シベリア・イルクーツク生活日記

第06回

湖岸鉄道の危うい魅力

地震といえばバイカル湖

 ちょうど今回の原稿の準備をしていた9月21日の深夜、イルクーツク州でスリュジャンスキー地区のクルトゥクを震源地とする、マグニチュード5.9の地震が起きた。震源地近くでの震度は日本の気象庁震度階級に換算すると震度5弱ほどで、今のところ死傷者がいるという報道はないが、クルトゥクを含むバイカル湖畔の町や村では、直後に広範囲で停電が起きた。震源地から100キロ弱ほどの位置にあるイルクーツク市内もけっこう揺れ、友人たちの中には余震を恐れて屋外で夜を過ごした人たちもいる。揺れはバイカル湖の東南、震源地から300キロほどの位置にあるブリヤート共和国の首都、ウラン・ウデにも及んだ。
 興味深いことに、このような地震が起きた時、付近の住民は震源地に関する情報に接する前から、「震源地はバイカル湖だろう」と確信を込めて語る。経験則からのようで、今回もその予測は当たった。

広がり続ける地球のへそ

 地震が多いのは環太平洋火山帯の周辺、という思い込みが強かったので、最初は筆者も意外に感じたのだが、イルクーツクは地震が多い町だ。平地が少ない土地に人口が集中しているわりには高層建築がほとんどなく、古い建物の中に時折、床が地面にめり込んでいる家があるのも、地震の多さからだといわれている。もちろん、別の見方をすれば、高層建築が少ないのは古い町並みの景観が守られるという意味では、プラスに働いている。
 地震が多いのは、バイカル湖周辺の地質が関係しているそうだ。世界最深、かつ淡水湖としては世界最大の貯水量をもつとされるバイカル湖は、地元の人がよく使う「地球のへそ」という例えがぴったりだ。バイカル湖はシベリア台地とアムールプレートという2つの構造地形が、互いに離れていく動きによって形成されたといわれ、その地形の変動は、今もなお続いているという。そのため湖の幅は今でも1年でおよそ2センチメートルずつ広がっていっていて、ゆえに地震も多く、バイカル湖では、年間2,000回もの微弱な地震が発生しているという統計もある。

バイカル湖。深さだけでなく、水の透明度も世界一を誇るが、近年は汚染が進み、問題視されているバイカル湖。深さだけでなく、水の透明度も世界一を誇るが、近年は汚染が進み、問題視されている

バイカル湖岸鉄道の発着駅

 地元の人の話によると、今回のようにスリュジャンスキー地区を震源とした地震は以前も起こっているそうだ。そのスリュジャンスキー地区を、筆者は偶然、地震発生の一か月前に訪れていた。今回の原稿の主なテーマであるバイカル湖岸鉄道の始発駅があるためで、車窓から見た一帯は山とバイカル湖の間に挟まれた静かな村落だった。印象に残ったのは、世界唯一といわれる大理石だけを使って作られた駅の荘厳さをともなった存在感。中は博物館になっているという。

スリュジャンカⅠ駅 1905年に建設された大理石の駅舎スリュジャンカⅠ駅 1905年に建設された大理石の駅舎
スリュジャンカⅠ駅の高架橋からの風景。同駅は現在もシベリア横断鉄道の主要駅スリュジャンカⅠ駅の高架橋からの風景。同駅は現在もシベリア横断鉄道の主要駅

 
 バイカル湖岸鉄道は、スリュジャンカ駅とポート・バイカル駅を結ぶ89キロメートルの鉄道で、20世紀中ごろまではシベリア鉄道本線の一部だったが、ダムの建設の影響で新線ができてからは、本線から外れた。現在はシーズン中でも一日に一往復しかない定期列車と観光客用の蒸気列車が、全長89キロメートルの路線を5時間ほどかけて走っているだけだ。

バイカル湖岸鉄道の標識バイカル湖岸鉄道の標識
観光用の蒸気機関車。乗車には予約が必要観光用の蒸気機関車。乗車には予約が必要

 新線ができても廃線にならなかった理由は、やはり歴史的・文化的価値の高さからだろう。開通は日露戦争の最中の1904年。随所でみられる石造りのトンネルや橋や通路はロマノフ朝の時代に建てられたままの姿をとどめており、ロシアの鉄道の土木建築文化の精華が集まっているとされている。1982年にはイルクーツク地方議会の決定により、ポート・バイカル駅からクルトゥク駅までの区間が建造物および景観保護区に指定された。

危うさを秘めた美しさ

 もっとも、文字通り湖岸ぎりぎりを走るこの鉄道には、並行して敷設された道路がなく、しかも線路には囲いなどは一切ないので、列車以外での沿線の移動や観光は、列車が通っていない間に線路上を歩くしかない。手動のトロッコもレンタルでき、実際に乗っている人も見かけたが、筆者が訪問した3日後ぐらいに事故が起き、二人が亡くなったそうだ。ほぼ同じ時期にはがけ崩れまで起き、列車の運行自体がストップした。

バイカル湖岸鉄道バイカル湖岸鉄道

 つまり、バイカル湖岸鉄道はあくまで自己責任で旅行するしかなく、観光客が増えると危なっかしさはさらに高まる。だが、遠景を縁取るバイカル湖対岸の山々と近景のトンネルや橋、そしてそれらの間に圧倒的な迫力で横たわるバイカル湖はとてもよく調和しているうえ、足元を見ると、一部に残っている古い枕木などにも素朴な味わいがあったりして、鉄道ファンならずとも魅力は十分に感じられる景勝地だ。

線路沿いの古いトンネルや鉄道橋線路沿いの古いトンネルや鉄道橋

 
 
 その豊かな自然・文化環境は、ロシア国内外、とりわけバイカル湖周辺のアーティストたちのインスピレーションの源ともなっている。

バイカル湖岸鉄道をテーマにしたスラバカロッテの作品「Dance」(2020年)。モノタイプという手法の一点もの版画バイカル湖岸鉄道をテーマにしたスラバカロッテの作品「Dance」(2020年)。モノタイプという手法の一点もの版画

伝説のイタリア人技師

 116年の歴史をもつ鉄道だけあって、この鉄道をめぐっては、さまざまな伝説がある。トンネルに幽霊が出るといった怪談なども伝わっており、その幽霊が馬だったり鹿だったりするのが、またシベリアらしい。
 そんな数ある伝説のうち、もっとも印象的なのは、鉄道の建設を担ったイタリア人技師をめぐる物語だ。
 帝政の末期に進められた首都とロシア極東を結ぶ鉄道の建設のうち、もっとも難所とされていたのが、バイカル湖の沿岸をめぐる路線の建設だった。やがて建設工事は下請けに出されたが、そのうち、トンネルの建設を十分な報酬とともに請け負ったのが、イタリア人技師ジュゼッペだった。彼は当時としては最高の建設技術を駆使しながら数々のトンネルの建設を担ったが、700メートル以上にわたる最長のトンネルを築くとき、両方の端から掘り進めさせたところ、予定日から2週間ほど過ぎても、貫通させることができなかった。自分が設計上のミスを犯してしまったと感じたジュゼッペは、その責任の重さを感じ、自殺したが、同じ日の晩、無事貫通し、彼の計算には誤りがなかったことが証明されたという。

地形に合わせて設計されたという卵型の形状のトンネル地形に合わせて設計されたという卵型の形状のトンネル

 残念ながら文献資料にはほかのイタリア人の名があるばかりで、彼の名は見られないそうだが、ジュゼッペの名と生年や没年が記された墓は、彼が自殺をしたとされる最長のトンネルの傍らにきちんと残っているという。
 この伝説の真偽はともかく、驚かざるを得ないのは、38か所のトンネル、248の橋、そして石造りの通路などを擁する89キロの鉄道の建設に5年しかかからなかったという事実だ。当時はロシア極東が日露戦争の脅威にさらされていたため、首都との間を結ぶ鉄道の開通は悲願だったといった点を鑑みたとしても、たいへん短い。建設を担った技師や工事責任者、建設労働者たちにいかに大きなプレッシャーがかかっていたかは、計り知れぬものがある。そういった時代背景が、この伝説に強い信憑性を与えるようになったと思われる。

ロシアの鉄道文化

 20世紀以降のロシアでは、空路が発達するまで、鉄道の有無が地域の発展を大きく左右した。シベリア鉄道の幹線が建設された時、当時、シベリアで最大規模の都市だったトムスクが回避されたことによって、トムスクがシベリアの首都の地位を失ったのは有名な話だ。
 空の交通網が発達した現在も鉄道の重要性は高く、鉄道関係の企業の文化も発達している。ロシア帝国の時代も鉄道関係者に支払われる報酬は高額だったといわれるが、ソ連時代も鉄道部門の幹部には最高クラスの住宅があてがわれ、鉄道関係者の子供しか入園できない幼稚園や学校などもあった。そういった幼稚園や学校は、鉄道関係者以外の子弟を受け入れるようになった現在も、いわゆる裕福な家の子供たちが通う、教育レベルの高い学校として名をはせているという。

元鉄道関係者向けの幼稚園の庭。遊具まで列車元鉄道関係者向けの幼稚園の庭。遊具まで列車

保養施設がホテルに

 鉄道関係の文化と言えば、中国にも独特のものがあり、鉄道関係の仕事に従事する者を養成するための専門学校も各地に多数ある。ただし、中国の鉄道輸送は旅客も貨物も含め、今もすべて国有企業が担っているが、ロシアでは貨物の輸送関係などの一部は民間企業が担っている。
 とはいえ、そういった非国営企業の関係者でも、定期的に鉄道関係者専用の保養施設に滞在する権利を有していたりして、ソ連時代から続く福利厚生制度の名残による恩恵を受けている。バイカル湖岸鉄道沿いにも、同種の保養施設が点在している。
 もっとも今は、沿道の大半の宿泊施設は一般の観光客を受け入れており、中には古い鉄道の車両がそのまま客室に改造されたホテルもある。筆者がそのホテルを訪れた時、到着してまず驚いたのが、ホテルが鉄道駅から文字通り数メートルの位置にあることだった。理由はすぐに分かった。湖岸鉄道はもともと二車線で、やがて線路の片方が廃線となったのだが、その廃線となった車線に引き入れられた車両が線路ごとホテルの建物へと改造されていたのだ。

シャルイジャルガイの列車型ホテルシャルイジャルガイの列車型ホテル
左の通路を進むと、そのままシャルイジャルガイ駅へ左の通路を進むと、そのままシャルイジャルガイ駅へ

泣きっ面にハチの観光業

 筆者がバイカル湖岸鉄道を訪れたのは、本来ならシーズン真っ只中の8月だったが、コロナ禍の影響で、沿線を訪れる観光客もホテルの宿泊客も激減していた。そもそも、シベリアでの森林火災が深刻になった近年は、沿線での野外バーベキューなども禁止されたため、その時点から観光客はぐっと減っていたという。さらに今年は沿線でクマが出現したというニュースもあり、キャンプをするのであれば細心の注意が必要となっていた。加えて、先述のトロッコの事故やがけ崩れによる運行停止なども考慮すると、観光業への打撃は大きかったに違いない。
 そこに追い打ちをかけたのが、今回の地震だった。震源地一帯の家屋の倒壊などを把握するための調査が入ったため、無許可のまま違法に建てたり増築されたりしていたホテルが摘発され、休業を余儀なくされたという。
 現地の旅行業者にとってはまさに「泣きっ面にハチ」の情況となっているわけだが、沿線が先述のような危うさを秘めた「秘境的」観光地であることを思うと、ただひたすら観光客が増えればよいとも願えないのが、難しいところだ。
 そもそも、鉄道遺産を引き立てるバイカル湖の美しさはもちろん、疫病や地震だって自然がもたらすもの。豊かな魅力で人を癒してくれるのも自然なら、社会の問題をあぶりだすのも自然、ということなのだろう。

列車の車窓から見たバイカル湖列車の車窓から見たバイカル湖
コラムニスト
多田 麻美
多田 麻美
フリーのライター、翻訳者。1973年静岡県出身。京都大学で中国文学を専攻後、北京外国語大学のロシア語学科に留学。16年半の北京生活を経て、2018年よりロシアのイルクーツクへ。中国やロシアの文化・芸術関係の記事やラジオでのレポートなどを手がける。著書に『老北京の胡同』(晶文社)、『映画と歩む、新世紀の中国』(晶文社)、『中国 古鎮をめぐり、老街をあるく』(亜紀書房)、訳著に王軍著『北京再造』(集広舎)、劉一達著、『乾隆帝の幻玉』(中央公論新社刊)など。共著には『北京探訪』(愛育社)、『北京を知るための52章』(明石書店)など。