伝統の森 入口
カンボジアの話を続けたい。この国では様々な日本人が様々な活動をしているが、その中で非常に大きな出会いがあった。シェムリアップのアンコール北部、アンコールワットの敷地を通過してからトゥクトゥクで約1時間(村へ行く場合は入場料不要)、デコボコの道を左右に大きく揺られながら、その村へ着いた。伝統の森、そこだけに木々が生い茂り、南国の雰囲気が漂っていた。
◀でこぼこ道をトゥクトゥクで行く
この村を作ったのが、日本人というのは驚きだ。森本喜久男さん、京友禅の職人だった彼は若い頃、日本を飛び出しタイへ行き、そこで素晴らしい織物と出会う。しかしそれはタイの織物ではなく、隣のカンボジア、クメールの伝統織物だと聞かされる。カンボジアへ行けばこの素晴らしい布が織られていると思ったが、ポルポト時代の影響で伝統的な織物は既に壊滅しており、探し出すことができなかった。
何とかこの織物を復活させようと、森本さんは1995年頃、まだ各地に地雷が埋まっている中を単身バイクで村々を駆け回り、織り手のお婆さんを探した。既に現役がいない以上、昔織ったことがある人を探し出し、織り方を習う必要があった。ようやく織り手を見つけ出し、現在の地に土地を確保、その間の苦労は想像に余りある。
しかもその何もない土地に井戸を掘り、桑を植え、蚕を飼い、全て自然に任せて織り物を作るという発想、トゥクトゥクでこの村へ来れば、それが如何に困難な道のりであったかを体感することが出来る。村に人を移住させ、人が住める、自然と共生できる場所を作った。現在村人は200名、移住後生まれた子供たちも40名程度いるといい、今は小学校まで建設した。
村人と作業する森本さん
この村は出来て10年だが、いまだに電気が通っていない。母屋にだけ自家発電はあったが、村人の生活は自然体。朝は鳥のさえずりで目覚め、仕事は夕方早めに切り上げ、水を浴び、夕飯を取り、暗くなれば寝てしまう。筆者も2泊させて頂いたが、昼間は簡単に歩けたゲストハウスへの道、本当に真っ暗な中では足が簡単に出ないほど。部屋についても電気はなく、着替えも歯磨きもLED電灯1つを頼り、よろよろとトイレに行くしかない。勿論ネットなど繋がらず、湯も出ないから、まさに寝てしまう以外にない。
◀電気のない村の夜道
東日本大震災の原発問題以降、電気の重要性を再認識した我々だが、それも被災地域以外ではどんどん忘れ去られていく。本当に電気は必要なのか、どの程度必要なのか、なぜ必要なのか、例えばここへ来て皆で体験して、そして国の経済などは抜きにして考えてみると自ずと解決策は出るような気がするが。
この村は既に日本をはじめ、ヨーロッパでも非常に有名になってきており、見学者が絶えない。特にフランスやドイツ辺りの古い布のコレクターは、その素晴らしさに感動して手から布を離さない。またドイツの有名企業は研修旅行先として、この地を選び、自然との共生、持続可能な村の実態をつぶさに見学していた。もっと多くの日本人がここへ来て見ているべきだとつくづく思う。
この村は何故持続可能なのか。森本氏と長時間話す中で、その一部が見えてきた。このプロジェクトは森本氏のクメール織りへの思い入れから出来た物には違いないが、「決してボランティアでやっている訳ではない」という。事業として成り立たせる、それが根本にある。「全て自然で作り、大量生産ではなく、良い物を少量作る」「良い物はどんな時代でも必ず売れる」、こんな言葉が出て来る。
デザインの勉強する少女
良い物を作るにはどうしたらよいのか。「素材にこだわる」「デザインにこだわる」「織り手にこだわる」ということだろうか。素材はこの村の自然を使う、デザインは若い子たちに給料を支給して、デザインを日々描かせていた。織り手やデザイナーには「モチベーションの向上」を図っている。だがここカンボジアではちょっと給料を上げる、売れたらボーナスを増やす、といった我々の発想は通用しないという。この村で作られた製品には「デザイナーと織り手の名前をタグ付けしている」のだそうだ。一生懸命織った布を、わざわざここまで来た外国人が買ってくれる、そして彼女らに会いたいと言い、一緒に写真を撮り、「素晴らしい!」と言ってくれる。「なによりのモチベーション向上でしょう」となる。
「決してマニュアルだけは自然は染められない」と森本氏は言う。だから「織り手の後継者は原則募集しない。後継者は20年に1人で十分、その1人とは現在の織り手の娘が良い」とも言う。実際に工房を見学すると赤ちゃんを膝の上に寝かせて織っている人、小さい子供が走り回る中、それに注意を払いながら織っている人がいる。これだけの規模なのになぜ保育所を作らないのか。「幼いうちから母親の仕事を見て、5歳になれば見よう見まね、遊びで織り、10歳になれば簡単な物は織れるようになり、15歳でかなり織れ、20歳で一人前の立派な織り手になる」のだそうだ。また母親は「子供が傍にいる方がいい織りが出来る」とも。もう完全に芸術家の世界の話である。
子供をそばに置いて織物をする
最後に森本氏は「事業には適正規模がある」という。認知度が高まり、商品が売れるようになっても、大量に作れば必ず質が落ち、希少性もなくなるということだろうか。「出来るだけ品質を高め、商品単価を上げること」と語る森本氏は芸術家でもあり、また経営者でもある鋭い目をしていたのが印象的だった。
振り返ってみると、日本も中国も、現在の経営は「目先の儲け第一」「効率優先」「薄利多売の大量生産」に走っている企業が大半ではないだろうか。2〜3年前中国の民営企業経営者数人と会う機会があったが、彼らは口々に「日本で数百年続いている企業を訪問し、その持続の秘訣を教わりたい」と訴えていた。中国は現在の共産中国になり、私営企業が禁止された時代が続き、事業が継承されていることはなかった。
本当に持続可能な企業、村、国とは、一体どんな形態なのだろうか。カンボジアの伝統の村でハンモックに揺られ、考えてみるのも悪くはない。