北京の胡同から

第07回

秘められた庭

可園「可園」について説明するとき、私は「秘密の花園」という言葉を使うのが好きだ。
 可園とは、西太后の寵愛を受けた清末の大臣、栄禄の甥に当る人物が1861年に建造した庭園のこと。蘇州の名園、摂政園と獅子林を模したものといわれる。光緒年間には大学士であった文煜が最も気に入っていた屋敷だった。5つの中庭をもつ大邸宅で、敷地面積は何と1万平米余りもある。
 もっとも、その後敷地は分割され、その内の13号院には、北洋軍閥の馮国璋が住んでいたこともあった。
 資料をひもといたり、地元の人の話を聞いたりすると、この可園は太湖石、築山、池、水辺のあずまや、アーチ橋、日時計、洞穴、竹園などが配された美しい庭園らしい。だが一般に公開はされていないため、筆者も写真を目にしたことがあるだけで、実際に入ったことはない。いかに歴史があり、趣のある庭であろうと、特殊なコネや千載一遇のチャンスがない限り、その門は固く閉ざされたままなのだ。
 だが、この可園が「秘密」なのは、このように貴重な文化財でありながら、非公開であるとか、物理的に高い壁によって遮られている、ということからだけではない。その存在が宙ぶらりんで、今後の行方が分からないという意味でも「秘められている」のだ。
 可園として保護文化財に指定されている敷地は、外交部が所有しているため、内幕は謎だが、噂によると、この屋敷はかつてある国家クラスの高級幹部に割り当てられたものだった。だが、主任の逝去後、同クラスの官僚の家族は居住を拒み、その一方で、居住を望む者には職階が足りなかった。そのため、屋敷は空き家のまま放置されることになったという。その後は、門番が番をするだけの、寂れた庭となった。
 そんな可園にまつわる不穏な話が、最近耳に入った。
 北京の歴史的建築物の保護活動を繰り広げている、あるNPO団体から届く会報を眺めていた時のこと。ある記事に、この可園が取り壊しを伴う再開発プロジェクトの対象となり、それを区の住宅管理局も認可した、と記されていたのだ。可園を含む屋敷跡があるのは、帽児胡同7号、9号、11号、13号。このうち、13号以外の建物は、国の重要保護文化財に指定されている。つまり、故宮と同じクラスの文化財ということだ。また、13号の建物も、南鑼鼓巷歴史文化保護区内にあるため、無断で改造を加えてはならないはずである。
 事の真相を確かめたいと、帽児胡同を訪れた。だが、可園の敷地の門番をしている住民数人は、このプロジェクトについて何も知らない様子だった。
 情報の真偽を疑いかけていた頃、ある老人が、「何のためかは分からないが、13号の屋敷に住んでいた住民はみな立ち退いたよ」と教えてくれた。やはり、何らかの動きがあることは、間違いないようだった。

可園 実は北京には可園のような「秘められた庭」が他にもいくつかある。それは、解放軍が北京に進駐したとき、王府(皇族の邸宅)など、質の良い庭園つきの四合院の多くを、政府機関やその宿舎のために利用したためだ。新中国の「建設」が進むにつれ、その多くが、元の姿を喪失。仮に運よく残っている場合でも、この「可園」のように、機関の関係者以外、入れない場合が多い。自由に鑑賞したければ、小鳥や猫にでも姿を変えるしかないのだ。
 ただ、歴史的ゆかりのある建物が、ただ丈夫で敷地が広いから、という理由で学校や機関、工場などに利用されていた時代とは異なり、近年の北京では、四合院や王府、古い寺院などといった文化財のもつ趣や価値が再評価されるようになった。それに従い、文化財を「リニューアル」した商業施設が増加。例えば、由緒ある古い寺院跡が、従来の構造を残したまま高級レストランになっていたり、貴族の屋敷が、会員制高級クラブハウスになっていたりする。
 そういった変化を一概に否定することはできない。長年放置されていた建物は、修復にも維持にもお金がかかり、商業開発の対象にでもならない限り、「危険家屋」として壊されて終わり、という結果になりかねないからだ。
 だが、使用者の恣意的な改造が建築物本来の様相や価値を失わせたり、木造の貴重な建物が火気を多用する場になったり、という好ましくない変化もあり得るため、特に重要文化財に関しては、どうしても監視役が欠かせない。
 実現は難しいとしても、一番理想的なのは、こういった文化財が一般に公開され、人が自由に行き交う公園となることだろう。そもそも、胡同地区の欠点は公園が少ないこと。また、災害の際の緊急避難場所も十分とはいえない。もし、可園のような庭が、ミニ公園になれば、故宮や頤和園にはかなわないとしても、北京の名所を多様化させ、景山公園などの北京の一部の観光名所の「殺人的な混雑」を緩和することもできる。何せ、中国は十何億の人口を抱える国。北京の「名所」だって、東京の数十倍はあってもぜんぜん不思議ではないのだ。
 人権と同じく、文化財にもそれ本来の価値を自由に発揮し、多くの人と自由に交流する権利があるはず。幽閉された「秘密の花園」なんて、今どき流行らない。

コラムニスト
多田 麻美
フリーのライター、翻訳者。1973年静岡県出身。京都大学で中国文学を専攻後、北京外国語大学のロシア語学科に留学。16年半の北京生活を経て、2018年よりロシアのイルクーツクへ。中国やロシアの文化・芸術関係の記事やラジオでのレポートなどを手がける。著書に『老北京の胡同』(晶文社)、『映画と歩む、新世紀の中国』(晶文社)、『中国 古鎮をめぐり、老街をあるく』(亜紀書房)、『シベリアのビートルズ──イルクーツクで暮らす』(2022年、亜紀書房刊)。訳著に王軍著『北京再造』(集広舎)、劉一達著、『乾隆帝の幻玉』(中央公論新社刊)など。共著には『北京探訪』(愛育社)、『北京を知るための52章』(明石書店)など。
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