狼の見たチベット

第16回

Peace March

 我が輩は狼である。2008年3月に起きたチベット騒乱、チベット全土で数百人のチベット人たちが命を奪われ、数千人のチベット人たちが今だ中国当局によって拘束されている。あれから2年、2010年の3月はどのように過ぎたのだろうか。

 欧米やインドでは、例年のごとく3月10日には大規模なデモが行われた。3月10日は、1959年にダライラマを守るためにラサの市民たちが蜂起した日だ。毎年、世界各地のチベット人や支援者たちは「チベットの自由」「ダライラマの長寿」等をスローガンに掲げて、この日にデモを行う。
 お前さんたちの国では3月10日ではなく週末の3月13日に東京で在日チベット人コミュニティ主催でピースマーチ(平和の行進)という名前で160人ほどでデモが行われた。March という言葉には「デモ行進」という意味もあるが、元来の意味は「兵士による行軍」である。そう考えると Peace と March という言葉は、相容れない言葉にも思えるが、チベット人たちが50年間続けている「非暴力による戦い」にはよく合致した名前かもしれない。願わくば、この「Peace March」が一日も早く「平和の行軍」ではなく、ただの「平和の3月」になって欲しいものだ。

13日午前中中国大使館前で行われた抗議 3月はチベット人やチベット支援者側だけの記念日があるわけではない。中国政府も3月にチベットに係わる記念日を一つ定めている。3月28日「農奴解放記念日」だ。1959年3月28日にチベット本土のチベット人による政府を完全に解体した日として、2009年に定められた祝日だ。
 2008年の騒乱を受けて、中国政府としてはチベットへ軍隊を進めたことは、侵略ではなく奴隷のような暮らしをしていた農民たちを解放するためのものだったという宣伝が必要と感じたらしい。そう思うのならば、そんな記念日を作るよりもチベットに暮らしている連中に実際に解放されたと感じるような政策をとればよいと思うのだが、どうやら中国の要人たちは「北風と太陽」のような寓話を読んだ経験はないようだ。

13日午後六本木で行われた PeaceMarch それでは2010年の3月、実際のチベットに暮らす人々は、どんな風に過ごしたのだろうか。 3月14日、2008年にチベット騒乱が起きた日と言われているこの日、平静どおり営業を行えという中国政府の命令に反して、ラサにあるチベット人たちの店の多くは営業を休んだ。もっとも、以前も話したようにラサでは中国人が経営する店のほうが今では多いため、そこまで目立つ光景ではなかった。
 しかしながら、目でなく鼻で見る我が輩をごまかすことはできなかった。なんだ、ラサで店を開けてるのは中国人ばかりかと気づいた我が輩は、ラサの街を離れ東方に走ってみた。
 チベット自治区を離れアムド地方、中国の地名表記では甘粛省マチュ県に入った我が輩は、ちょうど昼ごろ30人程の十代前半の子供たちの集団を見かけた。すでに人間社会のことに精通していた我が輩には、彼らが中学生と呼ばれる集団であることは容易に判断できた。彼らは、町の中央にくると、口々に叫び始めた。
「自由がないことに抗議する」
「チベットに独立を」
 おいおい、子供ばかりでそんなことを叫んで、危ないじゃないか。もっとも大人がいても危ないことはすでに証明ずみではあるが。などと、我が輩が思っていると、チベット人たちも同じことを考えたのか、次々に大人たちが抗議の集団に合流していった。500人、いや600人ほどに抗議者たちの人数が膨れ上がったころだろうか、治安部隊が鎮圧にやってきた。
 けっきょく40人程のチベット人たちが当局に拘束され連れ去られ、その抗議は一旦幕を閉じた。しかし、チベット人たちも仲間が連れ去られて黙って引き上げたわけではなかった。彼らは市庁舎の前に集まると、連れ去られた者たちの釈放を求めた。それに対して、中国政府は、どう応えたか? 読者諸兄には、容易に予想がつくと思うが、チベット人たちの願いは聞き入れられなかった。さらに多くの治安部隊が投入されたに過ぎなかった。

13日夜に護国寺で行われた追悼 同じ日、アムドの別な場所で若い僧侶たちが連行されていく姿も見かけた。まだ20歳になったか、ならないかぐらいの3人の僧侶たちだった。青海省海東地区化隆県にあるディツァ僧院という寺の僧侶だそうだが、寺の周辺に「チベットに自由を」「ダライ・ラマ法王万歳」と書かれたポスターが貼られた犯人としての連行のようだった。
 彼らのうち一人は2日後に釈放された。彼がトゥルク(活仏)だったため住民の反発を恐れてのことのようだったが、残りの2人はいまだ釈放されていない。

 3月16日、アムドの別な中学校でも生徒たちが抗議行動を起こそうとしたが、彼らは校庭から出ていく前に警備員によって阻止された。そして3月17日には、もう一件の大きな事件が起きた。甘粛省甘南チベット自治州合作市で少なくとも20人の高校生が抗議を行おうとして中国当局に拘束されたのだ。
 中国がチベット人たちを拘束している拘置所が不衛生で過酷な場所であることは、以前のコラムでも触れたとおりだ。20人の子供たちが健康なまま釈放されることを、我が輩も切に願う。

14日に抗議を行った子供たちが通っている中学 抗議が相次いだのは何もアムドに限ったことではなかった。自治区内では、なんと小学生たちが中国政府に対する抗議を行ったのだ。3月22日、チベット自治区ナクチュ県ディルで20人を少し超える程度の子供たちが集まり、スローガンを叫んだ。
「ダライ・ラマ法王、長生きして!」
「チベットに自由を!」
「中国なんかチベットから出ていけ!」
「ダライ・ラマ法王、チベットに帰ってきて!」
子供たちは、やがて治安部隊に包囲されてしまい、彼らの親は公安によって取り調べを受けた。

大人だけでなく子供たちまでが口々に自由を求める、これが中国政府が言うところの「農奴解放」の成果らしい。

コラムニスト
太田 秀雄
1971年福岡に生まれる。地元筑紫丘高校を卒業後、九州大学で生物学を専攻する。コンピュータプログラマを生業とする傍ら、いまだに学究心が捨てきれず大学に戻ろうと画策している。2008年3月のチベット騒乱を機にチベット支援に積極的に関わるようになり、国内外のチベット支援者や亡命チベット人達と広く交友関係を持つ。チベット支援をしているものの、別段中国の全てに否定的というわけではなく、とくに『三国志』や中華料理は大好きである。尊敬する人物は、白洲次郎、ホーキング博士、コルベ神父。
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