感する。イスラムの世界では「人口を抑制する」という概念は乏しく、全てはアラーの神の思し召しだから、政府がいくら規制しようとしても人はどんどん増えていく。

落書きされているパゴダ

◀落書きされているパゴダ

 ある日、寺の近くの小高い丘の上にあるパゴダ(仏塔)を訪れて、驚いた。何と周囲はゴミだらけ、パゴダ内は落書き三昧であった。これはヒドイ、と思わず声を上げるほどの惨状で、俄か仏教徒?である日本人の我々でもゴミ拾いなどをせずにはいられない心境になる。これも全て境内を占拠している人々の子供がやっているらしい。勿論子供たちに悪気はない。他宗教について、それを敬うという概念がない。

 寺で聞いた話では「他のパゴダが先日倒れてしまった。難民が押し寄せ、丘の下の土地をどんどん削って小屋を建てた結果、丘自体が崩れてしまったのだ」と言う。これはもう、犯罪の域ではないのか、人の善意を無にする行為と言わざるを得ない。それでも寺は「政府に訴えても埒は開かない。難民問題を抱える政府はマイノリティである我々の言うことには取り合わない」と完全に諦めている。

世界一長い自然のビーチ

▲世界一長い自然のビーチ

 タイで仏教の高僧にこの話をしたところ、「仏教には相手を攻撃する」という教えはない、という。ではどうすればよいのかと聞くと「対処する方法を持ち合わせていない」ときっぱり言われてしまった。目には目を、などという教えなど全くないのである。

ミャンマー国境の難民キャンプで

◀ミャンマー国境の難民キャンプで

 コックスバザールから更に南へ2時間ほど行くと、ミャンマーとの国境に着く。その近くに、沢山の小屋が建っている場所があった。行ってみると、難民キャンプである。「ミャンマーで迫害されて逃れてきた」というイスラム教徒が5000人も暮らしていた。そんな所に大学生を連れて行って大丈夫なのか、との声も聞こえてきそうだが、現実は大いに歓迎された。最初は相手も我々を警戒していたが、まずは子供たちが寄って来て一緒に遊び始め、それから皆で交流が始まった。

 皆大変な生活を強いられているのに、笑顔があった。ミャンマー側では「イスラム教徒による暴力、悪行に耐えられず、仕方なく追い出した」という話を聞いていた。だが目の前にいる人々はとても凶悪犯罪を犯すようには見えなかった。本当に可愛そうな人たち、という印象しか持てなかった。

 これまで日本では宗教になど全く関心のなかった大学生たちも、この現状を見て、悩み始めた。「宗教とは一体何だろうか?」「どうして宗教間で対立が起こるのだろうか?」「イスラム教とはどんな宗教なんだ?」「そもそも仏教すら分かっていなかった」、本来は子供の頃に悩むべき課題に直面した。日本の教育システムは「宗教を排除」しているとしか思えない。「グローバル人材の育成」などと持て囃しているが、もっと宗教について勉強する機会を持たないと、世界に出た若者は戸惑ってしまうだろう。そして宗教を持っている他国の人々と上手くやって行くことは難しい、と言わざるを得ない。

 現在世界の人口は増え続け、70億人を突破したと報じられている。日本や欧米諸国が少子化で頭を痛めているのに、一体誰が増えているのか。それはアジアで言えば、インドネシアしかり、マレーシアしかり、そして中国を抜いて世界一になると言われているインドでさえ、イスラム教徒が増えているのである。既に世界の4人に1人はイスラム教徒との話もある。

 日本と中国、他のアジアで聞かれるのにこの2カ国を歩いていて聞かれないのは「宗教」である。人をもてなす場合もまずは宗教を聞き、それに合わせた振る舞い、食事の提供を行うのは常識だ。先日もベトナムで観光ツアーに参加したが、インド人が乗ってきた瞬間、ガイドが食事について細かく聞いていた。

 日本では対日観光客誘致の一環として「ハラール食品」が注目されているが、付け焼刃的な対応ではなく、根本的にイスラム教とは何か、イスラム教徒はどんな人たちか、十分に理解した上で対応することが望ましい。それが今後の世界を左右していくと思われる人々への理解の第一歩となるから。

運動会で二人三脚

▲運動会で二人三脚

コラムニスト
須賀努
1961年東京生まれ。東京外国語大学中国語学科卒。金融機関在職中に、上海語学留学1年、台湾地場金融機関への出向2年。香港駐在合計9年、北京駐在合計5年では合弁会社日本側代表。合計17年の駐在経験を有し、日経BP社主催『中国ビジネス基礎講座』でトータルコーディネーター兼講師を務める他、進出企業向けアドバイスを行う。日本及びアジア各地で『アジア最新情勢』に関する講演活動も行っている。 現在はアジア各地をほっつき歩いて見聞を広めるほか、亜細亜大学嘱託研究員、香港大学名誉導師にも任ぜられ、日本国内及びアジア各地の大学で学生向け講演活動も行っている。 時事通信社「金融財政ビジネス」、NHK「テレビで中国語テキストコラム」など中国を中心に東南アジアを広くカバーした独自の執筆活動にも取り組む。尚お茶をキーワードにした旅、「茶旅」を敢行し、その国、地域の経済・社会・文化・歴史などを独特の視点で読み解き、ビジネスへのヒントとしている。
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