廣田裕之の社会的連帯経済ウォッチ

第05回

中南米発の連帯経済

 ここまでは、どちらかというと欧州的な社会的経済にポイントを当てて紹介してきました。今回はその社会的経済と共通する点を持ちながらも独自の運動として発展している中南米の連帯経済をご紹介したいと思います。
 中南米は、米国のすぐ南隣にあるメキシコから南米最南端のチリ・アルゼンチンまでの非常に幅広い範囲にわたりますが、この地域の大部分はスペイン(ブラジルはポルトガル)の植民地支配を長年受けており、それにより言語(スペイン語・ポルトガル語)だけでなく、宗教(カトリック)や社会構造などの面で共通点が多くなっています。スペイン語とポルトガル語は非常に似ており、国際会議などの場面では通訳なしで理解可能なほどですが、このような共通点が多いことから中南米では以前から地域統合の動きが盛んです。

中南米の地図

▲中南米の地図

 これら中南米の国の大部分は19世紀初頭にスペインやポルトガルからの独立を達成しましたが、独立後も経済発展はうまく行かず、その結果英国や米国資本が進出して、これらの国に原材料を供給するだけの従属国に成り下がってしまいました。特に悲惨だったのは中米諸国で、主な産業がバナナの輸出しかないこれらの国では、米国資本のユナイテッド・フルーツ(現チキータ)社の部長のほうが大統領よりも威張り散らすようになってしまい、この状況を揶揄する「バナナ共和国」という表現が存在するほどです。そのような状況に反発すべくさまざまな政治運動や、場合によっては革命が起こされますが(1959年のキューバ革命はその代表例)、その多くが米国やCIAの手によってさまざまな形でつぶされてきました。たとえばチリでは1970年に社会党のサルバドル・アジェンデが大統領になり、議会制民主主義の手続きに則った形で鉱山の国有化などの改革を進めてゆきますが、そのような改革を嫌った米国やチリ国内の保守派などの支援を受けたクーデターが1973年に発生し、アジェンデは自決に追い込まれました。1979年には中米ニカラグアで、地震への義援金を着服した当時のソモサ政権に対してサンディニスタ民族解放戦線が革命を起こし新しい政権が生まれましたが、ここでも米国の支援を受けたコントラという反政府ゲリラが登場し、政府軍との間で激しい内戦が続き、国が大いに荒れてしまったのです。

 このような状況の中、特に南米諸国ではブラジル(1964~1985)、アルゼンチン(1976~1983)やチリ(1973~1989)などで軍政が敷かれ、言論の自由が制限され、市民運動家が数数多く弾圧され、数万人もの命が失われました。さらに、このような状況に追い討ちをかけたのが、第2回や第4回で取り上げた新自由主義の流れです。これにより、それまでは国営や州営などの形で運営されてきた電話会社や石油開発公社、金融機関や航空会社などが欧米資本に払い下げられてしまい、これらの企業の利益が外国に吸い取られてしまうことになったのです。また、これら経済改革により、一部の特権階級はさらに豊かになる一方で、それ以外の一般市民はそのような経済改革の恩恵を受けるどころか、それにより生活費が高くなる一方で、それに見合うだけの所得増が生まれなかったことから、貧富の格差がさらに拡大したのです。
 このような状況の中で特に貧しい人たち、あるいはこれら貧しい人たちの支援者らによって始まったのが、連帯経済の取り組みです。どうせ仕事がない、あるいはあっても全うな生活を送れるほどの給料をもらえないのであれば、そんな状況下で誰かに雇われた上でこき使われるのではなく、自分たちで集まって農園や手工芸品、廃品回収などさまざまな分野の経済活動を運営して、協同組合という形で運営してゆこうというのが中南米型連帯経済の基本的思想です。また、新自由主義の波に乗れずに倒産した工場の元従業員らがその工場を乗っ取って協同組合を設立した上で、「回復工場」として運営することもブラジルやアルゼンチンなどでは行われています。

 中南米における連帯経済は、当初はこのように見放された人たちによる自主運営型の経済活動として始まりましたが、2000年前後にこの運動が中南米を越えて世界的にネットワークを広げることになります。まず、1997年にペルーの首都リマで中南米以外からも含めて32カ国の代表が集まって会合が行われ、その後もRIPESS(社会的連帯経済推進者大陸間ネットワーク)という名称で4年ごとに(次回は今年10月にフィリピンのマニラで)会合が開かれるようになりました。また、世界の政財界のエリートが集まる会議である世界経済フォーラム(日本ではダヴォス会議という名前で有名)に対抗し、一般市民側からさまざまな代替案を提示する会議として、そして「もうひとつの世界は可能だ」をスローガンとして2001年1月にブラジル南部ポルトアレグレ市で世界社会フォーラムが始まり、その後世界各地で(日本でもおおさか社会フォーラムという形で)同様のフォーラムが開かれるようになりましたが、この中でも連帯経済は経済面でのオルターナティブ(代替案)として積極的に紹介されています。
 この動きをさらに推進することになったのが、2000年ごろから始まった南米の政権交代です。先ほど説明したような新自由主義の問題が明らかになり始めた頃から、それまでの右派政権ではなく、市民運動とのつながりが強い左派政権が各国で台頭してきました(ベネズエラ(1999~)、ブラジル(2003~)、アルゼンチン(2003~)、ウルグアイ(2005~)、ボリビア(2006~)、チリ(2006~2010)、エクアドル(2006~)、パラグアイ(2008~2012))。

連帯経済の推進に貢献したブラジルのルラ大統領(任期2003~2010)

◀連帯経済の推進に貢献したブラジルのルラ大統領
(任期2003~2010)

 この中でも特に政府側からの連帯経済の推進が活発なのはブラジルで、労働組合出身のルラが2003年に就任すると政府内の労働雇用省内に連帯経済局が設置され、関連会議の運営や各種研修、さらには連帯経済関係者の産品の販売促進活動などが進められてきました。同時に連帯経済の実践者側でもブラジル連帯経済フォーラムが結成され、国内外との連携活動が進んでいます。また、ブラジル以外の国でもメキシコやエクアドルでは連帯経済関連の法律が制定され(法律はこちらで(メキシコエクアドル)、エクアドルの場合には協同組合法も兼ねている)、ベネズエラボリビアでは連帯経済の推進を担当する政府の部署が設立されたりするなど、さまざまな形で連帯経済の推進が進んでいます。

コラムニスト
廣田 裕之
1976年福岡県生まれ。1999年より地域通貨(補完通貨)に関する研究や推進活動に携わっており、その関連から社会的連帯経済についても2003年以降関わり続ける。スペイン・バレンシア大学の社会的経済修士課程および博士課程修了。著書「地域通貨入門-持続可能な社会を目指して」(アルテ、2011(改訂版))、「シルビオ・ゲゼル入門──減価する貨幣とは何か」(アルテ、2009)、「社会的連帯経済入門──みんなが幸せに生活できる経済システムとは」(集広舎、2016)など。
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