シベリア・イルクーツク生活日記

第14回

愛国教育と子供たちを取り巻く環境

不思議な依頼

 先日、少し興味深い体験をした。イルクーツクから北西へ70キロほどのところにあるアンガラ川沿いの町、ウソリエ・シビリスコエという町の小学校で生徒たちに話をする機会があったのだ。現地に住む友人に、生徒たちの見識を広げるため、自分の仕事や日本について自由に語って欲しい、と頼まれたのがきっかけだった。

 じつは最初、この誘いそのものに驚いた。戦時下にあるロシアでは、どうしても愛国教育を重視せざるを得ない。喜んで国や軍隊を支える人々を育てねばならないからだ。だが日本は一応、現時点ではロシアにとって非友好的な国とされている。そんな国の人間をよりによって今、学校の教壇に立たせるなんて、不思議だった。しかも私はジャーナリストとして自分の職業の説明をしてほしいと頼まれたのだった。結局、「自分は物書きではあっても、政治や社会の問題を追う本格的なジャーナリストではないから」と断り、「日本がどんな国か、説明をするだけなら」という条件で引き受けることにした。そもそも今のロシア国内では本格的なジャーナリズムが存在しづらく、ジャーナリストの定義も独特だと感じていたのも、そう答えた理由の一つだった。

ウソリエ・シビリスコエ駅ウソリエ・シビリスコエ駅
町が築かれるきっかけとなった塩の泉町が築かれるきっかけとなった塩の泉
ロシア語で「アイ・ラブ・ウソリエ」と書かれたグラフィティロシア語で「アイ・ラブ・ウソリエ」と書かれたグラフィティ

 歴史を1669年まで遡ることができる人口74000人前後の小都市、ウソリエ・シビリスコエは、アンガラ地方ではもっとも古い町の一つで、コサックの兄弟がここで塩の泉を発見し、塩田を築いたのが始まりだ。とくに20世紀半ばからは製塩業が発達し、化学工業の発展にも力が注がれた。その反面、環境汚染も問題となってきたが、筆者が訪れた時の印象では大気も綺麗で、住宅街については目に見える形での汚染はほとんど感じられなかった。むしろ、イルクーツクよりごみが少なく、街が清潔であると感じたほどだった。友人にそれを伝えると、「地元の努力の賜物」とのことで、住人が町を愛し、その環境に気を配っていることが感じられた。その後、私は街の美化のための奉仕活動もロシアでは愛国教育の範疇に入るのだと気づくことになるのだが。

国に栄光あれ!

 約束していた朝、学校へと向かった。シベリアの小都市の小学校らしく、学校の敷地は広々としていて気持ちよかった。だが、校舎の入り口が近づくと、入り口の上に「国に栄光あれ!あなたを誇りに思います!」という言葉があるのに気づき、ドキリとした。日本の学校ではまず見かけることのない言葉だった。

話をすることになった小学校話をすることになった小学校
小学校の入り口小学校の入り口

校舎内に入り、廊下を進むと、少し広くなった場所に赤い星のオブジェがあり、その周りの壁に対独戦勝記念日をテーマにした、愛国主義的な絵がずらりと掛けてあった。それ以外はロシアではよく目にする、自由に本を置いたり持ち帰ったりできる交換式の図書コーナーがあったぐらいで、とくに驚かされることもなく、私は小学校3年生のクラスに入った。

対独戦勝記念日をテーマにしたコーナー対独戦勝記念日をテーマにしたコーナー
本を持ってきたり、持ち帰ったりできる本棚本を持ってきたり、持ち帰ったりできる本棚

 そもそも、ロシアの学校制度は、日本と少し差がある。義務教育は3つの段階に分かれていて、ナチャリナヤと呼ばれる段階は1年生から4年生まで、アスノバヤと呼ばれる段階は5年生から9年生まで。スレドニャヤと呼ばれる段階は10年生から11年生だ。これに 成績に応じて進学できる専門学校や大学があり、働きながら学べる夜間クラスもある。

 ちなみに、ウソリエシビリスコエで最初の学校を開いた人は、勤勉さで知られたマリオフ氏という人物なのだそうだ。「人々に光をもたらした」人物として、現在も語り継がれており、教育に力を入れる伝統も保たれたという。

好奇心いっぱいの子供たち

 教室で実際にどのような話をするかは、事前にほとんど何も決めていなかった。生徒たちに質問をさせて、それに答える形で進めてもいいと思っていたのだ。画像資料も、始まる直前にスマホからクラス担任の友人に送ったものだけだった。ロシアの多くの学校と同じように、その学校でも教室の教壇の上に、つねにWIFIにつながれたコンピュータがあって、教師が授業で説明をする時に役立てている。私が送ったデータも、教師の手元にあるコンピューターを通じて、すぐにその画面に映った。

 私は最初に日本の地理的条件の説明、自然条件、人口規模などを話したあと、多少歴史の説明をしながら、京都や東京の写真を見せた。
 「日本にはいくつ町があるの?」
 「何か日本語で書いてみて!」
 子供たちからはしきりに質問が来るので、一つ一つのことがらを最後まで説明するのも難しいほどだった。一人、小学3年生とは思えないほど博識な少年がいて、「日本と中国は大きな戦争をしたんだよね」「広島には原爆が落ちたんだよね」などと、話の合間に知っていることを話してくれた。私からも、日中戦争や原爆投下についてどう教わっているのか質問したくなったが、もちろんそんな暇はなく、次の質問が飛んできた。
そんなこんなで、予定していた45分はあっという間に過ぎていった。

 終わった後、私は爽快感に包まれた。子供たちの好奇心の強さが、嬉しかった。ロシアではおおむね、大人が私に日本のことについて、ここまで好奇心を露わにしてあれこれ質問してくることは少ない。日本人の存在がとても珍しくなった現在でもそうだ。

 理由はよく分からない。聞かなくてもネットなどですぐに情報が得られるからか、ぶしつけだと遠慮するからか、恥ずかしがっているためか、そもそも興味がないのか。日本語を学んでいる大学生であってもあまり質問をしなかったりするので、文化的な差なのかもしれない。考えてみれば、外国語を学んでいる日本人だって、その言葉のネイティブを前に、あれこれ質問をするとは限らない。だが今回のことで、子供たちは違うのだと気づいた。私は彼らが、今後も日本や海外のことに好奇心を抱き続けてくれることを願った。

盛んな文化活動

 ウソリエ・シビリスコエには、博物館とギャラリーを兼ねた施設があり、そこではおもに地元の人々を対象にした講演や公演が頻繁に催されている。私が訪れた日も、地元の住民を前に、詩人が講演をしたり、民族衣装を着た子供や大人たちがロシアの伝統的な踊りや歌謡を披露したりしていた。

地元の子供がロシアの伝統的な歌とダンスを披露地元の子供がロシアの伝統的な歌とダンスを披露
イルクーツクから招待された詩人の講演イルクーツクから招待された詩人の講演
伝統文化の愛好者によるロシア民謡の合唱伝統文化の愛好者によるロシア民謡の合唱

 また、地元のガイドが丁寧に博物館の展示物の紹介をした後、ウソリエ・シビリスコエの各地を巡り、現地の特色や見どころをとても詳しく、熱心に紹介してくれた。ガイドは現地で教育関係の要職についている知人が特別に手配してくれたのだった。

 イルクーツクに戻った後、私はロシアの愛国教育の具体的な内容が知りたくなり、ロシア教育省のサイトを調べた。2021年から2024年までを実施期間とする、愛国教育のプロジェクトの説明があった(その後、期間を2026年までに延長)。

 その説明によれば、連邦プロジェクト「ロシア連邦国民の愛国心教育」は、ロシア国民全体の愛国心教育のシステムを確立させるためのものだった。そのプロジェクトでは、一般教育や職業教育を行う機関に新たな教育の動きをもたらし、愛国的なイベントを実施するための準備を行わせるという。また「英雄との対話」というプロジェクトを行い、青少年をロシア連邦の英雄、ソ連の英雄、労働の英雄などと会わせ、対話、会話、簡単なインタビューなどの形式で交流できるようにする。その他にも、プロジェクトには、愛国的活動をする人々を集めたフォーラム、戦死者や戦争の犠牲者の記録、戦没兵士の墓の整備、遺品集め、歴史の保存や文化遺産の保護方法の検討、歴史の改ざんから青少年を守ることなどが含まれるという。

ウソリエ・シビリスコエの博物館の展示物ウソリエ・シビリスコエの博物館の展示物

 私ははっとした。博物館や街を案内してくれたガイドの方の熱心な働きぶりも、子供たちがロシアの伝統文化を学び、披露していたことも、そしてひいてはイルクーツク市のあちこちで進む伝統建築の復元や保護の活動も、その多くが1086億ルーブルの予算が組まれた「ロシア連邦国民の愛国教育」の流れを汲むものだったと気づいたのだ。今思えば、私が小学校で話をしてほしいと誘われたことも、期待に応えられたかどうかは別として、その一環だったのかもしれない。

ネットへの依存

 一方、そういった「公式の教育」とは対照的なのが、インターネットや家族、知人友人などから得る、非公式の情報による学びだ。とくにネットの情報がもたらしている影響の大きさは、子供や若者が話す言葉などから、筆者も日々感じる。

 中国でも21世紀に入ってからネット依存の問題が深刻化し、社会問題になったが、建前的な教育制度やシビアな現実世界を息苦しく感じ、より自由で娯楽的要素にも満ちたインターネットの世界に逃げる若者が多いのはロシアも同じらしい。ロシア連邦政府の発行している新聞、ロシースカヤガゼータ(ロシア新聞)に掲載された記事によると、そもそも2016年の時点で、ロシアのブロードバンドのユーザー数はヨーロッパで1位になっている。同時点ですでに、インターネットに夢中になっているロシアのティーンエイジャーの割合はアメリカやヨーロッパを上回っていたという統計もある。実際、私の知り合いにもここ数年、自分の子供や兄弟がネット依存症になり、家からほとんど出ないと語る人が何人もいる。

 ロシアでは青少年のスマホ依存も問題で、報道によると親の50%から80%が自分の子供がスマホ依存症だと考えているそうだ。その一方、筆者が観察する限り、子供の横で携帯の画面を見つめ続けている親も多い。実際、子供の40%から70%が、「自分の親が携帯電話を使いすぎている」と答えたというアンケート結果があるそうだ。依存症だと自覚している人も多く、RBCというテレビチャンネルの報道が引用した、とあるポータルサイトの2023年の調査結果によれば、ロシアでは8人に1人が自らをインターネット依存症だと認めている。つまり、子供だけでなく、大人の側の依存もかなり深刻だということになる。

 ロシアでは世界中で人気を集めているソーシャルネットワークサービスやストリーミングサービスの多くがブロックされていることを考えると、ネット依存が深刻だというのは皮肉だ。実際は多くの人が特殊な方法で禁じられているSNSサービスを閲覧したり、同種のサービスのロシア版に依存したりしているのだろう。カップルや友人同士が、互いに隣同士で座っているのに、それぞれスマホの画面を見つめているという光景は、ロシアでも決して珍しくはない。友人の子供などは、まだ幼稚園児なのにスマホを使いこなし、写真を加工する機能とぬいぐるみなどの小物を駆使して、「モデル撮影」遊びをするのが大好きだ。

 ネット依存の治療を手掛ける施設もあるようだが、そもそもロシアではまだあまり病気として認められていないこともあり、残念ながら治療法が確立しているとはいえない。

教会の祝日の賑わい

劇団ペトルーシュカの人形劇とその観衆劇団ペトルーシュカの人形劇とその観衆

 そんな事情から、ネット依存の問題に心を痛めていたある日、心の和む風景に出会った。それは、とある正教会の創建120周年の記念日のことだった。人形劇を手掛けている友人のウラディーミルがその教会で人形劇の公演をすると言うので見に行くと、素朴で手作り感あふれた舞台の周りに多くの子供たちが集い、歓声を上げていた。他にも地面でのお絵描きや、輪投げ、パズル、ゴム跳び、シャボン玉遊びなど、いかにも子供向けの遊びを提供している場所がいくつもあり、子供たちが大はしゃぎで遊んでいる。

自由に絵が描けるコーナー、地面もチョークで自由に絵が描ける自由に絵が描けるコーナー、地面もチョークで自由に絵が描ける
シャボン玉で遊ぶ子供たちシャボン玉で遊ぶ子供たち

 先述のスマホ依存の影響もあるのだろう。日本と同じく、ロシアでも普段、街中で子供たちが子供同士で遊んでいる姿を見かけることはほとんどない。農村部はまだましだが、それでも多かれ少なかれ同様の傾向が見られる。幼稚園や小学生の子供を持つ友人たちの話でも、「子供が子供同士で外で遊ぶことはほとんどない。幼稚園や学校から帰ったら家で遊ぶだけ」とのことだった。

 だがその日は、親の同伴とはいえ、子供同士が集まって自由気ままに遊んでいた。ゲームやパズルなどは大人も夢中になっていたりした。鐘も鳴らし放題、絵も描き放題。着ぐるみのマスコットやピエロもいたりするが、あくまで基本は昔ながらの子供の遊びで、日本の遊園地や縁日のように商業的でもない。ただし、すべてがボランティアというわけではなく、劇団などは教会が雇ったという。

皿に重りを載せてバランスをとるゲーム皿に重りを載せてバランスをとるゲーム

 その後私は、その他のロシア正教の祝日でも、子供向けのイベントがあれこれ行われていることに気づいた。
 気になったのは、それらと愛国教育との関連だ。ロシアの正教会と現政権の結びつきが強いことは有名で、愛国心を育てる場として教会が重視されているのも確かだ。だが、私が目にした教会のイベントはかなり子供の自主性に任せたもので、堅苦しさは微塵も感じなかった。そもそもロシアには旧ソ連時代以来の、子供の教育を重視する伝統がある。現在は金銭的に余裕がある家庭向けとなってしまったが、旧ソ連のピオネール活動の流れを汲み、夏は子供たちを大自然でのキャンプ活動に参加させたりすることも盛んだ。夏休みには子供向けの演劇の公演などもある。つまり、社会全体で子供を教え育てるという伝統が今も受け継がれているのだ。その傾向が柔軟で開かれた方向に向かい、子供を取り巻く環境を皆で論じ、より良いものにしようとすることもあれば、愛国教育のように、国を挙げた政策となり、国家にとって都合のよい、堅苦しいものになってしまうこともあるのだろう。

 忘れてはならないのは、ロシアの愛国教育プロジェクトは、街の景観や文化財の保護など、良識ある多くの市民や専門家を取り込みやすい、とても多面的で包括的なものとなっていることだ。だがその趣旨は結局、ロシアの指導者が求める愛国心の称揚にたどり着く。その言葉によれば、それは「国の利益のための直接的な行動」を促し、「国の運命への積極的な参加」を志向させるのだ。国の運命を誰が決めているのかは不問のまま。

コラムニスト
多田 麻美
フリーのライター、翻訳者。1973年静岡県出身。京都大学で中国文学を専攻後、北京外国語大学のロシア語学科に留学。16年半の北京生活を経て、2018年よりロシアのイルクーツクへ。中国やロシアの文化・芸術関係の記事やラジオでのレポートなどを手がける。著書に『老北京の胡同』(晶文社)、『映画と歩む、新世紀の中国』(晶文社)、『中国 古鎮をめぐり、老街をあるく』(亜紀書房)、『シベリアのビートルズ──イルクーツクで暮らす』(2022年、亜紀書房刊)。訳著に王軍著『北京再造』(集広舎)、劉一達著、『乾隆帝の幻玉』(中央公論新社刊)など。共著には『北京探訪』(愛育社)、『北京を知るための52章』(明石書店)など。
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