アジアから見る日中

第03回

インドで最高の死に方を考える

リシュケシュのガンジス河の川辺

▲リシュケシュのガンジス河の川辺

 インドの話を続けたい。やはり何といってもハッと気が付くことが一番多い場所はインドに違いない。自分本人だけでこのような貴重な体験をしてはもったいないと思い、息子を連れてインドへ行ったことがある。実は普段は議論など(いや会話も)ほとんどない我が家で一度珍しく、話し合いをしたことがある。それは「オヤジ(筆者)が死んだら、その遺体はどうするのか?」というテーマであった。

 「まだ50代、その若さでそんなことを考えるのか?」と言われたこともある。しかし人間、明日は誰にも分からない。筆者のような旅をしている者は死のリスクが高く、普通の生活を送っている者は死に直面しない、などという根拠はどこにもない。ちょうどテレビで見ていると海外で亡くなった日本人の遺体を日本へ搬送するニュースをやっていた。筆者はここで高らかに宣言した。「オレの骨は日本に持って帰ってくる必要などない。墓もいらないぞ!」と。するといつもは反応などしない息子2人が「じゃあ、どうするんだよ」と言い出した。当事者意識、というのはこのようにして芽生えるのかもしれない。

 「その辺に適当に撒いてくれ」というと、「人様の国でそんな事できる訳ないだろう」と真っ当なことを言う。確かにその辺に撒く、は言い過ぎだったかもしれない。それでは具体的にどう処理すればよいのか、それは家族の誰にも分からなかった。タイなど上座部仏教の国にはお墓がない。遺体は焼き、骨は河などへ撒く、と聞いていた。ちょうどお知り合いからインド行を誘われた。「分からないなら、見に行ってみよう」ということで、次男と2人、インドで散骨の儀式に参加してみることになったのだ。

ハリドワールのガンジス河で沐浴する人々

▲ハリドワールのガンジス河で沐浴する人々

 筆者がインドに少し関わり始めた8年前、インド通の集まりに出席し、S氏を知った。既に70代半ばだったが、かくしゃくとしていた。彼は若い頃からインドにのめり込み、深くインドに関わった。インドの叙事詩をアニメーションにするなど、その功績も大きかった。そのS氏が亡くなり、葬儀は日本で行われたが、ご本人の意思もあり、ごく一部の骨を聖なる河ガンジスに流すことになった。

 その儀式の場所もインド的に決められる。どこでもよい、と言う訳ではない。デリーから特急列車で4時間ほど行ったハリドワールというところで行うという。ハリドワールとは「シヴァ神の入り口」という意味らしい。すぐ近くには聖地リシュケシュがあり、我々はガンジス河のほとりにあるアシュラム(修行場)に投宿した。当日は北インドに44年ぶりの寒波が来ており、零下の気温だった。「インドが寒い」などというイメージは日本人にはないかもしれないが、これもまたインドである。

ハリドワールのガンジス河で行われた散骨の儀式

◀ハリドワールのガンジス河で行われた散骨の儀式

 することもなく、風が吹きすさぶガンジス河沿いを歩いていた時のこと、向こうの方で男たちが数人でたき火をしているのが見えた。次男が何気なくカメラを向けるとオジサンが「ダメダメ」という合図を送ってきた。次男はハッと気が付いた。そして恐る恐る近づき、たき火の中を確認した。少しだけ人の手が見えた。彼は恐怖に心が震えた。生まれてからこのような場面に出くわしたことはなかった。今や日本では人の遺体を見る機会もほとんどなく、人の死に直面する機会も格段に減っていた。

 何となく心の中で、「こんな寒い中で焼かなくても」との思いがあったが、それを見透かしたようにインド在住25年の日本人A師が「これは素晴らしい供養をしていますね」というのを聞き、また考えた。恐らく故人は一生に一度は聖なる河を見たい、死んだらここで焼かれたい、との思いがあったに違いない。それでも遺体をここまで運び、木を組み立てて焼く準備をするのには相当の資金や時間がいる。やってやりたくても出来ない人が大半だ。その中で故人は恵まれていた。いや「日頃の行い」が良かったのだろう。

 そしてこの寒空の中、完全に焼き終わるには早くて半日、場合によっては一日かかるのだという。焼き場には骨が残るがこれだけの時間をかけて焼くと、熱くて取り上げられないため、一番親しい親族が翌日骨を拾いに来るのだとか。翻って今の日本はどうだろうか? 焼き場へ行き、45分間待つと、はい出来上がり。まるで電子レンジでチンするような感覚で見事に、きれいに終わってしまう。どちらが故人を偲んでいるのか、良く分かる。

 また日本人は遺体に対する拘りが非常に強い人が多い。一方インドでは人が死ねば魂は次の世界へ行くが、体は「使用済み」として考えられている。それでも余裕があればこのようにゆっくりと故人を偲び、遺体を処理している。日本では遺体に拘る割には、扱いはどうなのだろうかと考えてしまう。

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◀リシュケシュのアシュラムで行われた施し

 そしてハリドワールでの儀式の当日、その日は快晴だったが相変わらず風が強く、体感温度は依然零下の感覚だった。我々は特別なガートを使う。これもインド人の個人への敬意の表れだった。忙しい大学教授やボリウッドの大物プロディーサーが駆けつけ、バラモンの指導の下、厳かに式は行われた。個人のインドへの想い、が詰まった式だった。

 河の反対側を何気なく眺めると、この寒さの中、素っ裸になった男が数人、ガンジスの聖水を浴びて沐浴していた。それを眺めていた日本人の誰もが「この寒さであんなことをしたら心臓が止まってしまうのではないか」と危惧した。その時あるインド人が「もし彼らがここで心臓が止まり死んだら、そしてガンジスに流されたら、それは彼らにとって至極の喜びだ」と叫んだ。

 ハッとした。確かにその通りだ。人間いつかは必ず死ぬのだ。その最高の死に方は「自分が望んでいる場所で、自分がしたいことをしている時に」ということになる。それがまさに目の前にある。決して自殺するわけではない。全て神が決めること、「人の人生は初めから決まっている」という前提を持つインド人は「もしここで死んだら、それが天命。最上の喜びを持って来世へ行ける」と解するだろう。

 では我々日本人にとって最高の死に方とは何だろうか。それを日頃考えている人がどれほどいるだろうか?「せめて畳の上で死にたい」という昔のやくざ映画は一つの願望を表しているが、今では「病院のベッドではなく自宅で眠るように死にたい」となるのだろうか。

 かく言う筆者も「出来るだけ痛くなく、ポックリ死にたい」という言葉しか浮かばない。このような状況では、想いも何もない他国に骨を撒いてもらうなど到底覚束ないと分かった今回の旅。先ずは自分にとって「至極の喜び、最上の死」とは何か考え直すきっかけとなったが、時はあとどれだけ残されているのだろうか。

アグラのタージマハール

▲アグラのタージマハール

コラムニスト
須賀努
1961年東京生まれ。東京外国語大学中国語学科卒。金融機関在職中に、上海語学留学1年、台湾地場金融機関への出向2年。香港駐在合計9年、北京駐在合計5年では合弁会社日本側代表。合計17年の駐在経験を有し、日経BP社主催『中国ビジネス基礎講座』でトータルコーディネーター兼講師を務める他、進出企業向けアドバイスを行う。日本及びアジア各地で『アジア最新情勢』に関する講演活動も行っている。 現在はアジア各地をほっつき歩いて見聞を広めるほか、亜細亜大学嘱託研究員、香港大学名誉導師にも任ぜられ、日本国内及びアジア各地の大学で学生向け講演活動も行っている。 時事通信社「金融財政ビジネス」、NHK「テレビで中国語テキストコラム」など中国を中心に東南アジアを広くカバーした独自の執筆活動にも取り組む。尚お茶をキーワードにした旅、「茶旅」を敢行し、その国、地域の経済・社会・文化・歴史などを独特の視点で読み解き、ビジネスへのヒントとしている。
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