シベリア・イルクーツク生活日記

第2回

コロナ禍を耐える底力

観光客への素早い対応

 言うまでもなく、現在、世界は新型コロナの話題でもちきりだ。ロシアも例外ではない。そこで、ロシアの地方都市の状況を伝えるという意味でも、今回はやはり、コロナ禍の影響下にあるイルクーツクの現状についてお伝えしたい。
 まず最初に、もともと閉鎖性の強い国柄であり、また中国とは長い国境でつながっていることもあって、まだイルクーツクでは感染者が確認されていなかった2月中旬頃から、ロシアの国境管理はわりと毅然としたものだった。2月20日には、中国国籍の人々に対しては、旅行ビザの発給も留学生の新規受け入れも停止され、街角からは旅行者はもちろん、留学生の姿も消えた。
 もちろん、一気にすべての中国人を国境から出すのは無理だったようで、春節休暇中にロシア旅行に来たものの、予定していた便での帰国ができなくなった中国人観光客がイルクーツクの某ホテルで大勢、待機していると言われ、そのホテルの窓にも明かりが煌々とついていた。だが、外出の制限が徹底していたらしく、彼らが町中を歩いている姿は見かけなかった。
 また実のところは、中国との国境こそほぼ閉じてはいても、当時はまだ多くのロシア人がまだ東南アジアやヨーロッパなどへ海外旅行に出ており、感染者が出ている国からの帰国者もいた。にもかかわらず、自分たちは大した影響は受けないだろうというような、根拠のない楽観的な雰囲気があり、マスクをしている人なども見かけなかった。

人影が消えた街

 身近な人の間で、初めて感染者に関する話題が出たのは、3月下旬に、ヨーロッパや中東方面から戻ってきた関係者に疑われる症状があるとして、某機関が閉鎖され、関係者がすべて自宅待機を命ぜられた頃だ。やがて感染者が2人いるという情報が入ったが、何せ日本の2倍以上の面積をもつイルクーツク州全体でのことなので、まだ緊迫感を感じるほどではなかった。
 多くの人々がマスクや手袋をしたり、在宅ワークを増やしたり、といった動きが出てきたのは、じつは4月に入ってからだ。
 モスクワを中心に、ロシア各地で感染者が急増したこともあり、いよいよ5月1日までを「非労働日」とするという規定が施行され、生活に不可欠な食料品、医薬品、モバイル通信などを扱う店舗や病院などを除いては、基本的に営業停止が命じられた。また、食料品関係でも、人が集中する市場や大型スーパーは閉鎖された。これらはすべて強制力のあるもので、違反すると罰金を取られる。市民の生活にも制約が課され、必要不可欠な外出以外は慎むように、という通知が出された。
 SMSや街頭での呼びかけなども功を奏してか、すぐに街は静まり返り、初日からの数日などは、驚くほど人影が消えた。普段、こちらの人々の法律や規定を守ろうという意識は、そこまで強くないと感じていただけに、歩行者や車通りがほとんど絶え、眠り込んだようになった街の風景には、意外さとともに、本気で警戒せねばならない状況になったのだ、という緊張感を覚えた。
 ちなみに、もともとブリヤート人などのアジア系の人々が多く、長年、アジア系住民と共生してきた土地柄でもあるからか、新型コロナウイルスが流行し始めてから今にいたるまで、少なくとも私の周りでは、アジア人差別のようなものは目にしていない。ただ目立っていないだけなのかもしれないが、現在のような状況に長く耐えるには、やはりありがたい条件ではある。

阻み切れない市民生活

街角の彫刻もマスクを装着街角の彫刻もマスクを装着

 街が静まり返る状態は、1週間余り続いた。だが、市民の生活を保障する政策がまだないこともあり、「非労働期間」が半分余り過ぎた現在、この規定はかなり緩みつつある。閉じられていた市場は再開され、レストランもデリバリーや街頭販売などのサービスを始めた。
 そもそもロシアではペレストロイカ後、貨幣の価値が暴落した上、今も経済制裁によってルーブルの価値が下落し続けているため、人々に「いざというときのために貯金をしておこう」という意識が薄い。必死でお金をためても、その価値が数年後にはガクッと落ちてしまうかもしれない、という警戒感があるから当然だ。つまり、「職あってこその食」で、失業すれば即、路頭に迷うか借金まみれ、というぎりぎりのラインで生きている人が目立つ。ゆえに、収入を失うよりは感染のリスクを冒してでも仕事を続けたい、という人は少なくない。
 だがその一方で、ここ数日、感染者の数は増え続ける一方で、人々のマスク姿も急増している。感染者が増えたため、近郊の町には半ば封鎖されているところもあると聞く。つまり今現在、イルクーツクの街に戻りつつある活気には、どこか痛々しい緊張感がある。

自給する文化

 そんな環境に身を置くなか、改めて感じたのは、今回の災禍で、混乱の緩和に役立っているのが、ロシアの人々の食料の自給率の高さだ、ということだ。もちろん、広大な農村部を抱えていることは長所ばかりではなく、大都市から離れた、医療制度の整わない農村で新型コロナが流行すれば大きな問題となる。だが地域、または個人の食料の自給率が高ければ、流通のストップによる食品不足には対処しやすい。
 実際、新型コロナが流行り始めたころ、テレビのニュースで、こんな風景が報道された。農村のおばさんがたくさんのビン詰め野菜が並ぶ自宅の倉庫を指さし、「食料はたくさんあるから大丈夫」とテレビカメラに向かって話していたのだ。
 所詮、それは農村での話だろう、と思われるかもしれない。だが、ロシアではこの映像は、都市の住民にとっても、十分に参考になる。そもそも、ロシアでは都市部に住んでいても、郊外などにダーチャと呼ばれる別荘を所有していて、そこの自家菜園で野菜や果物を栽培している人が多く、余った農作物を保存したり、親戚や友人などに分け与えたりする風習もある。体制の変化や経済制裁によって経済が混乱しても、人々が耐久力を発揮できた理由の一つに、しばしばこのダーチャの存在が挙げられるほどだ。

手入れされる前のダーチャの庭手入れされる前のダーチャの庭
ダーチャのペチカに使われる薪ダーチャのペチカに使われる薪
とあるダーチャで昨年、収穫されたトマトとあるダーチャで昨年、収穫されたトマト

恵まれた自然環境が強みに

 つまりテレビで流れた映像は、人々に「自給」文化の大切さを示唆しつつ、「食料の確保」をソフトに促すには、効果的なものに違いなかった。直接食料品店や市場に駆け込んで買いだめをするよう促せば、混乱が起きかねない。だが、農作物の収穫が見込める人たちが、保存食品をより念入りに準備する程度なら、混乱には至らない。
 実際、その後、知人でダーチャを持っている人々から、「休んでいた耕地を再び利用し始めた」とか、「耕地を増やした」という話が耳に入ってきた。「非労働期間」はイルクーツク市内を流れるアンガラ川で釣り三昧、または遠い北の森の中に出かけて狩りをしている、という友人たちも現れた。
 その話を聞いた筆者は、ダーチャ文化、漁猟文化が身近であるために、いざとなれば、プロの農家や狩人、漁師並みに食料を調達できる人が多いというのは、じつは社会全体を不測の衝撃から守るのにとても有効なのでは、ということをしみじみと感じた。
 もちろん漁業や狩猟が可能という点には、イルクーツクの自然条件も大きく関わっている。イルクーツクは、世界一の透明度を誇るバイカル湖が近くにあるだけでなく、そこから流れ出ているアンガラ川沿岸の最初の都市でもある。そのため、市の中心部近くでも水産資源が豊富で、「釣り人」だけでなく、「漁師」も少なくない。

アンガラ川沿いに停泊する漁船アンガラ川沿いに停泊する漁船
アンガラ川で漁をする人々アンガラ川で漁をする人々

 また、タイガがすぐ近くまで迫っているため、そう遠方まで行かなくても、狩りができる。そのような条件で得られた魚や肉を手軽に賞味でき、自然の直接の恵みを感じられることは、こちらの人の自然に対する意識や感覚に少なからぬ影響を与えているように感じる。

自然と親しむ知恵

 隣の中国とあえて比較するなら、こういった条件は、農業人口が多く、都市の富裕層の間で自家菜園を持つことが流行している中国でも、ある程度までは当てはまるかもしれない。街中でたまにニワトリなどを飼っている人がいる、つまり卵や鶏肉を自給している人がいるのも、共通の風景だ。
 だがその一方で、ロシアの「自給自足」文化を強化させている特殊な背景もある。それは市販食品の価格の高さだ。
 シベリアで生活を始めてまず感じたのは、人々の平均的な収入と比べると、スーパーなどで売られている食品の値段がかなり高く感じられ、しかも予想以上に輸入食品が多いということだった。ロシアの家庭のエンゲル係数が平均50%で、日本の約2倍であるのも、貧困層の割合だけでなく、食品価格の高さが影響していると考えられる。
 そもそも、市販の食品の値段というものは、流通コスト、生産の技術や拠点やコスト、為替レート、関税の割合、卸売価格など、複雑な要素によって決まる。一方、自家菜園で自給すれば、個人で制御できない条件は、恐らく気候や天候だけだ。
 もちろん、今後起こり得るリスクに備えて、すべての人が自家菜園を持つというのは現実的ではない。だが、感染を防ぐための制限が強まる中で、自然の多い環境に避難し、思わぬ癒しを得ている人はロシアに限らずとも多いようだ。
 不意打ちのような新型コロナの蔓延を、自然界からの何らかの警告のように感じた人は筆者以外にも多いかもしれない。だが、自然界からもたらされた危機を救ってくれるのも、やはり自然なのではないか。私は、今回のコロナ騒動が、人間と自然や自然の恵みとの関係を見直すいい機会であるような気がしてならない。

コラムニスト
多田 麻美
フリーのライター、翻訳者。1973年静岡県出身。京都大学で中国文学を専攻後、北京外国語大学のロシア語学科に留学。16年半の北京生活を経て、2018年よりロシアのイルクーツクへ。中国やロシアの文化・芸術関係の記事やラジオでのレポートなどを手がける。著書に『老北京の胡同』(晶文社)、『映画と歩む、新世紀の中国』(晶文社)、『中国 古鎮をめぐり、老街をあるく』(亜紀書房)、訳著に王軍著『北京再造』(集広舎)、劉一達著、『乾隆帝の幻玉』(中央公論新社刊)など。共著には『北京探訪』(愛育社)、『北京を知るための52章』(明石書店)など。
関連記事