もうすぐ展覧が終わるとの情報を得て、慌てて出かけた。行き先は今日美術館。
館内に一歩足を踏み入れ、息を呑んだ。作品の写真は事前に見ていたものの、やはり本物は迫力がある。高い天井の下、床を一面を埋め尽くす、ぺしゃんこになったおんぼろ自転車たち。
作品のタイトル、「自転車 300平方米」が表しているように、300平米の空間に合計100台の自転車がずらり。その一台一台が語りかけてくる言葉の迫力に圧倒されていると、隣である観客がこうつぶやいた。
「こういう風景、見たことある。天安門で」
私の頭の中に新たな印象が広がった。1989年の夏のあの日、長安街でタンク車に押し潰された大量の自転車たちは、数日後も、まだそのまま放置されていたといわれる。
この作品を作った王強さんは、1963年に黒竜江省のジャムスで生まれ、91年に北京の中央美術学院を卒業後、北京で創作活動を続けている気鋭の芸術家。話を聞くと、この作品を作るため、北京近郊から苦労して自転車を集め、1カ月かけて特殊な機械で潰したのだとか。古い自転車の多くはすでに錆びかけているが、それも自然の変化に任せるらしい。
王強さんいわく、作品のテーマは「現代の人々が感じている大きなプレッシャー」。個人の生活の記憶がつまった「立体」的な物体を強大な「圧力」をかけて「平面」化し、羅列することで、所謂プレッシャー(中国語で「圧力」)の社会的規模での広がりを表現しているように感じられた。だがその圧力がどんな圧力であったか、個々人をどんな状態に追いやったか、については、当然、観る人の想像に託される。
従って、先ほどの天安門のイメージが、作家が作品に込めた意図と関係あるかどうか、についても、追究するべきではないだろう。ただ、作品の余韻を強めていたのは、この作品が展示されていた場所だ。今日美術館がある百子湾は、長安街からそう離れておらず、しかも、中国の経済発展を担っているホワイトカラーや建設労働者たちが、強いプレッシャーに駆られつつ日々働いているCBD地区に隣接している。そして、美術館の正面に広がっているのは、昔ながらの古い平屋の商店の背後にCBDの高層ビルが聳え立つ、まるで合成写真のような風景。歪んだ時空を縫い合わせるように、貨物列車が轟音を立てながら走り抜けてゆく。
この展覧を観た数日後、偶然、前門付近の胡同に住んでいた頃の隣人5、6人と食事をする機会があった。その胡同では、3年余り前、強制的な再開発の荒波をもろに被り、住民たちが散り散りになった。その頃の住民の半数以上が、今は遠い郊外で暮らしている。そのため、今回の食事会には、どこか同窓会のようなノリがあった。ぎりぎりまで立ち退きに抗っていたある隣人の顔を見て驚く。刻まれていたのは、その後の生活の苦労が生んだと思われる深い皺。その妻が、隣で心から懐かしそうに、近所づきあいが親しかった胡同時代の生活を振り返る。日々のプレッシャーを吹き飛ばせとばかり、食事の後はカラオケで歌って踊って大騒ぎ。
自転車と古い家。ぺしゃんこになったものも、ぺしゃんこにされた理由も異なるが、「喪われたもの」の大きさが測り知れないことには変わりがない。ふと、この20年で変わったこと、変わらなかったこと、に思いを馳せた。