アジアから見る日中

第15回

信頼される会社とは

洪水の水位を示す

▲洪水の水位を示す

 1980年代から約30年、日本企業の海外進出は目覚ましい。それは80年代半ばの急激な円高で始まったが、特にアジアへの進出は目を見張るばかり。一時は猫も杓子も中国詣でだったが、最近はアジアシフトとかで、東南アジアに多くが目を向けている。日本側の事情でアジアへ出て行くのは分かるが、受け入れるアジアの側ではどうなんだろう。

 アジアのある国で政府のアドバイザーをしているという日本人の話を聞いたことがある。「タイの工業化成功には日本企業の進出が大いに貢献している。中でもあの働かないタイ人の労働生産性をここまで上げた、日本企業の教育の素晴らしさは称賛に値する」「他のアジア諸国でも日本企業の進出により、その国の労働者の質を劇的に変化させることができる」という話だったと思う。その一面には同意するが、日本企業の力でタイ人労働者の生産性が上がった、というのは本当だろうか。

畑を作っていた敷地

◀畑を作っていた敷地

 筆者の友人で、学生時代からアジアを歩き回り、就職後もずっとアジアを見続け、現在タイのアユタヤで工場長をしている人がいる。その工場が出来てから20年、彼は別の業界から転職してきたため、その工場の技術的なことは何もわからないよ、と言いながらも、タイ人従業員ともこまめに会話し、目配りを聞かせ、実によく工場を統率しているように見えた。

 この工場には10年以上勤めているタイ人がかなりいる。中には創業時からずっと働き続けている人まで居て、今やそれなりの地位に就いており、みな楽しそうに働いていた。バンコックの人材紹介会社の人にタイ人気質について聞いたところ、「タイ人は飽きやすく、定着しにくいのが一般的」と言われていた。ちょっと意外な気がしたので、その秘密を探るべく、話を聞いてみることになった。

 「いやー、2011年の洪水の時は本当に涙が出たよ。自分の工場がどんどん水に浸かっていき、機械がずぶ濡れになり、手が付けられなかった。ただ呆然と見ているしかなかった」と同級生は振り返り、工場の壁に記された水の最高位を指した。それは大柄の彼の背丈よりも更に高く、その深刻さをよく表していた。

今も植えられているバナナ

▲今も植えられているバナナ

 「だが洪水が押し寄せてきて自分の家も危ういというその時に、従業員が30人も工場に向かってやって来たんだ。そして一生懸命、水が入り込んでくる隙間を埋めようとしてくれた。中には手で浸水を押さえていた人もいたな。正直、これには驚いた。全く防ぎきれないことは分かっていたが、タイ人がこんなに懸命にやってくれたことに、感動した。初めて本当に心が通い合った、とも感じたね」

 何故タイ人従業員はこの危機の時に、このような行動をとったのだろうか。これは決して危機対応マニュアルに書かれているからではない。その伏線は2008年のリーマンショックの時にさかのぼる。当時、この工場でもショックのあおりで、受注が激減。仕事がなく、とても従業員を雇用できるような状況ではなかったという。それでもこの経営者は一人も解雇しなかった。

 「工場で働いてくれている従業員というのは、元を質せば農民なんだ。工場に仕事がないなら、工場の余った敷地で農業しようよ、と言って、実際に畑を耕し、バナナを植え、池を作って魚まで飼った」という。当然工業団地の一角で農業をすることなど許されるわけではない。それでも当地の管理委員会も「タイ人の雇用を守る」という姿勢に感激し、これを黙認したと聞く。勿論これでは従業員の給与を賄うことはできず、会社は多額の支出を余儀なくされたが、従業員の会社への信頼、なかんずく経営者への信頼は大いに高まった。だからこそ洪水のさなかに何十人もの従業員が工場を、自分の城として、守ろうとしたのだ。

バナナを噛みしめた食堂

▲バナナを噛みしめた食堂

 因みに農作業で作られた作物は従業員の昼食に出され、今でも生っているバナナは配られるという。皆、このバナナを見ると、あの頃のことを思い出し、口にこそ出さないが、会社と彼への感謝の念を心に秘めるらしい。経営者はこうありたいものだ、と強く思うエピソーダだ。

 2011年秋のアユタヤ大洪水では、進出していた多くの日系企業も、莫大な被害を出していた。一部だが、これを機に、工場を閉鎖、移転したところもある。だがこの工場では、撤退など考えもせず、再建を進めていき、一時待機していた従業員も皆戻ってきた。ちょうどインラック政権になり、最低賃金の大幅値上げも断行された。工場でも最低賃金を守って、大幅なコストアップ要因となったようだが、その給与は日本円で高くても月給4〜5万円程度。「日本に比べれば安いんだよな、あんなに暑い中で働いてくれるのに」と、彼は何とも複雑な顔をする。経営者とタイを愛する両面の顔だ。

アユタヤの日系工場は洪水対策をしているが

◀アユタヤの日系工場は洪水対策をしているが

 「今タイでは日本への旅行ブームだが、実際に日本に行けるのはほんの一握りのホワイトカラー。工場労働者など大多数のタイ人が日本へ行けるようになるのはかなり先だな」と言いながら、日本に行くより、まず今年は運動会にするか、パーティーにするか、「従業員の福利厚生を如何に向上させるか」が今の課題だ、つぶやく。

 因みに工場に水が浸水してきた時に、某日系大手メーカーの購買担当日本人が「商品の納期は守ってくれ」と、電話の向こうで叫んだことが今も忘れられないともいう。「こんな話、恥ずかしくてタイ人にはできないよ。最後は人間性だな、とつくづく感じる」という言葉に、日本の中小企業の強さを見、また同時に苦悩を見た思いがする。

コラムニスト
須賀努
1961年東京生まれ。東京外国語大学中国語学科卒。金融機関在職中に、上海語学留学1年、台湾地場金融機関への出向2年。香港駐在合計9年、北京駐在合計5年では合弁会社日本側代表。合計17年の駐在経験を有し、日経BP社主催『中国ビジネス基礎講座』でトータルコーディネーター兼講師を務める他、進出企業向けアドバイスを行う。日本及びアジア各地で『アジア最新情勢』に関する講演活動も行っている。 現在はアジア各地をほっつき歩いて見聞を広めるほか、亜細亜大学嘱託研究員、香港大学名誉導師にも任ぜられ、日本国内及びアジア各地の大学で学生向け講演活動も行っている。 時事通信社「金融財政ビジネス」、NHK「テレビで中国語テキストコラム」など中国を中心に東南アジアを広くカバーした独自の執筆活動にも取り組む。尚お茶をキーワードにした旅、「茶旅」を敢行し、その国、地域の経済・社会・文化・歴史などを独特の視点で読み解き、ビジネスへのヒントとしている。
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