アジアから見る日中

第14回

一定以上働かない社会を認めよう

タイ北部 旧正月前に餅つきをする山岳民族

▲タイ北部 旧正月前に餅つきをする山岳民族

 東南アジアを歩いていると、よくハンモックや長椅子で昼寝をしている人を見かける。タイでもカンボジアでも、暑い昼下がりなどは道路脇でも市場でも、もちろん自宅でも、皆、こぞって寝入っている。それはそうだ。こんなに暑い中、動き回るほうが体に悪いし、第一効率も上がらない。それなら一層、寝てしまい、夜また活動すればよい、そんな雰囲気を強く感じる。

 ところが日本人ビジネスマンがこのような国に視察に訪れると「なんと怠惰な人々だ」と感じるらしい。かく言う筆者もサラリーマン時代は、かなりの羨望も込めて、「何で働かないんだ」「動作があまりにもスロー」などと思ったことは一度や二度ではない。動かない、動作がスロー、日本の企業文化が好まない習慣であろう。

カンボジア 夕方暗くなる前に帰宅し、夕飯と水浴び

◀カンボジア 夕方暗くなる前に帰宅し、夕飯と水浴び

 前回中国の昔話を書いたところ、「昔の中国がどんなところだったか、もっと知りたい」など、有難いお問い合わせを数件頂いた。中には「あなたの30年前の話をもっと聞きたい」という実に有難いお声も聞いた。折角なので、昔の中国の話をしたい。1990年代半ば頃、時々中国の広東省に足を運んでいた。大手国有銀行の支店にアポイントを取ろうとすると必ず「午後は2時半に来てください」と言われたものだ。どうしてもその日の都合で強引に1時半に約束を取り付けて行ったところ、その大きなビルには守衛さん1人を残して誰もいなかった。面談予定の人がトボトボと歩いてきたのにホッとした思い出がある。

 全員が帰宅し、家でランチを取っていたのだ。門のところには「午前8時〜11時半、午後2時半〜6時」と営業時間が明記されていた。日本の銀行では考えられない光景に目を疑った。確かに35度を超える灼熱地獄の中、通りを歩いている人もいない。お客さんもいないだろう。このようなローカルルール、地域の実情に合わせた規定は、それなりの意味を持っていたと思う。日本から出張してきた私はそんな暑い中、スーツを着ていたのだから、今考えてみれば、さぞや間抜けに見えたことだろう。25年前、台湾の銀行に出向していた時も、ランチは12〜14時であり、オフィスは電気が消され、皆が机に突っ伏して寝ていた。これは本店だったからだろうか。

ベトナム 道路脇で昼寝

▲ベトナム 道路脇で昼寝

 それがWTOに加盟した後、2000年代に中国の銀行サービスは激変した。土日営業当たり前、夕方も日本の銀行が3時に閉まるというのに、場所によっては夜まで営業している店舗がある。15年前は殆ど使えなかったATM、いつの間に銀聯カードの怒涛の勢いで普及し、24時間365日、どこでも現金が引き出せるようになってしまった。中国の銀行員は昔とは違い、猛烈に働くことを強いられた。地域差も徐々になくなり、3時間も昼休みを取ることなど許されない。我々はこれを進歩、というのだろうが、それは我々の尺度に過ぎないのでは、と微かな疑問が心に残る。

 先日亡くなったシンガポール建国の父、リー・クアンユー氏は以前自国民に向かって「日本人の企業への忠誠心を学ぶべし」と言っていたと記憶している。マレーシアのマハティール元首相も「ルックイースト政策」で日本を絶賛し、日本に学べ、と叫んだ。日本人にとって心地よい話にはなるが、これらは少しばかり「為政者の論理」のように思える。法の目を掻い潜る中国系やあまり働こうとしないマレー系を何とか動かして、国を豊かにしていこう、という表れであろう。勿論それによってシンガポールはある意味でアジア一の国家にまで成長しているのだから、悪い話ではないのだが。そこまで働く必要があったのだろうか?

ベトナム ハンモックで昼寝は当たり前

◀ベトナム ハンモックで昼寝は当たり前

 国民にある時は貯蓄を呼びかけ、その資金で郵貯や銀行が国債を買い、またある時は景気回復のため消費するように促す我が国の政府。消費を促しながら、老後の夫婦2人の費用を5000万円は確保せよ、と書き立てる大手新聞。アジアを歩いてみても、保有不動産を除き、一般庶民で60歳を過ぎて5000万円ものお金を保有している人など皆無だろう。お金がないと何もできないのも事実だが、過度に蓄えるために、一生身をすり減らして働く人生は本当に幸せなのだろうか。

 実は日本で働いている外国人に聞いてみたところ「日本人の働き方には無駄が多い」という指摘が何回も出てきた。特に大手企業においては「会議のための会議」や「忙しそうなふりをする人々」が浮かび上がってきていた。本当に忙しいのはごく一部、その他大勢は無駄な作業をさせられるか、やっている振りをしなければ職が保てない国。身をすり減らして働くというより、心をすり減らしている人が日本には多いと感じる。

ミャンマー 牛が休めば人も休む

▲ミャンマー 牛が休めば人も休む

 カンボジア、ラオス、ミャンマーの田舎へ行くと昔ながらの生活をしている人を見ることができる。我々の一般的な基準からすれば、「貧しい暮らし」をしているように見えるが、温暖という絶対的な恩恵もあり、「今日と明日の食事が確保できれば明後日のことは明日考える」と言った思考法が普通になっている。勿論突然家族が病気になったり、天変地異が起こることもある。日本なら病気や災害に備えましょう、と言って、保険会社が保険を勧め、政府も災害対策と称して、予算を計上している。でも、実際に大災害が起きた時、目の前で起きたことに人間は無力である、成すすべがないことをすでに我々は知っているはずだが。

 東南アジアの「一定以上働かない社会」を認めたいと思う。無理して盲目的に蓄えるのは止めにしよう。その為に払う犠牲の大きさを考えれば、そこそこの労働をして、そこそこの収入を得て、日々を楽しく暮そう。それこそ「足るを知る」ということではないだろうか。

コラムニスト
須賀努
1961年東京生まれ。東京外国語大学中国語学科卒。金融機関在職中に、上海語学留学1年、台湾地場金融機関への出向2年。香港駐在合計9年、北京駐在合計5年では合弁会社日本側代表。合計17年の駐在経験を有し、日経BP社主催『中国ビジネス基礎講座』でトータルコーディネーター兼講師を務める他、進出企業向けアドバイスを行う。日本及びアジア各地で『アジア最新情勢』に関する講演活動も行っている。 現在はアジア各地をほっつき歩いて見聞を広めるほか、亜細亜大学嘱託研究員、香港大学名誉導師にも任ぜられ、日本国内及びアジア各地の大学で学生向け講演活動も行っている。 時事通信社「金融財政ビジネス」、NHK「テレビで中国語テキストコラム」など中国を中心に東南アジアを広くカバーした独自の執筆活動にも取り組む。尚お茶をキーワードにした旅、「茶旅」を敢行し、その国、地域の経済・社会・文化・歴史などを独特の視点で読み解き、ビジネスへのヒントとしている。
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