アジアから見る日中

第04回

インド人が紅茶を飲み始めた──人間の欲望とは

ダージリンの茶畑での茶摘み風景

▲ダージリンの茶畑での茶摘み風景

 「インド人が最近紅茶を飲み始めたんです」、こんな話をすると大抵の日本人は「一体何を言っているか? インドは世界有数の紅茶の国ではないですか?」とさもバカげた話題を振ってきている、という顔をする人が多い。だがこの言葉は僅か3年前に世界的に有名な紅茶の産地、インドのダージリンで150年続く茶園のオーナーが開口一番言い放った言葉なのである。

 日中双方ともその傾向にあるが、「中国と言えば烏龍茶」「インドと言えば紅茶」といった暗記式の知識、既成概念が横行している。中国で烏龍茶の生産量など全体の数%しかない。70%以上は緑茶を生産しているのに、なぜ日本人は中国=烏龍茶、となるのか。これは完全に「擦り込み」であろう。某飲料メーカーの広告宣伝能力はとみに高く、いつの間にか浸透してしまった。そして今や上海を歩く若者が烏龍茶のペットボトルを手にしている。以前では考えられないことが起きている。

ホームステイした小さな、温もりのある家

◀ホームステイした小さな、温もりのある家

 ではこれまでインド人は一体どんなお茶を飲んできたのだろうか。答えは「チャイ」である。チャイの原料は紅茶のカス(ダスト)を使っているから、「チャイも紅茶ではないか」という声が聞こえてきそうだが、150年続く伝統的な茶園主は「チャイは紅茶(Black Tea)ではない」と言い切る。

 ではなぜチャイが生まれ、人々はチャイを飲むようになったのだろうか。これはインドの植民地の歴史と大いに関係がある。そもそもインドでは茶は作られていなかった。アヘン戦争後、自らの領土での茶の生産を考えたイギリスは、植民地インドに茶樹を持ち込み、生産を開始した。そこがダージリンである。茶葉は基本的に輸出用であり、良質の茶は全てインド国外に持ち出され、高値で売られたが、ダストはインド内に残り、庶民に与えられた。ただダストは粉であり、そのまま淹れても苦くて飲めない。そのため、茶葉を煮出して、砂糖とミルクを混ぜ、飲めるように工夫したのがチャイである。これは植民地の飲み物と言えるかもしれない。因みにスリランカにもチャイはあるし、香港にも香港式ミルクティが存在している。

茶園主と大自然の茶畑を散歩

▲茶園主と大自然の茶畑を散歩

 その長年チャイを飲み続けてきたインド人に最近変化が起こってきている。経済成長に伴う中産階級の勃興である。勿論インドの上流階級はイギリスに倣って昔から紅茶を飲んでいたが、一般庶民が所得の向上に伴い、砂糖を入れない、ミルクを入れないプレーンな紅茶を飲み始めた、これが冒頭の茶園主の発言である。砂糖を入れないと苦くて飲めないとの話もあるが、「紅茶は健康に良い」との思いから、飲み始めた人が大勢いる。所得が上がると健康志向が芽生える、これもアジア各国共通である。

 その生産地、ダージリンに行った時のこと。そこはインドの北西部、ブータンとネパールに挟まれた地で、いわゆる我々が思うインド人の顔をした人は殆どいない、むしろ我々の顔に近い人が多く、親近感がある。そのダージリンの大きな茶園のある村に5日間、ホームステイした。現地の人々の生活を体験してみたかったからではない。単にそこに泊まれ、と言われたからだが。

村で唯一のシャワールーム

◀村で唯一のシャワールーム

 この茶園の環境は実に素晴らしかった。茶園主と散歩すると「この茶園のコンセプトは森林2に対して茶園1の割合で作られていること」と言い、「化学肥料などを多く使うと土壌が痛み、いいお茶は出来ない」として、大自然の中で茶作りをしていた。日々村人とも触れ合い、問題点を聞き、改善していく。昔の良き領主様、がそこに居た。

 泊めて貰ったその小さな木造の家の壁は薄かった。隣で寝ている人の寝息が聞こえてくる、こんな体験は子供の頃にあっただろうか。家族は寄り添って暮らしていた。トイレは家の外にあり、真っ暗な夜中にトイレに行くのにはかなり勇気がいった。停電も頻繁にあり、蝋燭の下で食事をすることも多かった。全てが質素だったがそれでも満ち足りていると、感じた。

世界遺産・トイトレイン

▲世界遺産・トイトレイン

 ただ1つ筆者が困ったのは実はシャワーであった。トイレの場所は教えてくれたが、シャワーの場所は教えてくれなかった。2日間様子を見ていてようやく、家の人は小屋の奥で水浴びをするだけだと分かった。しかし標高1000メートルを越えるダージリンの秋の夜は意外と涼しい。どうしてもお湯のシャワーを浴びたくなる。3日目、村にフランス人のお婆さんが一人でやってきた。60歳を超えた女性が遥か彼方から一人でやってくる、このパワーはすごい。彼女は村人に「この村にはシャワーはないか」と聞いていた。村に一軒だけ、シャワーのある家があるということで、このお婆さんについて行ってみた。

 その家は立派な家で最近建てたものらしかった。早速シャワーを使わせてもらったが、やはり残念ながら、お湯は出なかった。それほどにこの地にとってお湯は貴重な物だった。それでも3日ぶりにシャワーを浴びた。たとえ水であったとしても「この爽快感」は忘れられない。自分が如何に便利な日常に慣れてしまい、スイッチを入れればお湯が出るという生活が当たり前になっていること、そのことを何とも思わなくなっていること、を痛感した。同時に「我慢する喜び」「耐えた後に得られる快感」を再認識することにもなった。

ダージリンの街でインド人観光客が紅茶を飲む

◀ダージリンの街でインド人観光客が紅茶を飲む

 人間の欲望には際限がない。いいお茶が飲みたかったイギリス人はこんな山奥まで開拓して、鉄道まで通し、紅茶を持ち帰った。抑えられてきたインドの庶民は「健康志向」の一環として、1つの欲望として紅茶を飲み始めた。そして筆者はそんな地で熱いシャワーを求めてさまよった。それでも最後は「分をわきまえる」ことが出来れば、水シャワーでも十分に幸せである、ということをこの紅茶の地で教えてもらった。既成概念ではない、真に体験することで得られる境地だった。

コラムニスト
須賀努
1961年東京生まれ。東京外国語大学中国語学科卒。金融機関在職中に、上海語学留学1年、台湾地場金融機関への出向2年。香港駐在合計9年、北京駐在合計5年では合弁会社日本側代表。合計17年の駐在経験を有し、日経BP社主催『中国ビジネス基礎講座』でトータルコーディネーター兼講師を務める他、進出企業向けアドバイスを行う。日本及びアジア各地で『アジア最新情勢』に関する講演活動も行っている。 現在はアジア各地をほっつき歩いて見聞を広めるほか、亜細亜大学嘱託研究員、香港大学名誉導師にも任ぜられ、日本国内及びアジア各地の大学で学生向け講演活動も行っている。 時事通信社「金融財政ビジネス」、NHK「テレビで中国語テキストコラム」など中国を中心に東南アジアを広くカバーした独自の執筆活動にも取り組む。尚お茶をキーワードにした旅、「茶旅」を敢行し、その国、地域の経済・社会・文化・歴史などを独特の視点で読み解き、ビジネスへのヒントとしている。
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