我が輩は狼である。
ここ数日、野菜やツァンパ(麦を乾煎りしたものチベット人の主食)ばかりを食べているチベット人たちを時折見かける。どうやらサカダワの季節が来たようだ。いきなり聞きなれない言葉に戸惑うものもいるかもしれないので説明することにしよう。サカダワとは、チベット歴の4月のことだ。正月のことをロサルと呼ばれのと同じようにチベット人たちはチベット歴の4月をサカダワと呼ぶ。
なんだただの月の名前かと、わざわざ説明を聞いて損したと思うものもいるかもしれない。しかしチベット人たちにとってサカダワは大事な意味がある月なのだ。承知の通りチベットは仏教国で、チベット人の多くは敬虔な仏教徒だ。そして仏教徒にとって4月は重要な月だ。チベット語で「ダワ」とは「月」を意味する。サカダワとは「サカ」の「ダワ」、すなわち釈迦の月という意味だ。釈迦の誕生日も、悟りを開いた日も、そして死んで仏になった日もチベット暦に換算すると4月の満月の日になる。そのため4月を釈迦の月サカダワと呼ぶことにしようと、古代のチベット人は定めたのだと推測することができる。
チベットに限らず、アジア各地の仏教圏で4月に釈迦の誕生日を祝う風習がある。中国ルートで仏教が伝来した地域では4月8日、インドから直接伝来した地域では4月の満月を、それぞれ釈迦の誕生日としていることが多い。南アジアや東南アジア諸国ではウェーサーク、あるいはこれが訛った言い方でこの日を呼び祭事を行う。ウェーサークの語源は、サンスクリット語の2月だ。
旧暦で釈迦の誕生月が4月だと言ったが、その時期はインドの暦では2月になる。そこで、2月を意味するサンスクリット語のウェーサークが、釈迦の誕生を祝う祭りの名前としてアジア各地に広まったのだろう。
一般に日本では、キリストの誕生日であるクリスマスは良く知られているが、釈迦の誕生日の方は年配の人か敬虔な仏教徒以外にはあまり知られていない。それでも、日本でも釈迦の誕生日には「花祭り」というイベントをお寺で行っている。「花祭り」は正式には灌仏会と言い、毎年4月8日を釈迦の誕生日と考えて、その日を祝う儀式だ。その日は灌仏会法要と呼ばれる法要を行い、釈迦の生まれた時に龍神が現れて神酒を注いだという伝説にちなんで参拝者に甘茶を振る舞い、大きな寺や仏教系の小学校や幼稚園では稚児行列を行ったりする。
さて話を戻してサカダワだが、サカダワの期間中チベット人の中には肉食を避けるものや、その期間だけは怒らないようにしようとする者がいる。
なぜなら、サカダワの期間は良いことをすると、その功徳が通常の数百倍になるという大変お得な期間なのだ。その代わりに悪いことをした場合も数百倍になってしまうので注意が必要だ。数百倍というアバウトな数字なのは、実は一年ごとに功徳の倍率が違うのだ。お得度が高い年や、お得度の低い年があるということだ。
しかし功徳数百倍とは、ポイント10倍セール以上にお得で、本当にいいのかと少し心配になる。だが良く考えると、マニ車(手でクルクル回せる道具、中に経文が収められている)といった一回転させればお経を一回唱えたのと同じ功徳があるといった便利グッズがあったり、チベット人という連中は、けっこう仏教と気楽につきあってるのかもしれない。
中にはCDの表面に真言を印刷し、一分当たり200回〜450回(CDの回転速度は内側を読むときほど早く、外周部を読むときほど遅いので回転数は一定ではない)の功徳を積んでいるというツワモノもいるらしい。さすがにマニCDまでいくと、一般的な話でなく、そういう個人がいるという話だし、本人もそれで本気で毎分数百回の功徳を積もうなどとは考えていない。ニヤリと笑うためのジョークだ。
チベット人にとっては仏教は完全に生活に溶け込んでいるので、24時間365日真面目に功徳を積んでいたら、いくらなんでも肩が凝ってしまいそうだし、このくらいの付き合い方で丁度良いのだろう。
さらに言えば我が輩も詳しくは知らないがチベット歴には、この日は功徳一万倍とか、あるいはそれ以上の特別日もあるそうだ。おそらく、釈迦の誕生日当日は、そうとうに倍率が高いに違いない。西暦2010年5月28日が、チベット暦2137年のサカダワの満月だ。この日は、諸君らもいつもよりほんの少しだけ良い人ぶってみるのも良いかもしれない。